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過労のルーツを考察する③性格

私は、それが本当に人の役に立っているかどうかはさておき、
基本的な性格に、選択基準として

「人のニーズに答える」

という項目の優先順位が異常に高いということが特徴として、ある。

そして逆に、「自分のニーズを満たす」という項目の優先順位は
限りなく、低い。

好きだな、と思う人のために役に立ちたい、という想いは皆さんと同じ。
       
でも特に、中でも本当に困っている人、本当に私の仕事を必要としてくれる人に関しては、私は本当に利益度外視だ。
    
仕事を始めた当初などは、経費にすらならない、赤でも助けて来た。
それは、全くもって、ビジネスではない。
    
これは結構早いうちに気づいていたが、47歳の今の今まで
解決できなかったポイントだ。
     
ちなみに、多分、一般の人が想像する限界の上の上を行く、
ちょっとあり得ないレベルで、人の頼みごとに答えるためなら
自分のことを置いてしまう性格だと、自分も家族も理解している。
 
「人のことより、自分のこと。」

幼稚園でも習ったことだ。
これは、真理だ。

正直、今回のように病気だけでなく、色々トラブルを抱えてしまう。
その度に、もうやめようと思う。
    
そんなに人のために動いても、
自立した人にとっては「はぁ?」と思われることもあるし。
    
依存的な人からすると、ある日私が限界が来たときでも、
「はぁ?なぜ?」と怒りを買う可能性がいつでもある。
    
何の意味があるんだ、と考えたりする。
何のために頑張ってるのかわからない。

なのに、やめられなくて続けて来た私。

でも、どうしたって。
人のため、人のため、は自分にとってやっぱりアンフェアなのだ。
おかしいのだ。   

結局、想いやエネルギー、お金の循環がおかしいから体も、心も、
そして現実も「病む」。
滞ると、病む、というのは地球上で起こる現象としてとても普通だ。
    
だから、私は勇気を持って今回、ここに取り組まなければならなかった。
 
頼まれごとに無性に答えたくなる自分。
頼まれごとを断ると嫌われそうだと思う自分。
人に嫌われることが極端に怖い自分。

そうだったけど・・・もういいんじゃないかな。
私が私を一番大事にしていて、そんな私を好きだと言ってくれる人とだけ付き合う。
もうこの先はそういう人生にしていこう。
     
慢性疲労をきっかけに、そう強く思った私でした。
     
   

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