にぎりっ屁で失神させてしまった愛犬の話。
これは30年以上前、私がまだ小学生だった頃の本当のお話。
実家の庭で飼っていた、オスの柴犬、名前はピチ。
私はタイトル通り、彼を失神させてしまったことがある。
なんでそんなことをしたかなんて覚えていないけど、恐るべし小学生の好奇心。
プレゼントかのようにピチに差し出した私のにぎりっぺ。
その瞬間、ピチがフラフラとヨタ付き、そのまま倒れてピクピクしてしまったのだ…。
あの恐怖、忘れもしない。まさか自分のオナラで大好きな愛犬が死んでしまうかもしれない!!
大慌てで部屋に駆け込み、家族を呼んだ。
ピチが死んじゃう〜!!!!!どうしよぉ〜!!!泣
慌てた家族が駆けつけ、ピチの元に戻った時には、意識が戻って、起きあがろうとしているところだった。
家族に事情を話しすと、怒られ呆れられたのは言うまでもない。
それにしても、他の動物のうんちの匂いも鼻先で嗅ぐ犬が失神するなんて。
当時の私のオナラの破壊力、とんでもなく恐ろしいんですけど。
いや、にぎりっぺで濃縮してしまったからだな、うん、きっとそう…。
昨晩、夫とオナラ談義に花を咲かせて(どんなだよ)、ふと思い出したピチ。
ピチとの出会いは、私がまだ3歳くらいの頃らしい。
私は、病弱だった姉が入退院を繰り返す中、両親はつきっきりのため、一人で祖父母の家に預けられていた。
祖父母もまだ仕事で忙しく、小さな私をかまってあげられなかったと言う。
そんな寂しそうな私を見かねてか、祖父が柴犬を買ってきたのだ。
当時の実家では3代目の柴犬。歴代全員、名前はピチ。
3代目のピチが私の相棒となったのだ。
当時の記憶は私には全くない。それでも、ピチに救われたことだけはわかっている。
表情のない写真の中に残っていたのは、私の服の中に小さな子犬のピチを入れて、首元から出していたり。
ピチと一緒に写っている私だけは、嬉しそうだったから。
きっと、ピチも私も、親元から離れて寂しいもの同士、繋がるものがあったのだろう。
あの頃の私は、ピチがいなければ、きっとずっと心閉ざしていたんじゃないか。
親たちはよくそう言っていた。
それはどうかわからないけど、私の成長の根底を支えてくれていたのがピチだということは、間違いない。
私が幼稚園に上がる頃に、ピチのいる祖父母の家での同居が始まり、そこからはずっとピチと一緒だった。
当時のピチのご飯は、ドッグフードと牛乳がメインではあったが、たまに祖母が味噌汁やすき焼きの残り物にご飯を入れて卵でおじやを作る時もあった。(ネギとか余裕で入ってた汗)
それが結構美味しくて、私がピチの元に持っていくまでの間に、こっそり半分くらい食べてしまうことも多く、ピチには申し訳ないことをした。
たまに脱走して、自分で帰ってきたところをマーガリンたっぷり塗ったパンで回収されるピチ。満足そうに笑って、特別なパンを食べた。
お薬を飲む時も、いつもパンにマーガリンかジャムを塗って混ぜていた。
私はチョコスナックが大好きで、いつも私の部屋の窓からコアラのマーチを投げてお裾分けしていた。(チョコもネギもよく食べさせてた…あぁ無知って怖い。)
それは私たちの愛のコミュニケーションだった。
ピチは本当に優しい犬だった。
交配のために、近所のメスの柴犬がお泊まりにきた時。
緊張もあり、男らしくあるためか、寝られない日が続いたんだろう。
彼女の前でかっこよくいたいのだけど、お座りしたまま船を漕いではハッと!する姿が、なんとも愛おしかった。
ピチの奥さんのお家は近所なので、我が家の周りも散歩コースだったようで、ピチのいる場所から少し離れた柵越しに、歩いて通るのが見える。
ピチは健気に、そこを通る奥さんたちをいつも穏やかに見ていた。
黙って待って、黙って通り過ぎるのを見送っていた。
忘れてはないけど、アピールもしない。そんな優しい男だった。
ピチは、自分が残した餌を小鳥たちが目の前でついばんでいても、じーっと遠くから、お食べと言わんばかりの優しい顔で眺めていた。
彼はいつもどんな時も優しい眼差しの男だった。
ピチは、ワンワンと吠えない。
人が大好きで、近づいて来るのに気づくと、耳とただでさえ小さな目をぺったんこにして、ウニャ〜ニョンニョン!!と喋ってばかりいた。
私は学校から帰宅すると、1番にピチの元に行くのが日課だった。ピチの寝顔をそばで見たくて、どうにか気付かされないよう抜き足差し足で砂利の庭をそーっと歩いていく。
そんな真剣な姿を、部屋の中から祖父母はいつもバカだねぇと笑って見ていた。
でも絶対に気づかれて、飛び上がって喜ぶピチに文句を言っていた。
そんなチャレンジはいつまでも続いた。
ピチは優しく我慢強い犬だった。
ピチは祖父の散歩の相棒。毎日の散歩、長時間付き合ってくれていた。
祖父は病気があったり、不器用なとこもあり、思いどりにいかないことがあると、たまにピチに八つ当たりしていたようだ。
ピチが嫌がる声が聞こえて駆けつけて、私が祖父を怒鳴りつけたことも何度かあった。
具体的な暴力を目の当たりにしたことはないけど、きっとなんかしら痛ぶっていたことがあると思う。
そんな嫌な現実もたまにあって、「祖父の犬」だということが悔しくて許せない時もあった。
私は、家族にも友達にも弱音を吐いたり、泣いたり、相談したりしない子だった。
家族間で色々ある中で、私がちゃんとしないと!いい子でいないと!バランス取らないと!困らせてはいけない!と無意識に必死だったのだろう。
グッと感情を押し殺し、なんでも平気なフリして、どーでもいいふりをしていた。
どーしても泣きたい時、弱っている時は、こっそりピチの元へ行き、そっと泣いた。
私が唯一、感情を露わにできたのは、当時はピチの前だけだったのだ。
ピチはどんな時も、優しくニコニコと受け止めてくれていた。
泣ける場所があるって、大きな安心感だった。
そんなピチも歳を重ねていくにつれ、散歩で座り込んでしまうことも増え、散歩に行かなくなっていった。
あんなにチャレンジに失敗した、こっそり近づく選手権も、難なくピチのそばまで行けて、ピチが私に気づくのを待てるほどになった。
こっそり近づかなくても、砂利の上を普通に歩いて近寄っても大丈夫になっていった時の寂しさは、なんとも言えない感覚だった。
雨が降っているのに、犬小屋の外で、草むらに紛れて鳴いてることが増えたり。
犬小屋の中に入ったものの、方向転換がわからなくなって、真っ暗なまんまで怖くて鳴いてることが増えたり。
明らかにボケてきて戸惑っているピチの姿に困惑はしたが、私が守る!と燃えた。
私は部屋の中で介護がしたい!と祖父母に言い出すも、一蹴された。
当時はまだ田舎では外犬がメジャーで、家の中で飼うなんて祖父母の中には一ミリもそんな概念がないのだ。
それに祖母はそんなに犬が好きなタイプでもないし、綺麗好き。
ずっと外飼いの犬を家の中で飼える訳がなかった。
それでもなんとか、冬の夜は寒いから、ピチに湯たんぽを持っていくのが日課になったある夜のこと。
ピチが私の元へ来ると、その場でペションと、腰が落ちてへたり込んでしまった。
大慌てで部屋に入り、その場にいた父に泣きつくと、「腰が落ちると早いからなぁ」とボソッと言った。
その翌日、急いで学校から帰り、庭に直行すると、ピチの姿がない。
泣きながら家に駆け込むと、母に呼ばれ、洗面所の土間にピチが寝ていた。
もうほとんど意識はなく、手を近づけると噛まれるから気をつけなさいと注意を受けた。
あのピチが噛む訳ないじゃん!そう思ったが、お水を垂らしてあげる手に、ガツガツと噛むような仕草を見せていた。
今思えば、反射行動でしかないのだけど、当時の私には結構ショックだった。
今夜が山だということで、私が寒い洗面所でピチと一緒に寝るのを許してくれた。
犬と一緒に寝るのが夢だった私。最初で最後の、ピチと一緒に過ごせる夜だった。
朝、まだ息があるのが嬉しくて、学校を休ませてくれと両親に頼んだ。
家族全員、私にとってピチがどれほどの存在かは知っていたので、快諾してくれた。
ずっと一緒にいた。意識はないピチだったけど、表情もまるで変わってしまったピチだったけど、そばにいられて嬉しかった。
お昼頃、ピチ〜って呼んだら、おお〜きな声で、ニャァァァァ〜〜〜!と叫んで、ふっと息が消えた。犬だけど、最後まで、ニャァだった。
慌ててみんなを呼びに行って、みんなで声をかけると、なんと意識が戻ってきたではないか。
それから少しして、みんなで見守る中、静かに静かに旅立った。
大切な存在がいなくなるという初めての経験をした高1の冬だった。
その夜、私は高熱を出した。
様子を見に、夜中の3時に母と姉が私の部屋にきた時、ふっとピチの匂いがしたそうだ。
お別れを言いに来てくれたんだ。
翌日の火葬には行けなかったが、今思えば、ピチが私を火葬に行けないようにしてくれたのだと思う。
きっとあの頃の私には、大切なピチが焼かれ、骨になる姿を受け入れられなかっただろうから。
風邪を引いたのもあり、一週間ほど寝込んだ。今でいう、ペットロスもあったと思う。
でもね、実はピチはもう一つ、私が落ち込みすぎないようにギフトを用意してくれていたのだ。
ピチが亡くなる三週間ほど前、家には入れてあげられないけど、せめて夜だけ屋根のある明るいところに移動させてあげようと、犬小屋をもう一つ買って、設置した翌日のこと。
父が出社途中で子犬を拾ったと連絡があった。
大の犬好きな父、昔のピチによく似たお口真っ黒な子犬をつれて帰ってきたのだ。
まだ子犬だからと、その新入りは玄関の中のスペースをゲットして、みんなの注目を集めた。
もちろん可愛くてたまらなかったが、私はピチ最優先だったので、複雑な心境でもあった。
ピチの夜用の犬小屋は、ピチが使うこともなく、新入り用になったのだ。
でも、あの子はピチが呼び寄せてくれたのだと思う。
私の心が壊れないように、寂しさが紛れるように。
ピチの優しさは、どこまでも紳士だった。
私の犬人生の始まりはピチで、彼がいなければ、犬の専門学校に行くこともなく、今へと続くこともなかった。
ピチのお墓参りには必ず安いジャムパンか、マーガリンパンを買ってお供えした。
近くの木にはカラスが控えている。
私たちの車が出ると、さっさとお供えしたパンを持っていくのだ。
いいさいいさ、ピチはそれも本望だよ。
チョコをあげていたことも今思うと悔やまれたが、15歳まで元気に生きてくれた。
「間違っていたけど、あれは紛れもなく愛だったでしょ!?」
そう彼は微笑んでいる。
にぎりっぺで殺されかけたのにも関わらずだ。
あの日、動物ににぎりっぺは絶対にしないと、心に誓った。
ピチは、身をもって、多くの命を救ったに違いない。
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