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誰の記憶にも残らない人間になりたい

「誰かの記憶に残るような人間になりたい」そんな風に思う人も少なくはないはず。誰の記憶にも残らず人生を過ごすことは一般的に寂しく悲しいことなのかもしれない。

しかしながら、時に人との関わりや取らねばいけないコミュニケーションが煩わしく感じることもある。

それは決して、コミュニケーションがうまく取れないというわけでもなく、できるが相当に疲労してしまうということ。

そんな時にはいつも思ってしまう。

「誰の記憶にも残らない、そんな人間になりたい」

私は人付き合いが嫌いなわけではない。しかし年々煩わしく感じることも増えてきた。幸運なことに私には友人?と呼べる存在が多くいた。おしゃべりすぎることが私の欠点なので聞き手に徹していたら何人かの人に頼られるようになった。

ある意味便利な存在だったのかもしれないが、とにかく食事や遊びに誘われることが多かった。人の好意を無駄にはできないとなるべく付き合ってきたが私は人間としてあまりにも不完全。

コミュニティの輪が乱れそうなとき、当事者たちをまとめられなかった。たまにいらないことを言って誰かの地雷を踏んでしまった。自分とコミュニティの誰かが、そしてコミュニティ内の誰かと誰かの仲を保つのが難しかった。

とにかく、人間関係に関して考えているとモヤモヤがいつまでも晴れず煩わしかった。

気づくと私は周りの人間から数歩離れるようになっていた。自然と心にも余裕が出てきて思った。

「あ、人間付き合いむいてねぇわ」と

もちろん、必要な場所、例えば職場などでは今まで通りそれっぽい人格で接することができる。しかし、プライベートになると本当に一人が大好きになってしまった。

アニメや漫画、ゲームが大好きなのでもともとそういう素質はあったのかもしれない。同じ界隈でも同志を見つけて仲良くしたいとも思わない笑

一人で静かに生活できたらいいなと思っている。もちろん必須な場面は除いて。

ただ、いまだに私のことを思って連絡をくれる人たちにはとても申し訳のない気持ちになり罪悪感に苛まれる。

私はもともとグループを統率する立場にあることが多かった。小学生の時のクラブチーム、中高の部活、専門時代の放課後自学習グループなどがあり、だんだんとグループを拒むようになって気づけば一対一など少人数でのコミュニケーションを好むようになった。

今ではグループでの遊びや食事などの誘いは全て断ってしまうため、一対一での誘いもしばしば来るがすべて断ってしまっているm(__)m

誘ってくれる気持ちはうれしいのだが断るのが心苦しい。

どうかこんな人間のことは記憶から消し去ってほしい。

まあ、だから何って話でした笑。こんな記事を読んでくれた方がいたらありがとうございます。そして不快に思われたらすみませんm(__)m

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