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日記

コロナワクチンで死にかけた(気分になった)ので、心機一転として日記をつけることにした。とりあえず、見よう見ようと思っていた映画を見に行き、遠いなと思っていた(近い)ラーメン屋さんに行った。

結果、『君たちはどう生きるか。』は意味不明だったし、ラーメンは少し、しょっぱかったが・・人生ってこんなもんだよなと思った(悟った)。🙄
いちおう教養がないからわからなかったのかと思い調べてみたが、あれはわからなくてよい作品みたいなので安心しました。

そもそも、何でジブリ映画みようと思ったかなんですが。斗司夫さんが動画で、宮崎さんはジブリ作品を花火だか祭りみたいなもんだって言ってて、なんか見たくなってしまった。
一生に1回、ある年の夏祭りで見た花火。そういう思い出になる作品を作ってんだから円盤とかサブスクで気軽に何回も見られては困る。みたいなやつ、それ聞いて「みてぇーー!!」って思ってみたら思考回路こわされた🤪

思い出すな、ジュラシックパークの映画に連れてってもらって、ガン泣きしたあの日を・・今では後ろでガサガサなんか食ってるヤツの音すら気になる立派な大人になってしまったよ😒

行こうと思ったきっかけはもういっこあって。行事とか運営の会議とかって、長くなればなるほど古参メンバー減っていくじゃないですか・・そこで何か活躍したりってだけが意味じゃなくて、顔なじみとして覚えてもらったり挨拶したりとか、そういうのだって出ることの意味になると思うんだけど、みんな忙しいとかなんとかでいなくなっちゃうんだよね・・。

みたいな話を聞いてて、その話は待遇悪いから来ないとかいう奴は勘違い野郎だよなって話に流れてったんだけど。
そこで思い出したのが、「やらないヤツは、その事に『めんどう』以上の価値がない」って言葉だった。

外出が難しい人は時に、雨が降っただけで出かけるのを止めてしまう。
それは『めんどう』というよりは、その雨で起きるいろいろな事に対応する自信がなかったり、手配ができないからだと思う。
何か行動をやめる時は行動的な動機以上のマイナスの動機がそこにある。

コロナワクチンで死にかけた脳で考えてみたところ、めんどうだけどやった事の多い世界で死にたいと思ったので、行くことにしたわけだ。

あと、この「めんどう」だとか色んな理由でやらないことをやって、それを続けるその人の姿というのが、よいものにも感じられた。
そこで思ったのは24時間テレビの障害者チャリティ。当初は感動のためのオモチャにされたり、なんか無理やりすぎてドン引きのエピソードも多かったけど、こんだけ続いて市民権を勝ち得たなら、それには意味があったと思う。

つまり、なんもせずに居る人よりも、矢面に立って批判浴びながらもここまでの定着の礎になった初期メンバーは偉い。ああやってオモチャにされたから、あれはどうなんだって議論もできたんだと思う。
質問コーナーで初めに手を挙げるやつは偉い、バカな質問をすれば後のやつが質問しやすくなるし、関係ない質問は幅を広げる。😊

映画とそれたが、まあ面倒だからっていいわけは、死に直面したらねーんだぞ。死を忘れんなってことだな・・そんな覚悟を持っていかなくてもいいとは思いながらも重い腰をあげたのであった。
(今後は定期的に鑑賞しに行きます)🎬

最近、色んなものへのモチベが下がっていたんだけど、今日からまたやっていこう。ということで感想をだらだら書いていこう・・

先ず、映画冒頭の火災シーンはメチャ凄かった🔥熱で視界が揺らいで状況が把握できなくなる火災現場の臨場感がマジでトラウマを誘発しそうになるくらい凄かった・・あとはよくわからんw🤪

アオサギをオッサンが着てる?のは何かのメタファーなのか?w
あのウンコみたいな隕石本体と、ビリビリしてる石と、積み木素材とか転がってた石って関係あるんか? 石が地球?みたいなことはチラっと思ったけど、それより隕石が神とかアイディアとか革命とかの象徴なのかなって思って・・その力でオッサンが死ぬまでに積み上げられるものには限界があって、続き積んでくれっていったら、それば墓標やからいややみたいに言われて、じゃあゼロから積んでくれってのも断られてたような?🥲

ええやろ継いでやってもw あれは宮崎帝国の末路なんか!?w
まあ確かに歴史って、前の世紀のツケを払ってるところがあるからな~似たようなもんなのか? 世界と個人は無関係ではいられない・・どう解釈しておさめればよいのやら、なかなか面白かったです😊

でも終わり方がサッパリしすぎてて、映画が終わった感まったくなかったわ!w 見終わった後に、えーこれ文芸パターンか? 考察せんと味でないんかって調べたら、どうも芸術作品っぽい🤪🪄

さて、次は何を見ようかな~♪





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