見出し画像

30代も結局自分探しに葛藤する日々だった - 破局からのMBA進学、転職を経て思うこと

34歳、夏。別れは突然やってきた。

4年付き合った7歳年上の彼。たぶんずっと一緒にいることになるんだろうと思っていた人だったけど、長く掛け違いが続いていた関係性は、とある天災をきっかけにぷつんと途切れてしまった。

彼とはちょっと斜に構える物の見方や金銭感覚、まったく偶然ながら聞いている音楽が同じだったり、趣味は違うのに一緒にいるときの会話は波長があったりと、居心地がよかった。年上な分仕事での経験も豊富で、尊敬できるところもたくさんあった。でもどこかで、それなりの収入がある彼と一緒になれたら、生きていく上でのリスクヘッジになるな、と思っているずるい自分もいた。

最初の2ヶ月くらいは、とにかく友達や知り合いに「別れた」と言葉にして、それが事実なんだと自分を信じ込ませた。住む場所も会社(仕事)も全部彼と一緒にいることを前提に選んでいたから、生活の土台がほろほろと崩れ落ちてしまった。それでも仕事は続けないと生活できない。自分が壊れてしまわないように毎日必死だった。

この先いい出会いがあるかなんてわからない。そんな不確実なものに頼れない。とにかく、1人で生きていく前提で考えないとダメだ。藁をも掴む思いで、30代も半ばに突入している自分がこの先1人で食べていくにはどうすればいいのか、必死で考えた。

行き着いたのは「女1人で生きていくには仕事が必要で、仕事を続けていくには知識が必要だ」という思いだった。

別れた3ヶ月後には、この先ずっと社会で求められ続けられるために知識をつけようと経営大学院の見学に通い始め、彼との思い出から物理的な距離を取るために引っ越し準備を始めた。今思い出しても、自分の行動力が信じられない。忙しくすることで何とか1日1日をつないでいたのだと思う。

そして、彼と別れて4年後。
私は経営大学院を修了し、MBAを取得した。

1クール(3ヶ月)ごとに2-3科目を受講し、インプットとアウトプットを3年半の間繰り返し続けた。レポート提出前日には10数時間ぶっ続けで書き続けることもあった。自分で自分の集中力に驚くことも多かった。結果、知識と思考力は存分に鍛えられたし、いろんな人とのディスカッションや対話を通して自分の特性や強みを見出し、自分に自信を持つこともできた。いろんな生き方をしている人とも出会えたし、仕事を通して世の中に貢献している尊敬できる人とも出会えた。

でも。
彼といるときのような素の自分にはなれなかった。

大学院で出会った人とも、卒業後に新しく出会った人とも、常に繭か殻か薄皮か何かをまとっている感覚。何か口に出すときも「今言おうとしていることは、この場にとって必要な/有用な発言だろうか?」と一旦考えるクセがついてしまい、明るく楽しく接することはできるけど、ズボラな自分は奥にしまいこんでいるうちに、しゃべりたいことをしゃべる、ということがうまくできなくなってしまった。

大学院を卒業した2022年は、家を購入したり、家族が解散状態になったり、実家の犬が急逝したりと心が休まらないことが重なった。2023年は転職活動で苦労を重ねた結果、ようやく納得の行くところを見つけ入社できたものの、慣れないわからないことばかりで、疲れも溜まっていた気がする。

そして今。39歳になった私は、これからどこに向かおうとしているのか、どこに向かいたいと思っているのか、よくわからなくなっている。

ずっと広報をしているくせに、昼夜関係なく電話がかかってくるようなメディア対応はやりたくないし、元来人見知りでものすごく心を消費するから、初見の人と接することも実はあまりやりたくない。何者でもない私。働くために必要な情報は際限なく入ってくるけど、時々何もかも遮断したくなる

先日放送していたTHE SECONDで2代目チャンピオンになったガクテンソクの奥田さん(學天則時代によく漫才見てたのはそんな昔のことだったのか・・・)が「何者かになるまでは誰も自分たちが漫才をやってたことなんて知らない。そんな状態で辞めるのではなく、何者かになってから辞めようと思い直した」「大阪にいればメシは食える。でもずっと同じことの繰り返し。コロナ禍で漫才ができなかった経験から、どうせなら新しいことをやってみたいと思って、40歳過ぎてから上京した」という趣旨の話をしていて、ほぼ同世代&生き方に迷う私はがつんと食らってしまった。

少しずつではあるけどここまで自分なりにがんばってきて、自分の好きなことにお金を使える程度にはなれた。子どものとき結構貧乏で親が必死に人並みの教育を与えてくれたことを思えば、今の生活はてっぺんみたいなもんだよ。今でも十分幸せなんだよ。でも、私はこのままでいいんだっけ?ただのサラリーマンだけじゃなくて、今までに経験したことのない生き方にトライしてみなくていいんだっけ?

・・・自分の幸せの基準線が、自分で引けなくなっている。ずっとずっと「生き方は自分で決めたい」と思い、そうできる環境に身を置けるようにがんばり続けて、ようやく自分で決められる状態になれたのに、いざそうなると選択肢が多すぎて、自分で決めて行動することに億劫になってしまっている。

感覚が合う誰かと出会い、心穏やかに過ごせることが幸せなのか。仕事で大きな案件をやり遂げられることが幸せなのか。地元の大阪ではなく名古屋にい続けることが幸せなのか。一人だとただぐるぐると悩んでしまい、答えがでない。だから、素で話せる相手が必要なのかもしれない。

悩み葛藤する日々には、終わりが見えない。でもここまで書いてきて、どうせ悩むならポジティブに悩みたいなと思えてきた。答えが出なかったとしても、思い通りにいかないとしても、ダークゾーンに落ちたら一人の私は這い上がれなくなってしまいそうだし、何より落ち込む時間は人生の中で最小限にしていく方がいいに決まってる。

心に澱んでいたもやもやをここで成仏させたことだし、明日からまたがんばりましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?