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日本軍と法令

 戦前の日本では法令にいくつかの段階がありました。軍隊も法令に基づく機関なので無縁ではいられません。

公文式

 法令形式が体系的に規定されたのは、明治19年に制定された公文式こうぶんしきである。法律、勅令といった法令の公布形式はここではじまった。面白いのは、勅令という法令を定める公文式自体が明治19年勅令第1号とされていて、自分で自分を定義する形になっていることだ。こうした事例はのちにも見られることになる。

 この時点で公文式が制定されたのは、憲法の発布と帝国議会の開催を控えていたからだろう。公文式制定時には法律と勅令の違いはあいまいだったが、法律は帝国議会の協賛(承認)を必要とするのに対し、勅令には議会の同意は不要と区別された。

 公文式の当初の規定では勅令には内閣総理大臣の副署が必要とされていたが、これ以前にすでに確立していた帷渥いあく上奏権をたてに陸軍大臣は単独上奏により制定された勅令を内閣総理大臣の署名がないまま公布することがあった。違法行為が政府内でまかり通っていたわけである。明治18年の内閣官制では国務大臣に対する内閣総理大臣の指揮権が認められていたが、憲法が施行されると内閣総理大臣の立場は弱められ同格の国務大臣のなかの代表者にすぎなくなった。これに合わせるように公文式は改正されて勅令には内閣総理大臣の署名は必須とはされなくなり、特定の省庁にのみ関係する勅令には主任大臣の署名だけがあればよくなった。こうして現実にあわせる形で違法状態は解消される。

法律と勅令

 法律には議会の承認が必要とされていたが、勅令には議会の承認は必要なかった。議会が開かれていない期間、政府は法律に相当する緊急勅令を発布できるとしていたが事後に議会の承認が必要で、もし同意が得られなかった場合は無効となった。
 法律と勅令をどう使い分けるか、言い換えればどういった規定に議会の同意が必要で、どこまでなら政府の専権で決められるかについて明文の規定はないが、国民に直接義務や制限をもたらす規定は法律とするという認識があったようだ。法律で決める範囲は現代に比べるとかなり狭く、例えば現在なら法律で制定される行政組織の構成は、戦前は勅令で定められるのが通例だった。

 なお、法律や勅令の名称には決まりがなく、法律は〇〇法、勅令は〇〇令と呼ぶのが一般的だったが、勅令については〇〇官制(官庁の構成を定めたもの)や〇〇に関する件などという名称もあり一概には言えない。古くは〇〇条例と呼ばれる勅令が多かった。現在使われている自治体が制定する条例と混同しないように注意が必要である。特定の名称を持たない法律や勅令もあるので、厳密には暦年単位で法令の種類ごとに与えられる番号で区別する(昭和2年法律第47号など)。

軍隊と法令

 軍隊も広い意味では行政組織であり、その構成は法令に根拠がなければならない。一般官庁と同様にその多くは勅令によっていた。軍事関係の法令のうち法律で定められていたのは、国民に兵役の義務を定めた兵役法、機密漏洩に罰則がある軍機保護法や要塞地帯法、一般人にも順守規定がある陸海軍刑法や陸海軍軍法会議法などである。なおこれらの法律には、法律内で委任された事項を規定する〇〇法施行令という勅令が附属することが多かった。
 義務兵役を定めた兵役法は法律だが、志願兵役制度を定める例えば海軍志願兵令などは勅令だった。自らの意思で軍隊に入ろうとする者は「政府側」の存在であって、議会が介入することではないということだろう。

公式令

 日露戦争が終わってから明治末までの間はさまざまな制度の整理整備が進んだ時期で、その背景としてはまず官僚制の発達と、明治天皇や維新の元勲が遠くない将来に表舞台から去ることが予測されることがあり、それまで慣例や担当者の独断で決められていたことが明文化された。
 明治40年、公文式も全面的に改正されて公式令こうしきれいと改称し、例えば法律については

第6条 法律は上諭を附して之を公布す
 前項の上諭には帝国議会の協賛を経たる旨を記載し親署の後御璽をけんし内閣総理大臣年月日を記入し之に副署し又は他の国務各大臣若は主任の国務大臣と倶に之に副署す
 枢密顧問の諮詢を経たる法律の上諭には其の旨を記載す

原文はカタカナ

と詳細な手続きを規定している。
 法令の種類も皇室令が追加されるなど細分化されたが、法律と勅令は主要な法令として残った。このときの改正では勅令に内閣総理大臣の副署が必須とされた。

軍令の制定

 勅令に内閣総理大臣の署名が必要とされると、陸軍の長老で有力な元老の山縣有朋は反発した。そもそも軍の統帥を政府から独立させて天皇に直結させるという制度を作り上げたのは山縣その人である。当時、枢密院議長としてこの改正の諮詢にあたった山縣は反対したはずだが結果的にこの改正は成立する。そこで山県は新たに軍令という内閣総理大臣の副署が不要な法令形式を制定した。それが明治40年軍令第1号「軍令に関する件」である。

第1条 陸海軍の統帥に関し勅定を経たる規定は之を軍令とす

原文はカタカナ

 軍令についてはしばしば、軍令という法令形式を軍令で規定する矛盾が指摘されている。しかし既述の通りはじめの公文式も勅令で勅令を定義しており少なくとも前例はあった。明治天皇の裁下を得ているので正当性は十分ということだろうか。憲法学者のなかには疑問視する意見もあったが実際にはあまり問題とされず、軍令は定着した。

軍令と勅令

 軍の統帥に関して政府の介入を許さないという運用は明治憲法の制定以前からすでに確立していた。いわゆる帷渥上奏権がその象徴である。軍令の制定はその延長線上にある。しかし軍令の規定にあるとおり、そこには「統帥に関し」という縛りがあった。軍では改定の機会をとらえて勅令を軍令で置き換えていき、それはかなり後まで続いていた。例えば戦時大本営条例は名称は条例だが明治26年に勅令として制定され、明治36年に改正されたあとは改正の機会がなく、軍令が制定されたあとも昭和まで勅令のまま残されていた。もともと戦時大本営自体が陸軍と海軍の妥協の産物だから、条文に手を入れることは思わぬ摩擦を引き起こすおそれがあった。昭和12年に日中戦争が始まって、事変でも大本営を設置できるように改正することになり、この機会に勅令の戦時大本営条例は廃止され、軍令の大本営令が制定されることになる。なお勅令である戦時大本営条例の廃止は軍令ではなく内閣総理大臣の副署が必要な勅令(昭和12年勅令第658号戦時大本営条例廃止の件)でおこなわれており、一応内閣の承認は得ていることになる。

 しかし軍令の制定後も別の理由で勅令のままとされる法令は少なくなかった。軍の側は軍令の「統帥に関し」という文言をできるだけ拡大解釈しようとしたが、陸海軍大臣が所管する「編制および常備兵額」は内閣が関与するとされていたから、こうした事項については引き続き勅令で規定されている。例えば軍人の階級や給与、行政官庁や学校などの組織が勅令で規定された。
 軍令に移されたのは参謀本部や軍令部といった統帥部の組織(拡大解釈の疑いが濃厚だが)や、艦隊や鎮守府、艦船など部隊に関する規定などである。軍令と勅令の境界はやはりあいまいで、陸海軍のあいだでも違った。例えば海軍大学校令は勅令だが、陸軍大学校令は軍令である。もっとも、海軍大学校が海軍大臣に隷属するのに対し、陸軍大学校は参謀総長隷下であるという点は考慮する必要がある。陸軍大臣に所属する陸軍士官学校の根拠法令である陸軍士官学校令は勅令である。

内令

 軍令第1号「軍令に関する件」では軍令のうち「公示を要するもの」は官報に掲載するとしていたが、裏返せば公示を必要としないものは官報に掲載されず公開されないということである。陸軍ではこうした軍令を軍令陸甲第〇号、軍令陸乙第〇号などと呼んだが、海軍では内令と呼んだ。内令自体は軍令制定以前の明治29年から運用がはじまっていたが、もともと天皇の承認を得た規定も含まれていたので、これに関しては運用は変わらなかった。内令の例としては指揮権の継承順位を定めた軍令承行令などが挙げられる。また戦時にのみ編成される部隊などの規定である特設艦船部隊令も内令で定められていた。内令は官報に掲載されないので全数の把握は難しい。一部が防衛研究所に残っておりネット上で公開されている。また内令の内容を集積した内令提要が定期的に編纂されており、これも残ったものが参照できる。

辞令

 どちらかというと余談になるが、辞令の形式も公式令で規定されている。任官、叙勲、叙位、叙爵などが該当するが、こうした種類の違いよりも格の違いによる扱いの差が明文で規定されていて興味深い。大臣や大将といった親任官については親署の上で御璽ぎょじし、内閣総理大臣が年月日を記入して副署するとしている。公式令に規定はないが親補職についても任官の例に従うとされていた。一方で親任官を免ずる辞令には、御璽を捺して内閣総理大臣が年月日を記入することになっていて、天皇の署名はない。これは勅任官の任命辞令とほぼ同様である。だいたい、任官に比べて免官の辞令は一段格が下がった形式になっている。官報の辞令記事を見ても、親任や親補は特に抜き出して掲載されるが、免官や免職については他の任免と一緒にされて区別されていない。

おわりに

 お久しぶりです。
 ちょっと前にツイッター(いまは名前が変わったらしいですが)で、戦時大本営条例が軍令の大本営令で置き換えられたことを「条例を議会の承認を得ず軍令で置き換えた」と表現している記述を見て「違うぞ」と思いました。実際には戦時大本営条例ははじめから勅令で、最初から最後まで議会の関与はなかったのですが、「条例」「軍令」という名称が誤解を生むのだなあと思いました。
 「軍隊は書類で動く」という言葉があるくらいで軍隊も官僚機構であることは間違いなく、だからこそ根拠となる法令がいくつも規定されていました。今回はその内容を納める「器」としての法令形式について簡単ですがまとめてみました。実際の法文を参照する助けに少しでもなれば幸いです。

 戦前日本の法令制度については下の本がお勧めです。戦前期の制度全般について要領よくまとめられています。日本近代史を研究するなら持っていて損はないでしょう。

 日本軍関係の法令については以下の論文が非常に参考になりました。

原剛「陸海軍文書について」
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200003/12.pdf

 ではもし機会がありましたらまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は公式令を公布する官報のスクリーンショット - 国立国会図書館デジタルライブラリー)

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