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三十一提督の軍艦小話(さわ)

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海軍・軍艦に関する記事をまとめました
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#海軍大臣

海軍軍人伝 大将(1) 川村純義

海軍軍人伝 大将(1) 川村純義

 これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。初回は川村純義です。

兵学頭 川村純義は天保7(1836)年11月11日に薩摩藩の下級藩士の家に生まれた。通称は与十郎。妻が西郷隆盛の従姉妹にあたる。幕府が長崎に海軍伝習所を設けると薩摩藩から選ばれて参加する。西郷に重用され、戊辰戦争では陸兵の指揮官として出征し、会津などを転戦した。維新政府では兵部省に出仕し、兵部大丞から士

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イフ - ロンドン軍縮条約問題は避けられたか

イフ - ロンドン軍縮条約問題は避けられたか

 結構前のことですが、太平洋戦争を避けるためには歴史上の事件のなにが変わればよかったか、という思考実験をしたことがありました。いわゆる「イフ戦記」のプロット作りのようなものですが、超兵器の発明とか革新的な戦術の考案とかクーデターで政権ががらっと置き換わるとかの派手な手段ではなく、ちょっとした、しかし現実でもあり得た現象という縛りで太平洋戦争の開戦から遡って考えた結論が

珍田侍従長があと一年長生き

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海軍大臣伝 (18)野村直邦

海軍大臣伝 (18)野村直邦

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は野村直邦です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 野村直邦は明治18(1885)年5月15日、鹿児島県日置郡に生まれた。初名は仁蔵。鹿児島一中を経て日露戦争の最中の明治37(1904)年11月に海軍兵学校入校、明治40(1907)年11月20日に卒業して海軍少尉候補生を命じられる。第35期生172名中の卒業成績は43位だった。首席は近藤信竹。巡

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海軍大臣伝 (17)嶋田繁太郎

海軍大臣伝 (17)嶋田繁太郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は嶋田繁太郎です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 嶋田繁太郎は明治26(1883)年9月24日、東京に生まれた。父はもと幕臣の神官で、猿楽町にあった東京中学を経て明治34(1901)年12月に江田島の海軍兵学校に入校し、明治37(1904)年11月14日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。第32期生192名中、卒業成績は27位だった。首席は

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海軍大臣伝 (16)及川古志郎

海軍大臣伝 (16)及川古志郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は及川古志郎です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 及川古志郎は明治16(1883)年2月8日、新潟県古志郡に生まれた。初名は越郎、のち古志郎と改めたがいずれも生誕地に由来している。父は医師で、父の故郷であり本籍地である岩手県で育った。盛岡中学の上級生に米内光政などがいた。明治33(1900)年12月に海軍兵学校に入校し、明治36(1903)年

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海軍大臣伝 (15)吉田善吾

海軍大臣伝 (15)吉田善吾

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は吉田善吾です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 吉田善吾は明治18(1885)年2月14日、佐賀県で士族の家に生まれた。米穀商の吉田家に養子に入る。佐賀中学を経て明治34(1901)年12月に海軍兵学校に入校し、明治37(1904)年11月14日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。第32期生192名中の卒業成績は12位。まさに日露戦争の最中

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海軍大臣伝 (14)米内光政

海軍大臣伝 (14)米内光政

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は米内光政です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 米内光政は明治13(1880)年3月2日、岩手県盛岡市で旧南部藩士の家に生まれた。明治31(1898)年12月に海軍兵学校に入校、明治34(1901)年12月14日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。卒業成績は第29期生125名中68位と平均以下だった。コルベット金剛に乗り組み、比叡とともにま

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海軍大臣伝 (13)永野修身

海軍大臣伝 (13)永野修身

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は永野修身です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 永野修身は明治13(1880)年6月15日に高知県でもと土佐藩士族の家に生まれた。海南中学を経て明治31(1898)年に海軍兵学校に入校、明治33(1900)年12月13日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。卒業成績は第28期生105名中2位。首席の波多野貞夫が技術方面に進んだ(のち火薬廠長)

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海軍大臣伝 (12)大角岑生

海軍大臣伝 (12)大角岑生

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は大角岑生です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 大角岑生は明治9(1876)年5月1日、いまの愛知県稲沢市に生まれた。初名は親一。家は農業だが、愛知一中に進学できたので貧しくはなかったようだ。功玉社を経て広島県江田島の海軍兵学校に入校したのは明治26(1893)年のことだった。在校中に日清戦争があったが生徒には直接関係がなかった。明治30(1

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海軍大臣伝 (11)安保清種

海軍大臣伝 (11)安保清種

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は安保清種です。
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佐官まで 安保清種は明治3(1870)年10月15日に佐賀藩士出身でのちに海軍大佐になる沢野種鉄の三男として生まれた。初名は沢野庚三郎(ウィキペディアには「康三郎」とあるが誤り)。明治15(1882)年予科生徒として海軍兵学校に入校。父沢野中佐はこの年10月16日には兵学校次長として着任した。その後年末ま

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海軍大臣伝 (10)岡田啓介

海軍大臣伝 (10)岡田啓介

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は岡田啓介です。
 前回の記事は以下になります。

大佐まで 岡田啓介は慶応4(1868)年1月21日、福井藩士の家に生まれた。福井藩からは海軍軍人を多く出しており岡田も海軍兵学校に進んだ。海軍兵学校が江田島に移ってはじめて卒業した第15期生であり、卒業成績は80名中7位だった。首席は財部彪である。明治22(1889)年4月20日に海軍少尉候補生を命じられ

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海軍大臣伝 (9)村上格一

海軍大臣伝 (9)村上格一

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は村上格一です。
 前回の記事は以下になります。

日露戦争まで 村上格一は文久2(1862)年11月1日、佐賀藩士の家系に生まれた。数え19歳で海軍兵学校に入校し、明治16(1883)年12月22日に海軍少尉補を命じられる。海兵11期生26名中2位の成績だった。明治19(1886)年9月1日に海軍少尉に任官する。
 初級士官としての村上は水雷畑を歩いたら

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海軍大臣伝 (8)財部彪

海軍大臣伝 (8)財部彪

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は財部彪です。
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日露戦争まで 財部彪は慶応3(1867)年4月7日、日向国都城で生まれた。都城藩士の家系といわれるが、都城島津家は将軍の直臣ではなく鹿児島薩摩藩島津家の一門で、4万石を知行し並の大名よりよほど大身であったがそれでも将軍から見ると陪臣になる。財部は明治18(1885)年に築地の海軍兵学校に入校、在校中に学校は

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海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は加藤友三郎です。
 前回の記事は以下になります。

海軍士官として 加藤友三郎は文久元(1861)年2月2日、広島藩士の家に生まれた。父は下級藩士ではあるが藩校の教授をつとめる学者でもあった。明治6(1873)年に海軍兵学寮に予科生徒として入寮した。当時はまだ生徒教育を海軍兵学校で完結させず、学校でも教育と実艦での実習を織り交ぜていた。明治13(1880

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