マガジンのカバー画像

LOGOS

55
LOGOS。言葉のチカラ
運営しているクリエイター

2018年12月の記事一覧

再生

指導、練習という言葉を捨てる

4〜6歳の彼ら彼女らが自分達で集まって、チームを分けて、ボールを4個出して始まったゲーム。 自由、カオス、遊び、たたかい、自治。自分の意思で、タイミングを見計らって水分補給をしにいく6歳。 手前ミソだけど、幼少期の育成に警鐘と提案を投げかけることのできる動画だと思います。 園児でも、任せればできるんですよね。 指導という名の自己満、指導という名の管理、指導という名の操作。 指導者という響きに勘違いを起こす、いけない大人。 指導という言葉から、そろそろ脱却しなければいけないと本気で思います。 特に、今の日本では。 もちろん自分も、もう「指導者です」なんて名乗らない。 うちの園児クラスでは「練習」という言葉を使いません。練習するよー、じゃなく「サッカーするよ」って言ってる。 「サッカー = 練習」という暗示をかけたくない。植え付けたくない。サッカーはサッカーだ。それ以上でもそれ以下でもない。 何かを概念づけて香ばしいトレーニングをするのは、もっと先で充分だよ。 コーチの笛や集合!という声で集まるのがサッカー、と思ってほしくない。 自然に集まりゃいいし、集まった子だけでやればいい。 スポーツは本来、遊びのはず。 一体いつから、スポーツ = 教育、鍛錬、訓練の道具になったんだ。いつから、サッカーは大人の自己満足のための道具になったんだ。僕らは子どもの頃、そんなサッカーを好きになった覚えはない。 でも今の日本では、ほぼそんな感じになっちゃってる。 園児だけでなく、小学生も中学生も、これから徐々に「練習」という言葉をなくしていきたい。集合の概念も消していく。 指導するつもりなど、もうサラサラない。あの子らと一緒に、サッカーをする。 そうしてサッカーをしていくことで、結果的に、あの子たちが魅力的な大人になっていくための手助けになればいい。 人と人の間で生きていく上で大切なことはほぼ、サッカーで伝えられるし身につけられる。 サッカーという魅力的な遊びを共有しながら、遊び心が満載で、正義感を持ち、人に優しく、多様性を受け入れ、違いを違いと思わない、そして常にリベラルであり続ける そんな魅力的な大人を、一人でも多く社会に送り出したい。 横浜のはずれにある小さな街クラブから、日本を変えていく。それくらいの覚悟が、僕にはあるんだ。