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40歳からの勇気~なりたい自分になるためのアドラー心理学~ 【第4章:あなたが作り上げた信念と、繰り返される人生のパターン】


原因論では特定できない、繰り返される失敗


あなたは大事な時に限って、同じような失敗を繰り返したという経験はないだろうか?


私の知り合いに、上司と一緒に取り組む「重要な案件の交渉やプレゼン」の時に限って、資料を入れ忘れるといったミスを繰り返している男性がいる。

彼は、普段はまずそのようなミスを犯すことはない。しかしよりによって、上司と取り組むような大事な案件の時ばかり、同じような失敗を繰り返してしまうというのだ。

彼は原因論的に、大切な資料を入れ忘れたのは「資料の荷作りをしている時にうるさい顧客から電話がかかってきたからだ」と考えるかもしれない。つまりその電話のせいで集中力が途切れて、うっかり入れ忘れてしまったのだと。

あるいは、その案件に関しては上司からプレッシャーをかけられていて、数週間前から緊張していたので、いつものようなきめ細かな配慮ができなかったからだと考えるかもしれない。

いやいやそんなこと以上に、荷物を送る前に何故もう一度資料を確認しなかったのかと、自分を責めることだろう。


原因論で理由を一つに特定するのは難しい。

なぜなら原因はいくつでも考えられるし、それらの原因が複合的に絡み合って引き起こされている可能性も否定できないからだ。


しかし「ある状況」において「繰り返される失敗」というのは、単なる原因論で解説できるようなものではないと私は考えている。つまり、そこにはもっと別の大きな力が働いているのではなかろうかと思うのだ。


そもそも大事なプレゼンの時に、大事な資料を入れ忘れるというのは、プレゼンとして考えれば痛いミスであり、失敗であると考えられるが、それは彼にとってのミス、あるいは彼にとっても失敗を意味するものなのだろうか?

結果として、彼はその上司からひどく叱られる。なぜあの資料を入れておかなかったのだと。彼は特定できない原因を言い訳にして謝罪するが、上司の怒りは簡単にはおさまらない。なぜならこのようなミスは今回で3度目だからだ。上司は彼に対する叱責をやめない。

「君は前回に引き続き、今回もまた大変なミスをおかした。自分がうまくフォローしなければ、あのプレゼンは完全に失敗に終わっていた」と。


そう、上司のフォローがなければ、プレゼンは失敗に終わっていたのだ。

しかし、もし彼が本当に求めていたものが、プレゼンの成功ではなかったとしたら、どうだろう。


つまり、彼が求めていたものが、もし仮に「上司にフォローしてもらうこと」だったとしたら、あなたはこのケースをどのように考えるだろうか?


もしそうだったとしたら、彼はミスなどおかしていないし、失敗もしていない。

彼にとっての目標は「上司からのフォローを得ること」であり、そのために「資料を入れ忘れる」という手段を使ったと考えられるからだ。


また来たなと、あなたは思うかもしれない。これは言うまでもなく目的論的な考え方である。しかし「ある状況」において「繰り返される行動」には、この連載記事の重要なテーマでもある「ライフスタイル」が隠れている可能性があるのだ。

もう一つ興味深い事例を紹介しよう。




 

繰り返される人生のパターン

私の知り合いに、お洒落でスタイルもよく、大変綺麗な女性がいる。性格も明るく社交的で、誰もがその魅力に惹かれてしまう、そんな女性だ。しかし彼女はその魅力とは裏腹に、「結婚したいのにできない」と悩んでいる。

彼女はこれまで多くの男性と付き合ってきた。その魅力ゆえに、男性とお付き合いすることは彼女にとっては決して難しいことではなかった。そう、たいてい声をかけられるのは彼女のほうだからである。


しかし「お付き合いしても長くは続かないのだ」と彼女は言う。


それは彼女が他の男性に目移りしてしまうからとかそんな理由ではなく(彼女は極めて一途なのだ)むしろ愛想を尽かされるのはいつも彼女のほうなのである。


例えば彼女は、髪を切ったことに彼氏が気付かない場合(男にはよくあることだが)、自分に魅力がなくなったから、彼は自分の変化に気づかなかった。つまり彼はもう自分のことを愛していないと思うというのだ。

あるいは自分が作った料理やお菓子を彼が少しでも残した場合も(彼女は実に多くの料理やお菓子を作った)、彼の心は自分から離れていると感じるという。

そしてあげくのはてには、出張先から彼が連絡をくれなかった場合、彼には彼女以上に本気で愛する女性ができてしまい、彼女はもう愛されていないと思うのだという。


「なんて極端な判断をする女性だ」とあなたは思うかもしれない。


確かにその通りで、彼女の認知の仕方は極端であり、誤りがあるのは明らかだ。しかし彼女はいたって真剣に、

「まるでそうであるかのように」付き合う男性たちを見ていて、そして「自分がそのような存在であるかのように」振舞っているのである。


そう、彼女は常に「自分が愛されない理由を探している」のだ。

もし彼女の心のあり方を言語化するならば、おそらく次のようになるだろう。


「私には魅力がない」→「だから周りの人たちも私には魅力を感じない」→「それゆえに私は、誰からも愛されない(誰からも愛されるべきではない)」


これは彼女の信念であると同時に、彼女の「行動原則」にもなっている。彼女はこの物差しを使って人を測り、世界を測り、その目盛りに寸分違わず自分を合わせていくのだ。

どんなに優しく、どんなに思いやりがあって、どんなに自分を愛してくれる男性に出会っても、彼女はこの物差しを使って同じ行動を繰り返す。

自分には魅力がなく、周りも自分には魅力を感じない。だから自分は誰からも愛されないし、愛されるべきではないと。

この彼女にしか通用しない(絶対普遍の)法則に縛られながら、彼女は日々の生活を送っているのだ。


これが、彼女が繰り返す人生のパターンであり、これをアドラー心理学では「ライフスタイル」と呼ぶ。 





ライフスタイルの正体

彼女のこのライフスタイルは、彼女がまだ幼い頃(小学校に上がる前)に作られたと考えられる。

アドラー心理学にはその人のライフスタイルを診断する一つの技法として、「早期回想分析」という方法がある。

早期回想とは、幼い頃の古い記憶のことであり、アドラー派の熟練したカウンセラーならば、この回想をいくつか聞き出すことで、その人のライフスタイルがどんなものなのかを診断することができるのだ。

『アドラー心理学教科書』(ヒューマン・ギルド出版)では、早期回想を以下のように定義している。


【⑴ある日ある所での特定のできごとの思い出であること。⑵始めと終わりのあるストーリーであること。⑶ありありと視覚的に思い出せること。⑷感情をともなっていること。⑸できれば10歳くらいまでのできごとの思い出であること】*1


彼女は幼い頃、きわめて内気な少女で自分の言いたいこともきちんと言葉にできず、モジモジしていることが多かったという。2歳年上の姉といつも比べられ、母親からはよく「お姉ちゃんのように、もっとシャンとしなさい」と言われていたそうだ。

ちなみに彼女の早期回想は、次のようなものだった。


『まだ小学校に上がる前の頃、居間で家族4人でテレビを観ていた。コントか何かをやっていて、父も母も姉も笑っていた。自分は少しも面白いとは思わなかったが、みんなが笑っていたので笑おうと試みた。すごく不自然な感じだったと思う。その時急に母がふりむき、自分の不自然な笑顔を見て、すごく嫌そうな顔をした。自分はなぜかその場にいることができなくなり、自分の部屋へと逃げこんだ』


彼女はこの思い出を鮮明に覚えていて、中学校に上がる前に、何とかこの笑顔を克服したいと思い、鏡を見ながら必死に笑顔の練習をしたのだという。

今の彼女の笑顔は不自然なところなど何一つないし、誰の目から見ても素敵な笑顔だ。しかし彼女にはこの記憶が、まるで入れ墨のように彼女の信念として刻み込まれてしまったのである。


ライフスタイルがどのように形成されるかについて、アドラーは次のように言っている。


【子どもは弱いので(常に)劣っていると感じ、自分では耐えることのできない状況にいると感じる。……その劣等感によって子どもは行動へと駆り立てられ、その結果として目標をもつことになる。…その目標に対する一貫した動きを、我々はライフスタイルと呼んでいる*2】


かなり抽象的な表現ではあるが、要するにライフスタイルとは、劣等感を補償するために作られた、仮想の目標を追い求める動き(movement)のことなのである。

ライフスタイルは一般的には性格とか人格と呼ばれるものである。

しかしアドラーは個人心理学の中で『生(せい)の運動』を強調したことから、このライフスタイルという言葉を好んで用いたと考えられる。

アドラーが『運動のみを信じよ』と言っているように、ライフスタイルを理解する上で、この「動き」「運動」をイメージするのはとても大事なことである。


つまり人は、「動かざるを得ない」ということなのだ。


それは極めて主観的な劣等感から抜け出すための動きであり、肉体的な行動であると同時に心的な運動でもある。仮想の目標がその劣等感を補償してくれると信じて、人はそこに向かって動き続けるのである。

先の彼女のケースでは、「自分は愛されるべきではない」という仮想の目標が、むしろ自虐的に彼女の劣等感を補償していると考えられる。

その目標を達成するべく、彼女は「自分が愛されない」ことの証拠探しを続けるのだ。

目標に向かう一貫した動き、その動きによって繰り返される人生のパターン、それがライフスタイルの正体なのである。





人は自分で理解している以上のことをわかっている

最初の事例、上司と一緒に取り組む重要な交渉やプレゼンの時に限って資料を入れ忘れるという彼も、同様にライフスタイルが影響を与えているのではないかと私は考えている。

早期回想を聞いたことがないので確かなことは言えないが、おそらく彼の劣等感によって作りだされた(仮想の)目標の中に、何らかの形で「目上の人に依存していたい」という気持ちがあるのではないかと私は予測している。

もちろん彼にはその自覚がないだろうし、ライフスタイルというものは潜在意識のレベルで働いているものなのだが、彼の「自分自身に対する評価」はおそらく高くはないはずだ。

自分には力がないとか、何かを一人で成し遂げるにはあまりに弱い存在であると思っているかもしれない。そして世界は危険なところであるという認識(世界に対する恐れや不安)があり、それゆえに「誰かに保護してもらいたい」という信念が彼を支配しているのではなかろうか。


「私は大事な資料を入れ忘れてしまうような頼りない人間だ。だからこそ、上司であるあなたのサポートが必要なのだ」と。


そう言っているのは(そう行動させているのは)もちろん彼のライフスタイルなのだ。つまり極端な言い方をするならば、人はライフスタイルの奴隷なのである。


もう一つ興味深い事例を紹介しよう。これは前著『個人心理学講義』の中で、アドラー自身が上げている症例だ。


【社会的地位もあり、妻と幸せに暮らしている四十歳の男性が、窓から飛び出したいという恐怖症に苦しんでいる。意識的には窓から飛び降りなければならないと感じているが、実際には窓から飛び出そうと試みることすらなかった。*3】


あなたならこの症例をどのように考えるだろうか?

アドラーの解釈はこうだ。

『彼の生存には自殺の傾向と闘っている何かがあった』そして彼は『優越性の目標に到達した征服者である』と言うのだ。


一読した時、正直何を言っているのか私にも分からなかった。

なぜ、彼が征服者なのか?

アドラーはその根拠を彼の早期回想に求める。


【(彼は)幼い頃に、学校のトラブルを経験したことがわかっている。彼は他の男の子が好きではなく、彼らから逃げ出したいと思っていた。それにもかかわらず、学校にとどまり、男の子たちに立ち向かうために力を奮い起こした。いいかえれば、彼には自分の弱さを克服するという努力を認めることができるということである。彼は問題に立ち向かい、征服したのである。*4】


アドラーはこの早期回想を根拠に、こう結論づける。

つまり『彼の人生の一つの目的は、恐れと不安を克服することだったのだ』と。

「恐れと不安を克服する」という目的は、彼の想像力によって作り出された仮想の目標である。彼はこの恐れと不安を克服するために、自殺したいという欲求と闘ったのだ。


言い換えるならば、この目的を果たすために「自殺したいという欲求と闘う」という手段を使ったのである。

ご理解いただけるだろうか?

彼の目標は、恐れと不安を克服することだった。これは早期回想を分析しても、同じような傾向が見てとれる。つまり恐れと不安を感じながらも、男の子たちに立ち向かうという、自分の弱さを克服するための努力をするという傾向だ。


この目的を果たすために、彼の「意識」は「無意識」と協働したのだとアドラーは言う。つまり恐れと不安を克服するために、「死にたい=窓から飛び降りたい」という意識を作り出す必要が、彼にはあったのだ。

そしてもちろん無意識では「生きたい」という意志が発動している。この意識と無意識を協働させて、「恐れと不安を克服とする」いう目標を果たした(つまり征服者である)というのがアドラーの見解なのである。


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「意識と無意識が同じ目的に向かって協働している」という考え方を、アドラー心理学では「全体論(holism)」と呼んでいる。

つまり人格は統一されたものであり、意識や無意識、理性や感情、精神や肉体などに分けられるものではないと考えるのが、アドラー心理学の基本的なスタンスなのである。

前述したように、アドラー心理学の正式名称である個人心理学の個人には、「これ以上分割できない全体的な存在である」という意味が込められているのだ。


しかしこう見てみると、ライフスタイルというものがいかに不可解な存在であるかが分かるだろう。アドラーは

【人間は自分で理解している以上のことを分かっている*4】

と言うが、それは「ライフスタイルが自分以上に自分自身のことを分かっている」ということに他ならないのだ。





ライフスタイルは、幼い頃に作り出された人生の戦略

ライフスタイルが不可解に思えるのは、それがまだ幼くて、言語化できない時期に作られてしまった考え方のパターンや傾向だからだ。

それゆえにライフスタイルは心の奥深くに沈み込み、本人がそれを意識するのは難しい。

アドラーが言うように、大人に囲まれた社会の中では、子どもはあまりに小さく、そして弱い存在だ。そこで生じる劣等感は、その子どもを何らかの行動へと駆り立て、その結果として仮想の目標を作り上げることになる。

その目標が、子どもにとっては劣等感を補償してくれる理想の状態に見えるからである。


この目標を目指す一貫した動きのことをライフスタイルと呼ぶわけだが、この動き方(どのように動いてその目標を目指すのか)は、その子どもの想像力に委ねられる。

前章で、アドラー心理学では「遺伝」を否定しなければ「環境」も否定しないということを述べた。アドラー心理学では、遺伝や環境は人に影響を与える「影響因子」として考えるからだ。


つまり子どもは、生まれつきもったものや、その後の生育環境の影響を受けて、誰もが(多かれ少なかれ)劣等感を感じるのである。


そして「その劣等感には長い間耐えることができない」というのが、アドラー心理学の前提である。だから子どもは、劣等感を補償してくれる目標に向かって動かざるをえないのだ。それが「劣等感から逃れる唯一の方法であり、自分が生き伸びるための唯一の手段」であると考える(そう信じる)からである。


そしてこの目標を目指す動き方、どのように動いてその目標に向かうかは、本人の想像力によって自己決定される。


つまり、子どもよっては「失敗してはならない」という慎重さを重んじることで目標を目指すこともあるだろうし、また子どもによっては「負けたくない」と、他人と競争することで目標を追求する者もいる。

あるいは先の例のように、「人に保護してもらう」ことで劣等感を補償する目標へと向かう者もいるように、どのように動くかは、その子の想像力によって作られるものなのである。

つまりライフスタイルとは、子どもの想像力をベースにした「優越性の追求方法」であり、それは別の言い方をするならば、本人が選んだ「人生の戦略」なのである。


そしてこのライフスタイルという)戦略は、幼い頃に作られたものだけに、しばしば「誤りのあるものだ」ということを、あなたは知っておくべきだろう。


そう、ライフスタイルには多かれ少なかれ、みな「誤り」がある。

しかし、がっかりしないでほしいのだ。


ライフスタイルの誤りを修正し、「正しい方向」へと導く方法が、アドラー心理学には確かに存在するからだ。

あるいは「その方向」こそが、あなたを成功へと導く一番の近道なのかもしれないと私は思っている。

経営の神様と呼ばれた松下幸之助が言うように、『成功の道すじ、軌道というものは、だいたいにおいて決まっているものなのかもしれない』からだ。


次章では、あなたが立ち向かうべき「人生の課題」について語ろうと思う。

それはどんなに避けたくても避けることのできない課題であり、あなたのライフスタイルは、これらの課題に直面した時に、ある種の化学反応を起こすのだ。

そして、これらの課題を「どのように乗り越えていくか」によって、あなたの人生の方向性が決まってくるのである。

☞第5章につづく



*1『アドラー心理学教科書』(ヒューマン・ギルド出版部)77Pより抜粋
*2 ALFRED ADLER THE SCIENCE OF LIVING (Martino Publishing) 34Pと100Pより一部訳出
*3『個人心理学講義』(アルテ)26P〜27Pを要約 一部抜粋
*4『個人心理学講義』(アルテ)27Pより
*5『生きる意味』(興陽館)15Pより


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