ライブハウスとは何だったのか?~高円寺Show boat~
コロナ禍によりライブハウスの存在が危ぶまれている。
これでもアマチュアミュージシャンの端くれとして、学生時代から社会人に至るまで、ライブハウスにはお世話になった。
ライブハウスはその街と共存していて、どこにでも文化と歴史がある。
そんなノルタルジーな感覚になる記憶とともに、「ライブハウスとは自分にとって何だったのか?」を紐解いていきたいと思う。
大学時代の2000年前半は、とあるバンドのキーボードを担当しており、中央線沿線のライブハウスで演奏をしていた。
特に「高円寺Show boat」は何度もライブをした記憶がある。
先日、久方ぶりに高円寺に降り立った。
2000年初頭に比べて、駅前ロータリーは綺麗になったが、全体的な高円寺の雰囲気は変わっていない。
今でもミュージシャンやお笑い芸人が住む街は、芸能文化に優しい街であると思う。先日、キングオブコントで優勝した「空気階段」の鈴木もぐら氏も高円寺に居住しているらしい。
そんな高円寺にあるのが「Show boat」だ。
マクドナルドを横目に過ぎ、通りをまっすぐ行くと見えてくる。
小さな風俗店舗や小さい飲み屋など、その風景は昔と変わっていなかった。
歩くこと3分程度。結構近かったんだな。
ライブハウスは地下にあり、結構大きいキャパだった。
前述したように、現時点ではノルタルジーな感覚になるのだが、当時ライブをするにあたり、ライブのノルマは結構きつかった記憶がある。
当時でさえ、老舗ライブハウスであり、プロが演奏することも多々あったことから、ノルマの金額は高く、お客さんを呼べなければ身銭を切ることもあった。
当時のバンドのボーカルの集客力が半端なく、沢山のお客さんの前に演奏はできたが、チケット代は自腹だったと記憶している。
社会人を機にそのバンドをクビになり、「Show boat」に行くことはなくなった。
今もなお、「Showboat」は生きているとのこと。
時は過ぎ去り、社会人になっても音楽活動を続け、久しぶりに高円寺でライブをすることになった。
2014年、当時組んでいたボーカル3人+自分のキーボードのグループで老舗ライブハウス「JIROKICHI」で演奏できる機会があった。
70年代に山下達郎や大貫妙子が在籍していたSUGAR BABEが演奏したこともある歴史があるライブハウスだ。
様々なミュージシャンが演奏した空気を体感しつつ、演奏することができた。
ただし、当時の演奏の出来には満足できず、打ち上げで酔っ払った記憶がある。
当時の演奏が聴きたい方はこちらです↓↓↓
昨年、山下達郎の配信ライブが「JIROKICHI」で行われるなど、こちらもまだ生きているとのこと。
今回、「高円寺」に久々に下りてみたが、空気感は全く変わっていなかった。
そして、自分にとってライブハウスとは何だったのか?
・・・
ひとまず人生を形作った一要素ではあったのだろうと思う。
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