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ADHDってどんなもの?

1.ADHDとは

ADHDは注意欠陥・多動性障害と呼ばれる発達障害の一種です。

生まれつき、脳の神経伝達物質が不足していることが原因と考えられていますが、詳しい原因はまだはっきりとはわかっていないそうです。

主な症状としては、「不注意」「多動」「衝動」があります。

・・・なんて言われても、なんのこっちゃだと思いますので、詳しい原因や症状の説明はこちらのサイトをご参照ください。

細かい症状は、人によって異なります。また周囲の環境や本人の健康状態によっても大きく変化してしまいます。

ADHDに起因する症状、困りごとは非常に複雑で、難解です。当事者ですら、あまり理解できていないことも多く、周りの人にそれを説明したり理解をしてもらおうとするのは至難の業です。

2.ADHDってどんな感覚?

言葉で表すのはとても難しいのですが、わかりやすく言うと

ADHDの頭の中はいつでも ザワザワ しています。

たくさんのラジオが同時に鳴っているのを想像してもらえるとかなり感覚的には近いかもしれません。ランダムにラジオの音が大きくなったり小さくなったりします。

ありとあらゆる情報が、同時に頭の中に存在していて、今どれが大切なのかを判別しづらい状態になっています。

常に連想ゲームをしているような感じです。

たとえば、私は救急車のサイレンを聞くと

救急車だ→ドップラー効果だ~→救急車って119だっけ?→119と911って似てるな~→ていうか外国の救急車に書いてある蛇のマークってなんなんだ?→どこの病院いくんだろ?→病院と言えば定期検診行かなきゃな~→…おなかすいたな~

みたいな思考が、一瞬のうちに頭の中を巡ります。頭の中に散在している物凄い量の情報を、ほぼ同時に拾ってしまう結果、最初と最後の関連性が全くなくなってしまったりします。(本人的には関連があると信じて止まない場合もあります。)
ごちゃごちゃの脳内情報に加えて、外部からの刺激(音や光など)にも反応してしまうため注意力が散漫になってしまいます。

普段は注意散漫なくせに、自分の興味のあることにはとことんのめりこむ「過集中」という特徴もADHDは持ち合わせています。

好きなことや気になったことはトコトン追及しないと気が済まない、究極の「なんでマン」になってしまうのです。いったん過集中モードに入ってしまうと他のことが一切入ってこなくなります。そして引き際がわからなくなります。「引き際」という概念すら消え失せます。

3.ADHDだと、どんなことがつらいの?

普通の大人が当たり前にできることがADHDの人にはできなかったり、とても難しかったりします。

例えば私が苦手なのは

・容器のふたを閉める
・タイムカードを押す
・電気を消す
・期日を守る

これらはほんの一例です。わかりやすい内容をピックアップしました。

どれもこれも、はっきり言って幼稚園児でもできることです。それができないって、社会人としてけっこうヤバいやつです。仕事でのミスも正直多いです。

あまりにも当たり前のことが「できない」と、たいていの人は「努力が足りない」とか「甘えてる!」と思うでしょう。社会において、その感覚は正しいと思います。

ADHDの当事者もその点は痛いほど理解しています。

本人は甘えているわけでも努力していないわけでもふざけているわけでもありません。至って真剣に取り組んでいても「できない」ことがあるのです。

当たり前のことができない自分に対して、もどかしさや劣等感、自責の念を常に感じています。頑張っても報われない虚しさや諦めみたいな感情もあるかもしれません。

私は自分がADHDだとわかるまで、ずっとそんな感情を持っていました。親の期待通りに動けない自分を責め続けて、いつしか「私のような人間はいくら頑張っても無駄なんだ」と思うようになってしまいました。

ADHDであることによって受ける精神的な二次被害は非常に根深く、人格形成にも大きくかかわってきます。このことは、また改めて記事にしたいと思います。

4.苦しいのは当事者だけじゃない

ADHDの当事者は、常に自分自身に対してもどかしさを感じています。でも、苦しんでいるのはADHDの当事者だけではありません。

ADHDの理解しがたい行動を不快に思う人は多いと思います。関わりの薄い他人であれば、「不快な奴だ!」と思うだけで済むでしょう。最悪、ADHDの人間とは縁を切ってしまえばいいんです。

しかし、親や恋人や友人などの身近な人はそう簡単に済まないと思います。身近な間柄であればあるほど、どうしてもスムーズなコミュニケーションを期待します。1回や2回の齟齬なら流せても、それがいつもいつも、となるとおそらくものすごく大きなフラストレーションになるでしょう。

私もよく耐えきれなくなった父親に「お前の行動は理解できない!」と叱責されていました。

相手がADHDであることを理解していたからと言って、すべてうまくいくというわけでもありません。

やはり人間、不快なことは不快だし、ムカつくことはムカつきます。そして優しい人であればあるほど、理解できず腹を立ててしまった自分を責めてしまうと思います。

そばにいる大切な人を理解できないこと、そしてそばにいる大切な人に理解してもらえないことほど悲しくてやりきれないことはないと思っています。

5.素敵なところもたくさん!なADHD

苦しいこと、辛いことばかりを書いてしまいましたがADHDだって悪いところばっかりではありません。

先述した「過集中」という特徴は、状況や環境によってはとても良いことだと思います。好きなことはトコトン追及する…「好きこそものの上手なれ」です。エジソンやモーツァルト、アインシュタインはADHDだったと言われています。

その他にもまだまだ知られていない魅力がADHDにはあると思っています。日常の中で、「あ、ここはADHDのいいところだな~」という気づきがあれば、逐次記事にしていきたいと思っています。

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