忘れ得ぬアムウェイ
③20代前半アムウェイ事件
の時の私は時々自責の念に駆られることが
あった。全部選択したのは自分。
自分がしっかりしていなかった、ダメだった
なんならそう思うように仕向けられてたかのようにも思う。おとなしい、静かな性格から、こんな自分を変えなきゃ。アムウェイの人たちの人とのコミュニケーションを学び、その結果自然体かつデリカシーのない女に仕上がりました。(え?)
自分が、話しかけなきゃ
自分が、会話のリードをしてあげないと。
そういう思いが強く、無理に自分を作っていました。ただ、今気配りや他者の気持ちを感じとろうと努力できているのはアムウェイの人から教わった中でADHDの私の少なからずは糧にはなっているとは思います(思いたいです)
元々、察することが苦手ですからね そして一般常識にも欠けていましたから。そういう部分ではすごく勉強になったと思っています。
今のコミュニケーション能力はというと、
そこまで高くないです。黙々と仕事をこなすので
クールに見られますがそんなこともないんです。
足を洗ってからは(こんな言い方?します?)
「無理に人と喋らなくていいんだ!」
「無理に予定を詰め込まなくていいんだ!」
「好きな人と遊んでいいんだ!」
といったように好きに時間を使えています。
(ADHD特有体力のなさ、一日に何件も予定を立てることが難しいだけなのです)
MLMをやってる時は自由な時間などなく
お金もないのに60分1100円の駐車場に、
車を預けて1000円のミーティングに出席する。
なんという狂った世界。強制ではないけど、成功する為には、環境に身を置く。洗脳されていましたね。ほんとに異様です。その異様さをも、わからずグループから自分が離れる、ことを想像するだけで号泣する位に脳みそがブリンブリンにAmway脳になっていました。(ロック番狂せ)
また分けて話します。