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つながりの重力~声を沈めるもの:フリースクール性暴力事件より

2/29 のフリースクール性暴力事件のトークイベント(主催:0ffice ドーナツトーク)が熱気の中、終了しました。

事件の経緯はこちら…元シューレスタッフ山下氏による経緯説明と問題提起:
https://maigopeople.blogspot.com/2020/02/blog-post.html?m=1
イベントの概要は参加者の方がこちらにパランスよくまとめてくれています:
https://comriap.hatenablog.com/entry/2020/03/01/115527

東京シューレの声明文について私の見解はこちらhttps://note.com/adhddays_1982/n/n00580089a007

まずはこれらをご一読いただけている前提で、トークイベントで議論された内容を交えつつ、現時点での私個人としての総括をしたいと思います。
あくまで本件の事例性の検討や、特定の個人や団体の批判ではなく、問題を一般化して書いておりますので、ご承知おきください。また、私自身は性暴カケースの支援経験はあるものの、専門家ではないため、認識間違いや不見識もあると思います。どうぞ忌憚なくご意見、ご批判いただければと思います。
 
子ども若者支援業界のみならず、教育、福祉、心理などさまざまな分野で支援にかかわる方、支援を受けている方、行政や政治など間接的にかかわる方に知って、考えていただきたいです。

そしてこれは、ある一人のサバイバー女性の誠実な勇気ある発信に対するソーシャルワーカーとしての私なりのアンサーです。どうか届きますように。


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■つながりの重力ー声を沈めるもの:フリースクール性暴力事件より


1:性暴力の発生を防ぐためにー一般論としてー


・ 被虐待経験ほか被害体験があるかたは、愛着問題や不安から、身体距離が極端に近かったり、スキンシップが多い場合がある。発達障害や知的障害をもった方も同様の傾向がある。
・傷つき体験を抱えた人は、感情の不安定になりやすく、信頼と依存のバランスが崩れやすい。急速に支援者との関係を近づけようとしたり(あるいは唐突に拒絶したり)することがある。
・支援においては、転移(被支援者が支援者に好意を抱くこと)、逆転移(支援者が被支援者に好意を抱くこと)が起きる。恋愛性転移が起きた場合であっても、支援者が応じること、逆転移の場合も、それを行動化することは禁忌である。
・支援者自身が「傷つき体験」を抱えている場合が多い。自らの劣等感や、承認欲求を自己覚知し、コントロールしなければ、被支援者の転移や依存を「承認」としてとらえてしまいやすい。自らの問題を被支援者に投影してしまい、過剰な共感や、支配的になってしまうこともある。また、適切に距離雄を置くことと、「拒絶」「否定」してしまうこととの混同を起こしてしまい、関係の線引きができなくなることがある。
・一般的に相談機関<通所型支援<宿泊型支援の順で、支援者と被支援者の距離は近くなる。特に市街地や住宅街と離れた場所にある長期宿泊型支援施設は、社会接点がかなり少なくなることもあるため、人間関係はかなり濃密になる。関係の混乱が起こりやすい。
・ 関係性が混乱した場合、支援者本人がそれを自覚することが難しい場合がある。自覚しても「被支援者を拒絶せずに、関係を再調整する」ためには高いスキルが必要。これに周囲が気づき、フォローする同僚支援者の存在が不可欠である。
・支援者は被支援者に対して「権威性」を持っている。この関係性が、誰しもがもつ支配欲、被支配欲を無自覚に喚起しやすくなる。また、性暴力は、性欲だけでなく、支配欲によって引き起こされる。
・性暴力とは、いわゆるレイプ(強姦)だけでなく、社会的に形成される男女の性差に基づくあらゆる暴力行為をさす。セクハラや DV などもこれにあたる。強姦以外でも、被害者に深刻な被害と影響をもたらす。
・上記を踏まえて、支援者自身が被支援者とその関係性を的確に見立て、状況を理解できるか。好意まして誘惑などと誤解釈せず、刺激に対する支援者自身の性衝動の発露、承認と支配欲求の暴走を抑制できるか。そういった教育と、支援者を支える仕組み(支援者同士の話し合いやピアサポートなど)が必要。また、支援者が性暴力被害を受ける可能性があることにも留意すべきである。
・子ども若者支業界には、福祉や心理教育を十分に受けたスタッフが少ないため、こういったことが起きやすいのではないか。
・地域共生が称賛されるなか、子どもや若者の居場所(フリースペースや子ども食堂)が次々と創設されているが、支援ではこういった性暴力はじめ深刻な人権侵害が起きうるということ、いかに予防し、発生した際にどう対応するかを検討することは重要である。地域で起きてしまったとき、被害者や家族の地域でのくらしにどう影響するか。それらを憂慮して被害者が全く声を上げられないまま、被害が続き、拡がることもありうるだろう。場合によってはコミュニティそのものの深刻な分裂を招きうる。
・昨今の福祉のビジネス化により、営利色の強い放課後デイサービス、グループホームなどが乱立し、支援者やサービスの質の低さが問題視されているが、そういった儲け主義の組織はこういう事態をどれだけ想定しているのか。支援をおこなうとき、そのポジティブな面や、支援者の善意性ばかりに注目が行くが、リスクの想定と対策はなされるべきだろう。


『施設を運営するということの危険性をどれだけ意識して運営しているのか。この自覚がなければ、平時はビジョンと具体化だけで回せても、こういったことが起きたときに、加害の中核になる』(NPOほっとポット代表 宮澤 進  氏)


 
2:支援者による二次加害:ー隠される声ー


・当事者(被害者以外の子ども若者も含む)よりも組織防衛を優先する組織:本来被害者の人権を守るための「ロ外禁止規定」や「守秘義務」を説明責任や検証の回避に使う、無関係さのアピールと責任の矮小化(これは前述した山下氏の問題提起に詳しいため割愛するが、同様の事態は別の NPO でも起きている)
・沈黙する業界関係者:本事件でも顕著であるが、2016年の訴訟、2019年7月の和解があっても、本件について大体的に問題提起をおこなった業界関係者はほとんどなかった。2020年2月の朝日新聞の再度の報道の際、沈黙に対して問題提起を行った専門職にたいして「外部の人間が語るな」などの議論の内容ではなく、議論そのものへの抑圧があった。これらの「無視」「沈黙」や、「被害者の意図に反した議論の抑圧」は二次加害的であり、これらに加担した者にはソーシャルワーカーなどの専門職もいた。性暴力被害に関する意識啓発のためのソーシャルアクションの潮流に反する行動である。性暴力とそれに関わるアクションに対して専門職でさえあまりに無知であり、二次加害に無自覚である現状がある。彼らの日々の実践においても、無自覚な加害性をはらむ対応が行われていないか危倶する。性暴力に関する専門職教育の不備であり、さらにいえば一般的な性教育が圧倒的に不足していることによる社会全体のリテラシーの低さが背景にあるのではないだろうか。
・「(事件を扱うことが)ほかの子どもが傷つく、不安になる」という言説もあった。これはそもそも、「育ち」に関する見識が未成熟と言わざるを得ない。生きていくうえで、成長していくうえで、必要な「傷つき」「不安」「葛藤」は存在する。それらをすべて見せず、聞かせず、遠ざけることは、もはや「やさしい虐待」にも近い。もちろん、一人一人の子ども若者に対しては、こういった議論を知ることの影響を鑑みて、個別にフォローが必要なことはあるだろう。それは議論の抑圧によってなされるべきでなく、あくまで個別にケアされるべきである。また、こういった「不都合な事実があからさまに無視され、語れないことがある」「個の尊厳や社会正義より秩序の重視」という抑圧が存在している場は「いま、ここ」の心理的安全性を脅かし、「育ち」にも悪影響のある不安や傷つき、不信を与えるという視点も重要である。 この抑圧の構造は不登校の問題において、学校文化の抑圧として語られてきたものを、皮肉にもなぞっているように感じている。
・当該団体の功績をわざわざあげることへの二次加害の無自覚。当該団体のおかげで人生がよくなった人がいると支援者あるいは関係者からの声があげられた。今回の件で、当該団体への批判がおこることへの露骨な不快感を表す方もいた。愛着のある組織を擁護したい気持ちは理解できるが、それをわざわざ公に表明する必要があるのだろうか。また今回の件については批判しつつも、団体の功績に付言するものもあった。それは誰の何を守ろうとする行為で、誰をどう傷つけてしまうのか想像は及んでいるのだろうか。 性暴力に限らず、支援機関でのハラスメント被害にあった方が声を上げたとき、同様な反応は散見される。こういった声が被害者を傷つけ、沈黙させ、孤立させることを想像すべきだろう。例えばいじめで不登校になった方が被害を訴えたときに、「いじめ加害者は優しい優等生でった。人気者でみんなから慕われていた。自分も大変お世話になった」などと言われたらどう思うか?
・業界全体で沈黙=無視によって二次加害に加担した (している) といえるだろう。業界内の抑圧的な沈黙と、自浄作用がなぜ働かないのかについては、後述する。
 



3:業界の劣化:ーつながりの重力ー


・黎明期からの歴史と文化:子ども若者業界は、長年にわたり、学校や社会への参加が難しい当事者や支援する団体を、偏見や攻撃から守り、彼らへの理解を進めていくために連帯して声を上げ続けてきた。また、公的な教育制度や福祉制度の枠外であったため、寄付や補助金などを頼りに脆弱な経営基盤のもと運営をせざるを得ず、それぞれの団体が協力的に互いの活動を支えあい、時にかばいあいながら、子ども若者支援の意義と価値を社会に訴えて、業界を創造し、維持、拡大をしてきた側面はある。その社会的な価値は大きい。一方でこの文化が、協調圧力、同調圧カにつながっていないだろうか。
・踏み込んでいけば、研修や講演といった「仕事」や「人脈」などを業界内で回しあっているところがある。そういった精神的、経済的な互恵的つながりが、健全な相互批判を抑圧してはいないか。
・officeドーナツトーク代表の 田中 俊英氏は、かつてソーシャルセクター関係者たちが、著名な NPO 代表者のマンスプレイニングやデマ拡散といったインターネット上の加害行為を黙殺した暴力性を、従来よきものされてきた「つながり」の負の側面のほうが大きくなっているとして、「つながりの劣化」とよんだ。NPO ほっとポット代表宮澤進氏は、ソーシャルワーク業界において、支援者が直接的、間接的な人間関係への保身的な配慮によって、当事者のための権利擁護や批判を行わなくなること、業界の権威者の意向や多数派の動向に引き付けられていくことを「人脈の重力」と呼び批判している。こういった支援者のつながりのもたらす重力が、当事者の声を沈下させていく。
・NPO精神の忘却:今回の件では、「組織の問題ではなく、代表個人の問題だ」と語る関係者もいた。これもカリスマ起業者が代表の組織でよくあることである。ならばなぜ、そのような代表に責任をとらせ、引退させないのか。NPOは本来、民主主義的な組織である。スタッフはビジョンとミッションに共感して参画しているはずであり、正会員は代表の選定に議決権をもつ。これらの「参加する責任」をどれだけ自覚できているのか。NPO法制定から20余年が過ぎ、その精神が、建前でさえなく、 忘れ去られてしまっていないか。
・業界の劣化が明らかになった事実の前で、私たちはどう向き合うのか。業界の自浄と成熟のために、腐敗に至る劣化を直視し、自分自身の立ち方や組織との関係性を含めてアップデートしていく必要があるのではないか。
 


4:おわりに:代弁者は語れるのか?一環状島に吹きつける風の中で


・スピヴァクは「サバルタン(社会的弱者·当事者)は語ることができるか」で当事者が声を上げることの困難さを訴えた。精神科医であり社会学者の宮地尚子氏は、PTSD を伴う当事者が声を上げることの困難さと厳しさについて論じている。特に性暴力については、誰かに打ち明けることができた被害者は女性でも半数未満、男性に至っては2割未満といわれる。さらに加害者や団体に被害を訴えることは本当に少ない。まして今回当該被害女性が声をあげ、子どもたちの被害を防ぐために社会に発信したことはきわめて稀なケースである。しかしこの勇気である行動さえ業界は黙殺している。当該団体の声明への反応を見ても、とてもではないが、性暴力の予防のために議論が活発化したとは言い難い。被害女性は「力不足で申し訳ない」と語っているが、当事者にそこまで言わせてしまう暴力性を看過することはできない。
・当事者の痛みを可視化(イシュー化)するためには、代弁者が必要であるといわれる。宮地氏は名著「環状島ートラウマの地政学」でも代弁者もまた、代弁のプロセスをとおして痛みと向き合うことで傷つき(重力)、さらに傍観者たちの攻撃(風)に晒されることで疲弊することを論じ、代弁者があきらめて去っていくことは、当事者は孤立し、その痛みや問題がはなかったことにされてしまうことだと警鐘を鳴らしている。
・田中俊英氏がイベントにおいて、「(代弁が)批判されること自体はかまわない。その攻撃が、あまりに当事者の痛みに無関心で、想像力を働かせようとしないことに傷ついてしまう」といった内容を語られた。これには私も全く同意で、一連の問題提起を続けるプロセスのなかで、性暴力における偏見や無理解が根深さ、時に善意による無自覚な暴力性の発露に晒されることもあった。また黙殺といった「無視」「無反応」の圧力に怯え、気持ちを挫かれたし、詳細は控えるけれど、あからさまな排除も受けもした。声をあげることに足がすくみ、心が折れそうな瞬間は何度もあった。でもそのたびに個別に届く励ましや感謝の連絡、賛同のシェアに支えられ、今回のイベントまで声をあげつづけ、そして今この文章を書いている。
・イベント終了後に、参加者から「代弁者にも安全基地ようなものが必要なのではないか」という提言があった。とかく隠されやすい性暴力をめぐる様々な痛みと問題の可視化には、さらに多くの人が代弁の声を上げ続けることが必要である。しかし、声を上げることは容易ではなく、誰もにできることではないだろう。私も心寄せるすべての社会問題に声を上げることはできない。せめてこの問題だけはしっかりと声をあげ続けよう、そして他の問題についても、それぞれの代弁者たちを積極的に支えようと、そう思っている。


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本テーマは連続イベントとして取り扱っていきます。
次回は5/29(金)15-17時 東京近郊(場所未定)、定員の増員を予定しています。

<2020年3月3日Facebook投稿より一部修正のうえ転載>

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