黒魔女さんのシンデレラになりたい

綺麗は汚い。
汚いは綺麗。


ずっと友達はあまりいない子供だった。小学校の3人の女子グループで、図工の教室へ移動する休み時間。偶々、真ん中の立ち位置に立って私が歩く時には、私は学校の廊下の幅の都合で少し後に下がらないといけない。残り2人の友達の背中が見れる位置にいる私を“周りのクラスの有象無象の奴らからどう見られているのか”が一番の関心事だった。3人の中で私が3番目の序列だと思われたくなかった。学校の帰りに私を何の悪意もなく偶然に予定の都合で置いて帰る2人のことを、“私の知り合いはせめて、どうか帰り道で見つけないでいてくれ”といつも願っていた。

小学2年生の頃の転校生のどうでもいい男の子が「あいつ、可愛いからタイプかも」って何の根拠もなく、適当に言ったらしい一言を昼休みにこれみよがしに聞いて、ニヤニヤと喜ぶ子供だった。クラスに15人はいる女子の中で、6番目ぐらいには顔が良いと誰かに承認してもらうことが当時の生きる目的だった。足が早くて、全国模試の算数で4位を取れるまつ毛の長い、私とは違って二重の男の子が好きで好きで仕方なくて、友達にぼやいていたら、ママ同士が仲のいいらしい女に私の好意をバラされて、総合の自習時間に「あいつは可愛くないから無理」と言われたそのたった一言が、私の四度目ぐらいの失恋だった。私を告白前に暗に降ったその男が、中学受験に失敗して、中学で肌荒れに苛まれてニキビが増えていることを情報拡散機の同級生から聞いて、涙が出るほど嬉しかった。ざまあみろ、と思った。

好きだった男の子が、行けといった中学校に進学した。そいつは落ちてて、いくら探しても入学前ガイダンスにも、入学式にも、居なかった。そいつのために、わざわざ塾で特訓クラスに通っていた有名な女子校を蹴って、田舎の特段学校説明会にも行ったことのない共学仏教校に進学した。その男が私より偏差値が低い中学校に行ったことを後から聞いて、それだけが心の救いだった。つまんねえ大学に行けばいいのに、とずっと思っていた。

本を読むのが好きだった。図書館に並ぶ使い古された「青い鳥文庫の黒魔女さんが通る」を登下校時も、休み時間も、ずっと読み続けた。15分の休み時間に、わざわざ靴を履き替えてドッジボールをしにいく族を軽蔑していた。私は鬼ごっこしかできないし、ドッジボール中にパスが回ってくることはない、逃げ要員だし、いわゆるスポーツ女どもが、比較的容姿のいい男子とずっと連んでいて、腹が立つ。足がはやくて、ボールが速く投げられて、カラーテストで100点を取れることが、カースト上位だと思っている低俗な富裕層2世と共に、資本主義の縮図とも言えるスポーツ競技で休み時間を消費するつもりはなかった。あいつらと違って、本を読む自分が美しく、誇りに思っていたのに、先生はいつも私に、外に出なさいと追い出しを迫る。だから、仕方なく放送室のドアの隙間にこもってコッソリ読みたかった本を読む。そういう自分をアウトローでイケてる女だと思っていた。

そういう子供だった。

私を認めなかった全ての人たちへ。

私よりつまんない大学に浪人してまで入学して、私が1時間で30万稼ぐ間につまんねえ1050円の飲食店のバイトで1ヶ月100時間も働いて10万稼いでることを自慢して、バイトとサークルが忙しいって言い訳を口にして人生を無駄にして、だっせえリクルートスーツで就活して、30歳になってやっと1000万稼げる程度の総合職について、脳死で子供産んで、ローン組んで、家族が大切とか言いながらセックスレスの配偶者と共に、性欲も肉欲も満たされずに死ねばいいのに。


と小学生の頃から思っている子供だった。
その子供がそのまま大人もどきになって、19歳。

今の私は、あの頃より、綺麗。

皮膜アイプチを3ヶ月続けたら、奥二重になった。左目の瞼は今でも時たま痙攣して、一重に戻るから針をブッ挿したいけど、テープでどうにかできるし。

本当は好きだった色の服を着るのを辞めた。芋臭い大学で女が平気でINGNIで買っているような安くてペラい服は死ぬまで着ないと決めた。似合う服以外着ないことを“ファッションが好き”と呼ぶことにした。

本当は染めたい髪をもう二度と染めないことにした。

話したくもないネイリストと月に一回会話する苦痛に耐えることにした。

大して欲しくもなかったハイブランドの鞄を買った。

昔の私を知らない私を“良い女”だという男たちに、笑ってあげた。

私のことなんて、何にもわかってない癖に適当なことを書いて、私なんかに構うほど人生に暇をしてる輩に、構ってあげた。


前より綺麗なのに。

綺麗は汚い。
汚いは綺麗。
私は汚いから綺麗。
綺麗だから、汚い。

もう別にそれでいい。

と思うことにしている。

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