「人の顔のことをどうこう言える顔か?」という言い回しに感じる違和感

容姿を誰かにディスられた時の返しで,「人の顔のことをどうこう言える顔か?」,「自分の顔はどうなんだ」という言い回しがあります.これ,論理が崩壊してると思うんですよね.これらのフレーズは,美男美女にボロクソに言われたら全面的に認めるがお前はそこまでの容姿じゃないので認めませんという意味に聞こえますが,美男美女にディスられるほうがきついだろうと思いますし,そもそも自分がどんな顔であっても人の顔を非難することはよくないことです.じゃあどう反撃したらいいんだというのは一旦置いておいて,なぜこのような謎のロジックがここまで世に蔓延しているのかについて少し考察してみます.

これらの言い回しを文字通り受け取ると,容姿の良し悪しとそれらを見分ける審美眼に相関があると仮定されているように感じます.一般的になんらかのスキルを獲得している人はそうでない人に比べ,関連する内容について優れた評価を下せる能力も兼ね備えていると考えるのは自然なことです.例えば,松本人志はコメディアンとしての能力の高さから,人よりもお笑いの見識が深いと思われているのでM1の審査員を務めているわけです.しかし,容姿というある程度先天的に決まっているものに対して,この推論を適用するのはどうでしょうか.少なくとも私はあまり妥当ではないと思います.この推論の誤用が違和感の原因ではないかという結論に最近至りました.


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