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おばぁちゃんの最期

11月16日15時30分
おばあちゃんが息を引きとった。
84歳。小さな身体でよく働くおばぁちゃんは、その生涯を終えた。


幸い、祖母の最後に立ち会うことができた私は、お仕事もお休みを頂きながら1週間弱、今のおばあちゃんとの別れの準備や手伝いをした。


この時間は、紛れもなく私の人生の中で大切な時間であり、かつ、遺しておきたいものだと思ったので綴ってみる。


おばあちゃんは、人はこのように死んでゆくのだとその姿を持って綺麗にみせてくれた気がした。


数週間前から、終末期を迎えるための施設に入り、面会ができるようになった。このご時世、面会ができるというだけでありがたいことであり、病院から施設に移れただけでもすごいことである。


最初に施設に面会に行った時には、あぁ、もう長くはないんだなと感じられるほど細くなった手足で、動かせる目と口で一生懸命喋っていた。入れ歯がないから全て聞き取れるわけではないし、認知症もあって会話ができているわけではなかったけれどちゃんとおばあちゃんがそこにいた。


「どうしんの〜このからだ〜〜」(どうするの、このからだ)


とおばあちゃんらしい言葉も喋っていた。


そうして数週間前から、おばあちゃんにとって、幸せな人生だったのだろうか、遺された時間に良い人生だったと思ってもらえるには、どうしたらいいのかということが私の頭の中を巡った。


結論なんで出ないけど、できる限り会いにいって一緒に時間を過ごそうと思った。


施設に入ってからは2回会いに行けたね。
1回に会えるのは15分だけだから、一度の帰省では2度(30分)が最大。

点滴だけで過ごしているその体は、
やっぱりだんだんと細くなる。


11月15日火曜日。
もうそろそろだと親から連絡が入る。送られてきたおばあちゃんの写真は、たしかにどこか朧げで、今日明日ということが分かるくらいだ。
もう半分ここにはいない、そんな感じがした。

仕事もある。
事業部でもちょうど身内に不幸があった方がいて、フォローにも入らなければいけない。

今思うとやわな覚悟ではあったが、次会いに行くのは亡くなってからかもしれないと覚悟を決めた。


その日の夜。
やわな覚悟を持ったままの私は会社の人との食事があり少しそわそわとしながら飲んだ。


いとこから連絡が入る。


「面会もフリーになって、おばちゃんが今日の夜、側についててくれるみたい」


あぁ、とうとうその時なのか。
やわに覚悟を持っていた心は、いざという時になると揺らぐ。


「…実はおばあちゃんが…」


どうしようもないと分かっていながら、状況を呟いてしまった。それは特に帰りたいとかそういう事じゃなく、明日有事の場合は休むかもしれません、そんな報告程度の気持ちだった。


「何で帰らないの!!ちょっと高速バスでも何でも帰れないの?!?」


先輩から、半分怒られたくらいな勢いで言われた。


私は鈍感なのか、諦めが早いのか。
分からないけれど、先輩の勢いで事の重大さに目が覚めた。涙が溢れた。

この時、新潟に帰ることを後押ししてくれたお2人には感謝しかない。翌日の始発で帰ることを決めた私の目は涙でぐちゃぐちゃだった。


「どうか、どうか、待っててね」


そんな祈りをしながら、6時半東京発の新幹線に乗る。そわそわしていても仕方がないので心に祈りを留めながら、できる限りの仕事を終わらせた。


おばあちゃんはきっと、何もかも分かっていたんじゃないかと思う。

向かうと決めた意思は伝わって、小さな身体で最後の朝を迎えてくれた。


おじいちゃん、お父さんと3人で面会に向かう。夜中に付き添っていたおばさんから、「肩が上がってきたら少しだけさすってあげて」と言伝を受けた。

こんな時、おじいちゃんの言葉がどうにも沁みる。


「お前、もういいねかぁ。おまんとおれと、早くから免許取ってあっちこっちに使わんたり、人のために働いたねかぁ。働きすぎだわや。」


商店・農業・会社勤め3足の草鞋を履いて2人で支え合ってきた時を感じる。


「60年もお前といたんだもんなぁ」


小さく呟いたおじいちゃんの声は、おばあちゃんの死期がもうすぐということを受け入れつつも、少し寂しそうだった。

身体全身が弛緩してきていて、
排泄があったり涙が出てきたり、
あぁ、人ってこうなるのだなぁとその最期を、身体を持っておばあちゃんが伝えてくれているようだった。


目はもうここにはいない。


2ヶ月間、点滴で過ごしていたおばあちゃんに、ガリガリくんを少し含ませてあげた。
スポンジに湿らしたぐらいだから、味がわかったのから分からないけど、口が自然と動いて「うんまぃ」と言っているようだった。


それが、最後の反応だったかもしれない。


お昼を食べ終えて部屋に戻ると、
明らかに息が静かになっていた。

手や足、耳たぶの色が紫がかってきている。
肩でしていた息が、顎に変わった。
すごく静かな息だった。

お母さん、おじさんも駆けつけて、
こうなるともうその時を待つしかない。


1分ごとが長く感じた。


おじいちゃん、おじさん、お父さん。
夫と息子に囲まれ、見守られ、だんだんと息と息の間が長くなっていく。

少し時間が経ってから、家族に囲まれて最期の時間を過ごしたおばあちゃんは、すぅっと深い眠りに入るように息を引き取った。


「死んだんじゃないだろうねぇ?」


とおじいちゃんが言うほどに、安らかな最期だった。


ぼろぼろと流れる涙はとまらない。
悲しいのな寂しいのかありがとうの気持ちなのか全部がひっくるまった、よく分からない感情だ。ただ悲しいというのとも違う。

お父さんがおばあちゃんの頭を撫でながら涙を流しているのを見ると、お父さんにとって、間違いなく大切な母であり、お父さんが息子の顔になった瞬間でもあった。


好きな歌の歌詞の中で、こんなフレーズがある。


「心が痛むのは、僕があなたから愛されていた証なんだ」


本当に、そうだと思う。
自分の死を心から悼む家族がこれだけいるのは、おばあちゃんがたくさん、家族に愛を注いでくれてきていた証だったんだろうと思う。

語弊があるように受け取られてしまうかもしれないが、
おばあちゃんの最期の姿は、なんだか美しかった。

こんなふうな感想を持つのはよくないのかもしれないけど、
生き抜いた、そう感じた。


待っててくれてありがとう。
家族でいさせてくれてありがとう。
ただただ、感謝しかないよ。


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