私の主治医
救命病棟に移り、私の主治医から「手術」について簡単な説明を受けた。
コイル塞栓術=足の付け根からカテーテルを入れ脳動脈瘤にコイルを詰める。
足の付け根から?脳に?
どうやって?
わかったふりをして聞いていたが全く理解できなかった。
そして先生はこう続ける
「グラントさんの動脈瘤は、ハート型♡のような形で…」
どういうこと?
ハート♡
「2コブあり、1つが破裂していたので両方にコイルを詰めています。」と説明してくれた。
自分では笑うしかなかった。
私の脳動脈瘤どういうこと?
脳動脈瘤ふざけるなよ…苦笑
冗談じゃねーよ!
なんか私らしい。お笑いか!!
自分でも呆れた。
「名前が愛だから、ハート♡なんでしょうか?」
と言っても全くウケなかった…
この歪な形の脳動脈瘤が後々、私を苦しめる事になる…
食=生きるパワー
救命病棟に移り毎朝8時に先生が
「グラントさんどうですか?」と来てくれる。
先生は私の不安を全て真剣に聞いてくれた。
頭が痛くてご飯がたべれない私のために別メニューも持ってきてくれた。
「とにかく食べれたらいい、なんでもいい!」
別メニューにはカレーやアイスや病院食ではない物がずらり。
生きるためのミッションだ!
私が自分の生命力を感じたのは、この食べる。
なんでも食べなくてはと咀嚼している時だった。
「何がなんでも食べてやる」
そんな気になったのを覚えている。
生きてやる!
生きてやる!
なんでも食べてやる!
食欲が出てくるごとに、私は自分の底知れぬ生命力を感じた。
そして食べれたら毎朝、先生が褒めてくれる。
頑張ったことはなんでも褒めてくれる。
私はそれがうれしくて、先生に褒められたくて、頑張っていたように思う。
先生は毎朝、私達患者を励ましてくれ、夜は命がけの緊急手術に追われることもある。
日中は外来患者の対応、この人はいつ休んでいるのだろう?
私よりずっと若い先生がさらされるストレス&プレッシャーは半端ないだろうなと感じた。
尊敬しかない
これが医師というものなのか…
人として
ある朝、先生に聞いてみた。
「先生、お医者さんになるのは頭がいいだけではなくて、こんな頭の中の手術、ミリ単位の手術ができるのは、賢さだけではなく手先の器用さが求められますね?先生すごいですね。」とふとそんな言葉がでた。
先生は
「いやいや、僕らは大したことないんですよ、僕の患者さんで時計職人の方がいて、ミリ以下の世界で直しているんです、僕なんてぜんぜん大したことないですよ。」と話してくれた。
どこまでも謙虚な先生だ。
こういった話ができたことにより、医師という立場を超えて人としての会話ができ、私は先生の事をより信頼でき、先生の言うことを聞いていれば必ず回復すると確信できた。
医師である前に人としてどうか…
私は先生のことが大好きだった。
なんでも相談できたから。
そしてそれを無視をしたりバカにしない。
人として尊敬していた。
もしなんでも話せることができない先生だったら私はこんなに回復してなかったかも知れない。
病院が大嫌いになっていたかも知れない。
技術面だけではなく、コミュニケーション力と傾聴力が医師には必要だと思う。
恩返し
命を助けてくれた先生は、私の退院と同時期に他県の大学病院に行ってしまった。
退院後、その後の診察をしてもらえなくなったのはすごく寂しかったが、私が元気でいることが恩返しだと思っている。
感謝してもしきれない。
あの時に私の命を助けるために多くの人が助けてくれた。この命はもう私1人だけのものではない。この経験を同じ病で苦しんでいる人のため、そして自分の使命のために生きていきたい。
先生ありがとう!!
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