動画企画制作業 Ad Arch 7期目までの道のり#1 〜現場を知った先に〜
企業のWebCMなど、動画の企画制作業を営んでいるAd Arch(アドアーチ)株式会社代表の白川裕喜です。
前回、無事に推薦を受け商業映画の現場に入ることとなりました。
初めての現場は廣木監督作品の「M」でした。
原作・馳星周さん×監督・廣木隆一さん、俳優陣も超一流が揃う恵まれた環境に右も左も分からない青年が入ることとなります。
映画はその後、第19回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門 特別賞受賞を始め、国際映画祭でも上映されました。
いきなりの現場で、感じたこと。それはプロの中でしか学べないものが多いということでした。必死に付いていくこと2ヶ月。
クランクアップ終わりで自宅に戻った瞬間に安堵し、倒れ。そのまま救急車で運ばれました。僕の映像人生で、心身共に背伸びした期間であったと同時に、グンと意識が上がった経験でした。
プロの現場はあまりに凄すぎた。それは、意識も、熱量も、覚悟も。1カットに対する集中力の差が違いすぎて、ずっと鳥肌が立っていました。
その後、2年半。様々な商業映画、月9TVドラマ、CMなどの現場に入り、広い目で見え始めた時に気付いたことがありました。
「海外の映像制作ってどうなってるんだろう?」
~渡米してみる~
好奇心からアメリカのFilm Making系専門学校に入学しました。学ぶというよりは見てきたレベルですが、僕にとって大きな出来事でした。
その一発目の授業での衝撃が後々の人生を変えることになります。
「今は分業の世の中だけど、近い将来、君たちはプロデュースも、ディレクションも、カメラも照明も〜全部できる必要がある。そのために学んで、自分の価値を上げるための自己プロデュースが必要だ。そして、これはビジネスだ」
当時の学生はまだ16mmフィルムを使って撮影したものをデジタル化していたり、カメラもMiniDVのSD規格。そんな時代に、今でいう一人完結型の「ビデオグラファーが来る」「そのために個人のブランディング」と言われ、大きな衝撃と共に「自分の生き方次第で、動画についてアレコレ出来るんだ」と強く感じました。
実際、学生においての意識の差すら日米では異なり、学生でも制作資金を調達して映画を撮っている人もいたりと、映像を作るだけではなく、個人を立てること・ビジネスとして捉える者が多いように思いました。
在学中は近所の教会で行われるブレイクダンスのイベントを撮影したり、カルチャーと映像の関係も強く感じました。
〜帰国後の違和感〜
渡米中、様々なことを経験し帰国後、再び映像の現場に戻りました。
「やりたいことをするために稼ぎ、ビジネス化する」。そして、「企画制作に関わる全部を知って、営業からまとめて全部できるように」という意識になっていた僕にとって、「分業で」「やりたいことやってるなら、給与は低い」「それでも結果を出せ」という環境に違和感を感じました。
これでは、所属企業・所属企業の配置に人生を託すことになると。
そこで、30歳までに自分の会社を立ち上げることに決めました。
好きな映像で、好きなやり方で。自分も、一緒に働く仲間も、クライアントも幸せにするような会社を。
以後の就職全ては、そのためにノウハウを吸収するための過程。無駄だと思ったらすぐ見切る。所属した企業の皆さんにはご迷惑おかけしたかもしれません。この場を借りて謝罪します。
結果、30歳と11ヶ月。少し遅れましたが、30歳のうちに会社を立ち上げることができました。
次回からいよいよ独立です。
つづく。
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