見出し画像

彷徨う時間に、私を見つけたら

サロンというよりも庵に近い。
戦乱の世に一時全てをかなぐり捨てて一服の茶に全て委ねたように。
そこまでいかなくても、いらないものを全部脱ぎ捨てて、”ありたい”というより”いたい”ように、その場で時間を過ごす。
迷うこと戸惑うこと、停滞すること、いろいろ日々ある中で、もしも”いたいように”という場所が必要になったら、その場所が私のご用意しているサロンです。
でありたいと、思っています。
サロンでは前向きに、あり方や生き方を対話することもあるけれど、もっと受動的でもいいから、「今こうしていたい」を実現できるような場をご用意しているつもり。

目の前の何かしか見えなくなっている時、ちょっと外しにいらしては?
急ぎ過ぎて、何のために急いでいるかわからなくなったら、とまりにきたら?
大事なご自身を、ハグしにいらしたら?

「いさせてくれて、ありがとう」
「今が一番いい」

アート思考ではないけれど、何かの役に立つから存在できるのではなく、存在しているだけで、そこにいる意味がある。同時に、いたいように、ありたいように、そのままの自分でいられる。

時々、立ち寄るそういう場所があったら、いろいろプラマイありつつ、
今が一番いいよね、という生き方を。
ほんの少しだけ関わらせていただいて、促したい。

どうしてって、わたし自身が、そういう心の離れ、のような場所、竹林に現れる庵、のような空間を必要としているから。

#note100日
#コルクラボ
#adams

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?