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創始者のオーデコロン 8月17日〜365日の香水

夏の盛り、オーデコロンに偏りがちだけれどやはり、気分はオーデコロンだ。

ジャン・マリ・ファリナ
オーデコロンの創始者と言われる人で、イタリアのピエモンテの出身。
1709年、二十代後半から三十代であったと思われる頃に叔父を頼っていまのドイツ、ケルンに移住した。
一族の家業は、レース、シルクのストッキング、タバコ、カツラなどなど当時のイタリア製品を幅広く扱うものだったらしい。輸入商社のようなビジネスだろうか。

移住先への思い
ジャン・マリ・ファリナは、市民権を与えてくれたケルンという場所に思いを込めて、自身が処方した香水に「ケルンの水」という名を冠したという。
香水の歴史の通説ではライン川の水を使ったとされている。事実はわからないけれど、ライン川の水は飲料にはされていなかったとはいえ、農業用水や工業用途では使われていたらしい。
ライン川の水を使ったらラインウォーターだったかもしれないから、ケルンの水という名は、やはり創始者のこの地への思いからだったのだろう。
このケルンの水のフランス語がオードコローニュ、オードコローニュの英語読みが“オーデコロン”だ。

ファリナの手紙
オーデコロンの歴史は1709年に始まるとされているけれど、創始者のジャン・マリ・ファリナが1708年に弟に送った手紙に既に言及があるという。

私は、野生の水仙の香りと甘いオレンジの香りがまざりあった柔らかな雨の後の春の朝を思わせる香水を作りました。

どうして問屋のような商いをしていた彼が香水を作ろうと思い、そうしたのか。

修道士の奇跡の水
これも通説でありつつ事実かは不明だけれど、パウロ・フェミナスという修道士から、「奇跡の水〜アクアミラビリス」とされる薬用水の処方を継承したというものがある。それを改良し自国産のレモンやベルガモット、オレンジをふんだんに入れて作ったというものだ。
昨日紹介した4711についても、ハウスの経営者だったウィルヘルム・ミューレンスが結婚祝いとして修道士から贈られた処方をもとにオーデコロンを製造したという話もあって、いずれにしても「奇跡の水」というのがオーデコロンの元になったことは信憑性が高い。
中世の修道院では薬草の栽培から薬用効果のある飲料や薬用液の製造など盛んに行われていた。
ロミオとジュリエットで二人を助けようとする修道僧が院内で栽培していた植物から、一時的にロミオヲ仮死状態にする薬を処方した場面を思い出す人も多いだろう。

ヨーロッパの王侯貴族に拡散
ジャン・マリ・ファリナが創設した現在のファリナハウスには過去の顧客名簿が残っている。

イギリス王エドワード7世、ジョージ5世、プロイセンのフリードリヒ2世、4世、フランスルイ15世、ナポレオン3世、スウェーデン、ポルトガル、ロシア、それに神聖ローマ、この時代のほぼ全ての王侯貴族が名を連ねているらしい。

ファリナは最初はドイツ国内に販路を限定していたようだが、需要と人気は一気に拡散した。
そして、商標登録などなかった時代、ケルンの水は雨後の筍状態で、追随品が跋扈するようになる。ファリナの一族からも違うケルンの水を出すものが出るくらいに。

1709 original eau de cologne/ farina/1709
シトラス系のオーデコロンなので、昨日の4711同様、レモン、ベルガモット、オレンジなどがメイン。
ファリナの手紙に水仙の花とあるが、確かにフローラルノートが感じられる。
写真のボトルはロゾリーボトルと言っても、ファリナのオーデコロンは長らくこのタイプでのみ扱われていた。
リキュールを入れていたボトルだ。従って当時はコルクで栓をしていて、そのため常にボトルを寝かせて保管していたそう。

ファリナハウスにとっては歓迎できない話かもしれないけれど、商標権がなかったおかげでオーデコロンという商品ではなくジャンルが生まれた。

香り、思い、呼吸
8月17日がお誕生日の方、記念日の方、おめでとうございます。

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