中馬街道だったから?(1)

   
 かつて中学生や高校生だったころの私は、年配の人たちの話している内容に、しばしば顰蹙したことがあった。それとともに口にしていることばのありようにも嫌悪することが少なくなかった。学校での国語の時間はもとより、教科書に書かれてある表現とははるかに隔たっていていかにも古臭くまた田舎臭く感じられるようなことばが、年配の飯田人からは紡ぎ出されていたからだった。
 しかし、いざ自分が老境に達してみると、かつて古臭くも田舎臭くも感じられていたことばの数々が、思いもかけず新鮮に響くようになっているのである。時代が進んだからというならば、確かにそうもあろう。だが、単調な共通語での表現が、味わいを乏しくさせてもいることもまた、否定できないように思う。とにもかくにも、かつては厭うていた古臭く田舎臭いことばが、かえって斬新な表現にさえ私には感じられることが多々あるのである。私が老化したということでもあろうけれど、見方によれば進化したのかもしれない――などと勝手に思いやって、自ら得心している。
 とりわけて珍らかなる飯田弁に接すると、それは他国には容易に見い出せないようなことばという意味でいうのだが、少々大げさに言うならば〈秘宝〉に遭遇したかのような思いさえすることがある。たとえばのことに「ばくむ」ということばも、そうした思いを抱かせる一語である。
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ばくむ〔bakumu〕【五段動詞】《低高低》
 「おまえさんが前から欲しがっとるステレオつきの電動マッサージチェアーだがなぁ、おまえさんが持っとる耕斎の掛軸とならばくんでやってもいいに」
 「えーっ、あの耕斎の掛軸かな、うーん、……」
 「ははは、いやならいいもの。俺のほうにしてみりゃぁ、たってと言うわけじゃないでなあ」
 「いや、わかった。ばくみっこしまい。あれは讃もいいし気には入っとるんだけぇど、耕斎の掛軸ならまた買うことできるが、あんなステレオ内臓の電動マッサージ椅子なんちゅうものは、もうどっこでも買えん物だでなあ」
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 南信濃では、物品をお互いに「交換する」ことをさして、「ばくむ」といって来ている。あるいはまた単に「くむ」《高低》ともいったりしている。さらにはまた補助体言を添えたところの名詞として、用例文中のように「ばくみっこ」などともいって来ている。
 『全国方言辞典』には使用地域として、この「ばくむ」の語形で以って、われらが南信濃だけが記録されてある。さりながら、同辞典には、本来的な語形としてはそう見るべきなのだろうと思わせる「ばくる」という語が掲げられてある。ついでながらに記せば、同辞典には「交換する」「とりかえる」の意で「ばくる」ということばを使って来ている地域として、青森・岩手・秋田・福島・長野・対馬の国名が挙げられてある。
 それにつけても、である。交換することを、なぜに「ばくむ」あるいは「ばくる」などというのだろうか。
 「ばくむ」の「ば」は、馬のバに通じ、されば「ばく」は「ばくろう」〔bakuro^〕〔博労〕の意だと説く人もいる。
 「ばくろう」というのは、もともとは中国の古い時代の人物の名で、伯楽というのが正しい。その人は馬を鑑定し、優れた馬を見い出す名人だったと伝えられている。
 わが国にもそうした伝記が伝わり来たのだけれど、かの伯楽の人物像は少しずつ変質していってしまって、馬を扱うというところから、牛馬の調教や仲買などをする人たちをさしていうようになり、さらには表記までも「博労」となって、荷馬車でする運送業者をさしていうようになったことばだといわれている。
 そうした人たちは、往路に積んで行った荷を、着いた先で下ろして、復路には交換した別なる荷を積んで来るというような生業をしていた。されば、そんな仕事ぶりに由来して、そこから「ばくむ」ということばが生み出されたのであろう――というのである。
 今日では、日本じゅうで長距離運転手が、トラックでそのようなことをしているのだという。しかしトラックの無かった昔日にも、南信濃では〈中馬〉が盛んだった。されば話としては納得できることではあるが、真相のほどは定かにはわからない。
 通常は五段活用型の動詞として使われているが、「交換することができる」といった可能の意で用いるときには、下一段活用型の動詞として「ばくめる」とか「ばくめん」(交換できない)などの形で用いている。

 中馬街道だったから?(1):2020:03:13 掲載

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