いのちながければはじ多し(2)


 一九七二(昭和四七)年のことであったから、ざっと半世紀もまえのことになる。この年にデビューした森昌子に加えて、翌年には〈花の中三トリオ〉と呼ばれることになった山口百恵・桜田淳子のアイドル歌手が、華々しく登場して来た時期であった。初初しい彼女たちがもてはやされて活躍を続けていく一方にあって、来たりつつある時代を描いたところの、深くて重くオソロシイ問題を世間に提起した小説が出版されて、たちまちに話題になった年でもあった。。
 有吉佐和子の『恍惚の人』に描かれてあったのは、今日でいうところの認知症の老人と、その介護にあたる家族の問題であった。当時は未だ認知症などということばはなくて、卑俗には「ボケ老人」とか「耄碌爺い」などといったような言いで表現されていたのだったが、家族の顔もわからなくなってしまい、徘徊したり汚物を弄んだり等々の行動が描かれていて、そうしたありように困惑する周囲や、介護のありかたなどを描いたものだった。二百万部近くを売る大ベストセラーになり、その年の流行語にもなった。翌年には映画化もされて、森繁久弥の迫真の演技も評判になった。
 初々しかった〈花の中三トリオ〉たちがすっかりオバサン然になって来ているような令和の時代になって、認知症や老人介護の問題の方はいやましに大きく重苦しいものになって来ている。私などもそんななかに足を踏み入れる齢になっていて、思いやるほどに気が重い。
 ところで〈恍惚〉の語の本来は、必ずしも認知症そのものを言った語ではない。ものごとに心を奪われて、うっとりしたりして自失しているさまをいうことばである。しかるに、有吉佐和子の『恍惚の人』では、今日にいう認知症をさして使われている。頼山陽の「日本外史」に、三好長慶に関わって「老いて病み、恍惚として人を知らず」と記してあることにヒントを得て、題名に用いたとのことのようだった。
 かの三好長慶は、戦国時代の有力大名だったのだが、嗣子を失ってからというもの、頭の中がぐちゃついて、思慮分別に異常を来たしてしまったらしい。跡継ぎと頼んだ弟までも讒言により誅殺してしまい、そうした挙句に真相を知ってより悪化して「老いて病み、恍惚として人を知らず」となったのだ――と伝えられている。
 とにもかくにも、である。共通語としてならば「認知症」だとか卑俗には「ボケ老人」だのといっているような、加齢によって耄碌が進み、痴呆症が生じた老人のことを、この南信濃にあっては「にどぼこ」といって来ている。
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にどぼこ〔nidoboko〕〔二度―〕【名詞】《中高中低》
 「古田のおばあちゃが、おとついの晩、亡くなったんだってなん」
 「そうだってなぁ。朝には冷たくなっとったっちゅう話じゃないかな。亡くなったら、後はどうするんずら」
 「そりゃぁ、火葬にするんずらもの」
 「そんなことはわかっとるもの。そうじゃなくて、にどぼこになっとる、おじいちゃのことな。おばあちゃがひとりで、ずっと看とったんずら」
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 老齢になって生じて来る痴呆にもさまざまあって、程度や進み具合などにも個人差があり、誰しもが「認知症」になってしまうものではないようではある。その「認知症」なる言いは、なにやら崇高な趣に表現しているけれど、ことばづらだけで実態を曖昧にしておきたい底意が見え透いているように感じられて、ことばとしては認知したくないような表現だと私などは思う。
 そこへいくと、この「にどぼこ」という飯田弁には、いささかならず慈愛が籠められてある。「ぼこ」は「ぼっこ」ともいって、小児のことである。年老いて「おしんめ」(=オムツ)をあてがわれたりして、再び小さな子どものころに還っていく……。されば「二度目の子どもになっている」の意であって、何も聞き分けることのなかった小さな子どものころのようになってしまっていると思って対処してやりなさいよ――といった認識から生まれた表現なのだろう。
 ボケた身を、それはまるで子どもと同じだとはいってみたところで、むろん乳幼児とは違う。体を移動させるのにだっても容易ではない。それでも、いやそれだからこそ、この表現には、背後にいたわりの気持ちが感じられて、表現としてはすぐれたものだ――と思われるのである。だからといってもちろんのこと「にどぼこ」などと呼ばれるようになどは、だれしもなりたくはないことあろうけれど。
 そのうえで、なおさらに思う。飯田人たちが用いて来ているところの「にどぼこ」の言いに、たとえ慈愛やいたわりが籠められてあっても、ボケ老人の実態は……となればけっして甘いものではない。そうであってみれば、なるほど「恍惚の人」とは言い得て妙で、さすがに文芸作家ならでは表現であることよと、あらためて感心してしまう。

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