中馬街道だったから?(2)

 私が未だ幼稚園児だったころには、飯田の町なかを、馬に大きな荷車を曳かせて物品を運送しているような人たちが、まだいたものだった。母や祖母の「ばくろうサが来たに」などと言って教えてくれる声を聞いて、荷馬車を見に行ったりしたものだった。それでも残余の趣が強くて、そうそうむやみに見られる光景ではなかったけれど。
 その後には、鉄道での輸送が隆盛をみた。飯田線にあっても、貨物列車の長々と連結した姿を見送って楽しんだ。貨物車両の入替やら何やらで、いつまでも遮断機の下りた踏み切りでじりじりもしたことも少なくなかった。しかし、鉄道での輸送の隆盛はというならば、顧みるにほんの一時的なものだった。今日に至っては、トラックでのそれが輸送の主役になって、全国を走り巡っている。
 今では飯田の町が輸送の重責を担っているというほどのことはないけれど、かつては物流の基幹都市として存在していたのである。未だ馬による運送が中心だった時代に、南信濃が中馬で以って大いに栄えたことは、いまさらに私が言い立てるものではない。
 さりながら、飯田弁との絡みで見ていると、あるいはそうしたこととひょっとして関わりがあるのだろうか、それとも無縁なことがらなのだろうかなどと、ついつい思いを誘われることばがあるのである。前回には「ばくむ」という語を取り上げて、そうした背景があって残され定着したのかもしれない由を記したのだけれど、その正体や真相が不明ながらに、同様なことが思われることばが、まだほかにも私にはある。そうしたひとつに「くら」という表現がある。私の遭遇して来た飯田弁の用法にあっては、この「くら」は数量詞として扱われるべき語のようである。
*   *   *
くら〔-kura〕【造語成分】《低高》
 「なんだぁ、こりゃあ」
 「あれ、なんちゅう……、ここにも落書きをしたのかな」
 「刃物を使って落書きして、こんな大きなキズをつけちまって、どうゆうバカだ」
 「ナオコだに……。『落書きしちゃぁいかん』っちゅって、何べんも何べんも言っちゃぁおるんだけえどなぁ」
 「あんな者は、百くらや二百っくら言ったって、わからんし、ちょっとくらい言われたって、言うことを聞くような娘じゃないでなぁ。……、それにしても、こんなとこへこんなことしちまったら、跡を消せりゃぁせんに」
*   *   *
 飯田弁の「くら」は、回数あるいは頻度を示す接尾語で、共通語でなら「回」とか「度」とかいった語にあたる。
 しかし、私自身が耳にして来た範囲内にあっては、この語が南信濃で使われる場面はとなると、ずっと狭くてあるようなのである。たとえばのことに、用例文中のように「百くら」とか「二百っくら」だなどというような、いわば〈切り〉のよい、そしてまたそれなりの〈まとまり〉を感じさせるような数値に対して用いられた場にしか、私としては遭遇していないのである。
 それゆえに、その先が謎めくのである。このことばの由来については、確かなことはわからないのだが、それでも思いを誘われる。たとえば「いくら呼んでも返事が無い」などといったときに用いるところの、不定の数量を示す「いくら」ということばの後半部分が残存したもののようにも思われたりもするからである。
 『全国方言辞典』によれば、福島県では「人馬の往復の回数」をさして「くら」といってきている――との旨が、記録されてある。そこでは、馬に鞍を取りつけたり外したりするその一回一回を数える単位として、そのままに「くら」と言っていたのだろうか。彼の地で使われてきた語と同じルーツを以ってして、南信濃でも使って来たのだとすれば、やはり「鞍」から来ていることばかもしれない――と思われないでもない。
 同辞典にはまた、このことばを「回数を示す語」として用いる地域として、石川・新潟・長野・静岡・愛知・三重・和歌山県の名を挙げ、「祭がふたクラあった」という用例をも掲げてある。
 しかるに、南信濃では、この「くら」はどんな数字に対してもむやみに添えられるというわけではないようで、そうそう遭遇した記憶がない。せいぜいが用例のような範疇にとどまるのではないかなどと私には思われるのだが、断定はできない。飯田弁がそうした数値限定の用法となつているのならば、なおさらにおもしろい――とは言い得るけれども。

 中馬街道だったから?(2):2020・03・22 掲載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?