「うてとる」ものなら……

 いかに人形劇の町だとか焼肉屋の多い町だのを標榜してはいても、国内の多くの人たちにあっては、飯田という都市があるということさえも知らないのではないだろうか……と、私は推量してみている。いずれリニア新幹線が通るようになれば、知名度がぐんと上がることだろうけれども、少なくとも目下は、知っている人よりも知らない人の方が多いだろう。そうしたことは、出かけた先々での他国の人たちとやりとりをするにつけて、感じられるところである。もとよりさしたる根拠があっての言いではないから、反駁されたとしてもあ敢えて抗弁するものではないし、また否定されたところで私としてはいささかも悲しむことでもない。
 とにもかくにも、である。全国的な視野で客観的に見るならば、飯田は田舎も田舎、大田舎の小さな都市である。首都東京から、公共の交通機関を使って三時間以内にたど辿りつけない地域を探索してみると、半径三百㎞以内の地では、我らが飯田地域と木曽谷だけなのである。先に「飯田弁にひそむ蝙蝠(4)」で示した特異な空間と、まったく合致しているのである。これは中学校の社会科の教科書にもそうした地図が載っていて、まぎ紛れもないことである。だからといって、私は、南信濃が僻地であり田舎であることに屈託を覚えているのではない。その逆に、むしろ内心に喜んでさえ来ていたのである。
 しかし、いまはそのような私的な思いを、あれこれ書こうというものではない。飯田が田舎であるということと飯田弁との関わりの一例を、記してみようと思う。
 江戸時代の朱子学者で「読史余論」や「折たく柴の記」で知られている新井白石は、田舎にこそ古いことばが残っている旨を、既に江戸時代に看破してそう記している。まったくその通りなのだ――と、私も思うのだけれど、今日に及んでもなお残存していることばがたくさんあるということは、飯田地方が大田舎であってくれたお蔭だと言うよりない。
 それにつけても、である。南信濃は奈良・平安朝の昔から、東国の要衝として西国との往来があったから、そうした西つ方のことばも伝播流入して来た。それゆえに、ことばにあっては、南信濃がどん詰まりの果ての地となっていて残存して来ていると認められるべき語がたくさんあるように思われる。
 もちろん消え去ってしまった語こそが圧倒的に多かったのだろうけれども、運よくというかうまいぐあいにというか、この地にあって命脈を保ちつづけている語も少なくない。命脈を保ちつづけているのには、それぞれにそれなりの背景が認められるのだけれど、私には「うてる」というこのことばの幸運を思いやってみているのである。
*   *   *
うてる〔uteru〕【下一段動詞】《低高低》
 「よかったらおあがりておくれんかな」
 「あれ、桃じゃないかな。それもどうでたくさん。そんねんいただいちまっちゃ……」
 「それがなぁ、せっかくもいだんだに、途中でかご籠さら落といちまったんな。あっちこっちうてとるらけぇど、そいでもよかったら、おあがりておくれりゃぁと思って……」
 「はれ、そうでおありたのかな。気の毒に……。ちっとばかうてとったって、わしらぁは、どうっちゅうこたぁないもの。喜んでいただくに」
*   *   *
 たいていの果物が、打ち身になると、そうした部分から変色してぐずぐずになり、腐れて行く。なかでも桃などはその最たるものの一つで、ちょっとつまんでみただけでさえそうなって行ってしまう。
 そうした組織の崩壊や腐れをもたらすような打撃が与えられて、変質することを「うてる」という。またそのようになって変色したり腐り始めている状態をさして、飯田人は「うてとる」〔「うてておる〕の縮約形〕と言って来ている。
 この「うてる」は、古くからのことばではあるけれで、あまり勢力を持ち得なかったように推察される語である。他郷にあっては、「うてる」だの「うてとる」だのと言っても、すぐにはその意味を諒解してはもらえないことばである。私自身にもそうした経験がある。
 そればかりか、わずかに使われて来ている山陰地方や三重県などでは、この語は〈魚が腐ったり死んで浮いたりする〉のに使われていたようである。されば、本来が魚介類の変質をいったことばかもしれない。だとすれば、飯田弁における「うてる」の存在は、語の意味合いとしてはいかにも異色だということにもなる。
 南信濃にあっては、今や果樹栽培は基幹産業の一つとなっている。果樹産業が盛んであり、また果物の豊富な南信濃であればこそ、この語は使われる対象を〈魚〉から〈果実〉に乗り換えてでも、日常的に用いられて命脈を保つことが出来たのだろう……と、私は推量してみるのである。

   2020・07・25 掲載

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