文を書く勇気

「書く習慣」で脳は本気になる/茂木健一郎

文書を「書く」というか、何かを表現することを習慣化させたくこの手の本をよく読んでいる。
この本はオーディブルで読んだ(聞いた?)のだが、感想が薄っぺらいのはこうして感想を「書く」ことを想定して聞いてなかった証拠だ。茂木先生ごめんなさい。でもこうして書くことを始めました。
自分の考えを言語化することによって、なんやかんやあって脳がやる気になる、らしい。人間の脳とは案外単純だ。
この世には「書くと夢が叶う!」的な本が溢れているが、こんなにも実例があるということはそうなんだろう。問題は、書くことの一歩を踏み出せるかどうか。
今まで、何回も日記にチャレンジしたがどうも続かなかった。もう机に向かってノートを開いてペンを持つという一連の流れのハードルが高い。何かを書くというレベルではない。そのハードルの高さに気づいて今はスマホで書くことにとりあえず落ち着いている。
しかしスマホを使ってでもこうして書くことにしたのは、「自分で自分が、本当は何をしたいのか分からない」から。月並みな悩みというか、お前いくつだまだそんなこと言ってるのかという感じだが、これが現実なんだから仕方がない。
いや、何がしたいかは多分分かっている。人生で最初に思い描いた夢は漫画家だし、小学6年生では初めて小説(っぽいもの)を書いた。中学生の最初の方は文芸部に所属し、大学では美術部に入り社会人になってからも、結果はともかく短編小説の公募を出している。少し人生を振り返っただけでも、どういう形であれ何かを表現したいのだなと思う。
ただ、好きなことで生きていくには、才能も努力も覚悟もなかったから今ここにいるという現実がある。
実業や表現者として自分の力一つで身を立てている人は口を言う。組織の中で小さくまとまって生きるな、飛び出せと。茂木先生の、「脱藩しろ」もそうだ。立場の安定(現代では会社勤めが安定とは決して言えないが…)と引き換えに、色々なものを失ってきた気がする。文章を書いたり、表現することでそれさえも昇華できたらもう少し人生が楽しくなりそう?

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