スクリャービン・シンセサイザー 第2番 解説

 スクリャービンはサティを別にすれば、西洋音楽史の中でおそらく初めて音楽を時間の外で考えた作曲家だった。サティとはまったく違い、語法としては終生ロマン主義から離れることはなかったものの、思想としてはロマン主義の延長で、サウンド・アートともいえる領域に踏み込んでいた。
 《スクリャービン・シンセサイザー》はスクリャービンの神秘和音をサウンド・アートの実践としてとらえ、それを20世紀の音響合成技術の中から再検討する試みである。

 神秘和音は四度音程を六個堆積した和音であるが、スクリャービンの弟子 Leonid Sabaneyev はこれを自然倍音列から解釈した。Sabaneevは8から14までの自然倍音列から12を抜いたものと考えたが、音響合成の知識があればすぐ気づくように、これは奇数倍音列の最初の7つ(1, 3, 5, 7, 9, 11, 13)から2番めにあたる第3倍音を取り除いたものである。奇数倍音の堆積はアナログ音響合成における減算合成において基本となる三角波、矩形波を作り出すものであり、特に矩形波はON/OFFの繰り返しとして、デジタルという概念そのものでもある点はここで強調しておくべきだろう。あなたが電灯のスイッチのON/OFFを一定の周期で繰り返したならば、実はそれは奇数倍音列の集積を奏でているのである。(ちなみに奇数倍音は閉管による共鳴の特徴でもあるが、スクリャービンが格別クラリネットの音色に関心を持った形跡は残念ながらない。)
 神秘和音のユニークさは第3倍音であるところの五度音程をこの自然倍音列から取り除いている点である。ひとつの考え方をすれば五度音程の累積が調性の基本をなすものであり、その欠落は神秘和音が調性を生み出さない、逆の言い方をすれば調性から生まれたものではないことを示す。
 音響学の知識がほとんどなかったスクリャービンがこのような理論的なアプローチを通して神秘和音に到達したとは考えられず、これが偶然である可能性はゼロではないが、スクリャービンが感覚的に読み取っていたものとして以上のような理論を組み立てるのは十分可能であろう。もしかするとスクリャービンのポリリズムもここから理解できるかもしれない。神秘和音が全面的に使われた《焔に向かって》では5:9のポリリズムが多用されるが、これは面白いことに平均律による神秘和音の構成音のうち最も自然倍音に近い、第四音と第六音の周波数比に正確に一致する。自然倍音列をひたすら追っていけば、たいがいの音程は求められるのであり、恣意的であるとの批判もありえるが、これが奇数次倍音列であることは無視できない。自然倍音列を基礎にした解釈としては一番的をえたものでろう。スクリャービンの創作史を見ていくならば、神秘和音が三度音程を基礎にした属七和音の変形に由来するものであることははっきりしているが、スクリャービンが神秘和音をカデンツを持たない主和音と見なしたことを考えると奇数次倍音列をもとに考える方がはるかに意味がある。それは近代和声法の亜種ではない。
 むしろ看過できない問題は、自然倍音列が平均律と相容れないものである点であるが、スクリャービンは少なくとも最初の2音の増四度音程が少し狭いことに気づいていた。第11次倍音を転回して得られる増四度は49セント低く、実際には完全四度と増四度のほぼ中間に位置する。和音の第二音としてわざわざこのような不安定な音程が最初にくることこそ、神秘和音の特異性を示すものであるが、平均律上では上方へ増四度、下方へ増四度をとると、その音程が完全八度になることも示唆的である。奇数倍音列はオクターヴ(2, 4, 8...倍音)を持たないが、第11倍音を平均律化することによってオクターヴが引き出される。このように神秘和音は自然倍音列と平均律の両方に根ざしている。ちなみにこの増四度が四分音低いことから、スクリャービンの後継者たる Ivan Wyschnegradsky や Arseny Avraamov の四分音の探求が始まるが、ここではそこまでは追わない。

 ここで強調したいのは、このような解釈によって、実は神秘和音は複数の音の集まりではなく、それ自体の性格を持った一個の音響であることが明らかになる、ということにつきる。それは他の音との関係において存在するのではなく、それ自体として鳴り続ける。スクリャービンが時間の外で音楽を考えた、というのはこのことであって、これはすでに音楽ではない。

 Nikolai Roslavetsと Nikolai Obukhovは神秘和音のアイデアを推し進めることによって独自の12音技法に達した。それはシェーンベルクのそれとは違い、スクリャービンが和音を旋律の構成音(プロメテウス・スケール)として使用したように、最大12音からなる和音を時間軸上に展開するものだった。それは神秘和音が本質的に時間に依拠しないように、順序を本質的な要素として持たないことによって、シェーンベルクの12音技法及び、その後のセリエリズムとは決定的に異なる。敢えていうならばそれは Josef Matthias Hauer の12音技法に近い。ついでにいえば Hauer の東洋趣味の色濃い神秘主義はスクリャービンと似通っているし、永遠に鳴り響くひとつの音響というイメージは Wyschnegradsky にも共通していた。
 この神秘主義は、スクリャービンが傾倒した神智学よりも、Nikolai Fyodorov に始まるロシア宇宙主義の系譜で考えるほうがよいだろう。死者の復活と不死による時間の制約を超えた超人類という概念は神秘和音と思想的に対応する。ニーチェへのスクリャービンの心酔はいうまでもない。われわれは永遠に反復する世界に生きているのだ。
 さらに付け加えるなら、和音と旋律は一致はジョージ・ラッセルによって理論化されたところのモダン・ジャズの即興として一般化した。ラッセルはイオニアン・モードではなく、リディアン・モードをその基礎に置いたが、これが完全四度と増四度の対立であることは偶然だろうか。ラッセルの理論は自然倍音列ではなく五度圏にその基礎を置いているが、むしろ自然倍音列から考えると見えてくることがあるかもしれない。

 よく知られるようにスクリャービンは共感覚の持ち主であり、《プロメテウス》での色光オルガンの使用に顕著なように聴覚と視覚のつながりを重視していた。このことと初期の音響合成技術がもっぱら光から音への変換をその根底を置いていたのには直接のつながりがある。光学フィルムをその技術的基礎として音響合成の最初の実験がまさにスクリャービンの後継者であるロシアの作曲家たちによって始まった。その極めて早い例として、スクリャービンの死後一年にしてその強い影響のもと Vladimir Rossiné はガラス版に描いた絵画と光センサーによって発振器をコントロールする電子楽器を発表している。回転盤によって制御されるそれは始まりも終わりも持たない音響を作り上げ、すでにスクリャービンの夢を実現していた。そして1920-30年代のテクノロジーの成熟によって、共感覚 (synesthesia) は合成 (synthesis) へと移行した。Avraamov はグループ Multzvuk をモスフィルム内に設立し、フィルムや紙に直接音を描き込むことによる音の合成を1930年におこなった。それは Alexei Voinov による Nivotone によってひとつの形になり、その系譜はまさしくスクリャービンの頭文字をとった ANSシンセサイザーによって完成することになる。1930年代から1950年代までかけて開発されたこのシンセサイザーはガラス板に書かれた図形をスキャンし、リアルタイムで10オクターヴ72平均律、720ポリフォニックの正弦波で音響に変換する。ANSシンセサイザーはソヴィエトの「公式」の電子楽器としてシュニトケ、デニソフ、グバイドゥーリナといった作曲家によって使われただけでなく、A. タルコフスキーのための Eduard Artemyev によるフィルム・スコアを通して最もよく知られている。映画《ソラリス》の電子音はANSシンセサイザーによって合成されたものである。ちなみに Avraamov は四分音とは別に、レーニンの声を合成することで、革命主体としてのレーニンを不死のものとすることを音響合成の目的に据えていた(これは実現には程遠かったにせよ声の電気的合成の最初のアイデアであり、いまようやくニューラルネットワークによって実用に達した)。ここには科学と唯物論によって時間を超えるという神秘主義の逆説が見受けられる。

 スクリャービンは1915年まで生きたが不思議なことに同時代のロシアの前衛にほとんど関心を持った形跡がない。なんといっても1915年にマレーヴィッチは黒の正方形をカンヴァスの上に描いており、未来派を始めとしてロシア芸術が世界の先端に突出した時期であり、スクリャービンの強い影響下から出発した、Artur Lourié 、Roslavets 、Obukhovのいずれもがスクリャービンを超えて既に革新的な語法に到達していた。スクリャービンのおそらく唯一のロシア・アヴァンギャルドへの関心が、V. フレーブニコフ、A.クルチョーノフらによるザウミに対するものだったことは興味深い。同時代のダダの音響詩と比較される「超意味言語」の試みはあとから振り返って見れば、当時の音響実験の最も過激なものであると同時にスクリャービン好みの象徴主義と東洋趣味に満ちたものだった。スクリャービンはその未完の神秘劇の中にザウミにインスパイアされたささやきによる合唱を組み込もうとしていた。このような声の拡大は音楽の領域では数年後のObukhovの作品の中で実現している。

 《スクリャービン・シンセサイザー》はそもそもベルリンでのサウンド・インスタレーションのために第1番が構想され、第2番はANSシンセサイザーによる合成音とピアノのための作品を予定していた。モスクワの国立博物館にただ一台現存するANSシンセサイザーを使った録音は2年越しの交渉の末にロシア文化省と覚書を交わすところまで行き、実現すれば十数年ぶりのANSシンセサイザーの使用になるはずだった。しかしすべてがコロナ禍でキャンセルを余儀なくされ、第1番は電子音響のアルバムとして、第2番はANSシンセサイザーなして実現することになった。第1番、第2番ともに電子音の素材は正弦波を自然倍音列に基づいた神秘和音の比率をもとにコンピュータ上で操作することで得られている。第2番では《焔に向かって》との関連からEの音を基音に据えている。
 まったくそうは聞こえないところでも、すべての音はその瞬間には神秘和音の比率に基づいており、それは周波数の関係だけではなく、音の定位にも及んでいる。素材は基本的に正弦波だけであり、原理的にはすべて加算合成である。単純な神秘和音だけではなく、基礎となるひとつの神秘和音の各構成音を基音とした計6つの神秘和音のさまざまな組み合わせ、その周波数比に更に一定の数を掛け合わせる(その乗数そのものが別の数と神秘和音の比率関係を保持する)ことによる正弦波のクラスター、基音の周波数を別の正弦波でコントロールする、また比率関係を逆転することで得られる高域から低域に伸びる神秘和音(サブトーンによる音響合成、スペクトル反転)などが使われる。まったくひとつの音に聞こえる場合でも、それは自然倍音列から第3次倍音を抜き、第13倍音までを三角波、矩形波に準拠した減衰比率で並べたものであったりする。最初の数分でゆっくり姿をあらわす和音は非常に低いE音を基音とした純粋な自然倍音列神秘和音であり、最後の和音では自然倍音列神秘和音の各構成音が上記の倍音構造を持っている。現実の鳴り響く音を超えた領域にまで、神秘和音の比率は敷衍されており、これは最晩年のスクリャービンが魅せられていたであろう数秘術に近い。

 減算合成(フィルター)が例外的に使われるのがヴォコーダー部分である。ヴォコーダーの採用は人声を通してスクリャービンのザウミに対する関心に対応し、ヴォコーダーが音声変調技術の最初のものであるだけではない。ヴォコーダーが順序によらない暗号技術であることによって神秘和音の性格にまさしく一致していることによる。
 ヴォコーダーは1930年代に秘密通信技術として開発、利用されたがその少しあとに開発された同用途の技術が周波数ホッピングである。後に音楽に大々的に転用されたヴォコーダーと異なり、本来音楽とはなんの関係もないが、著名な女優でもある H.ラマーはこれを作曲家の G.アンタイルとともに開発した。アンタイルの貢献は周波数の切り替えをおこなう機構部分であり、そこに自動ピアノを転用した。ヴォコーダーは1つの声を並行する複数の信号に分解するが、周波数ホッピングは順列によって分解する。これはまったくスクリャービンの神秘和音及びRoslavets の12音技法と、シェーンベルクの12音技法の対立に相当する。(ちなみに、この2つの技術がそれぞれ現代の携帯電話とWi-Fiの基礎になっているのは面白い)。実際には聞き取ることはほとんどできないが、テキストとして、早世したがゆえにあまり知られることのないロシア・アヴァンギャルドの重要作家 Olga Rozanova が1916年頃に書いたザウミを自由に翻案して使用している。

 すべてが自然倍音列による神秘和音の展開である電子音パートに対して、ピアノパートはすべてがスクリャービンがそのピアノ曲で使ったのと同じ、平均律による神秘和音の展開である。プロメテウス・スケールの考え方と同じく、旋律は神秘和音の構成音を時間軸上に展開するという方法をとるが、先に述べたようにオクターヴは神秘和音の基本原理ではないので、ピアノの中心のEを基音にした神秘和音の各音を基音にした6つの神秘和音及び、同じ中心のEから反転して(平均律上のサブ・トーンになる)低音側に拡がる6つの神秘和音からすべての旋律的要素を導き出している。したがってこのスケールは音域の両端に近い方で音程関係が密になる傾向を持つ。おそらくは偶然だがよく知られた旋法も登場する。時間軸を統制する原理は存在しないが、リズムには《焔に向かって》をいくつか引用、パラフレーズしている。時には奏者が断片を即興的に演奏する。

 《スクリャービン・シンセサイザー 第2番》は20世紀のモダニズムの影の潮流の夢、テクノロジーと神秘主義の結託を、ピアノという19世紀のデジタル技術と、21世紀のデジタル技術を用いて批判的に実現させるものである。


2020年12月15日 東京オペラシティ・リサイタルホール《B→C保屋野美和》にて初演。


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