嘘つきな私
私は嘘つきです。相手に不快感を与えない話し方ばかりしています。それは「相手からの承認を得たい」「相手に嫌われたくない」という気持ちが強いからだと思います。
例えば、会社の上司からオペラに誘われたとします。オペラって、とても好きな人もいる反面で、嫌いな人、興味のない人が多いのも事実です。でも興味のない人でも「この人には嫌われたくない」という人からオペラに誘われたら、ちょっと断りにくいかもしれませんね。「オペラですか~、行きたいのは山々なのですが~、明日ですよね~。明後日だったら大丈夫だったのですが明日は父と会うことになっていまして、父も会いたそうにしているものですから、なかなか断りにくくて~」とそんな言い訳の言葉が、麗しい言葉になって口から出てきてしまうわけです。綺麗な言葉に聞こえて、相手が嫌な気持ちにならないで済む。
一見すると、これはいい言葉、相手の為に言っているのだからいいじゃないか、というふうに思われるかもしれませんが、麗しい言葉で取り繕おうとしていること自体が、他者からの承認を気にして自らを苦しめているのです。こんな具合に、本当は思っていないことを言って「いい人ぶる」のって、結構ストレスが溜まりますよね。こうして嘘をつき、気に入られたいから「へぇ、すごいですね~」などと、思ってもいないオベンチャラを言うとき、私たちは相手からの承認を失いたくないばかりに「嘘や背伸び」をして疲れているのです。
もし「えっ、オペラ。嫌いなので全く行きたくないです、申し訳ありません」というように、自分の気持ちを明け透けに伝えるのは、好ましいか否かはともかく、正直であり、裏表がない分だけ清々しく、また害は少ない、と言えると思います。ですから、へたに偽善的なことばかり言って本音を隠す人よりも、本音トークをする人の方がより安心感があり、好まれることもあるのだと思われます。
喫茶店なんかでコーヒーを飲んでいて、周りに、とても大きな声で話しているグループがいた時に、誰かが何かについて「○○はいいよね~」という発言をしたら、ちゃんと吟味してどういうふうにいいのかを考える時間などないだろうなぁ、というスピードで、他のみんなが「そうよね~、そうだよね~」という感じで相槌を打ち合う。
それで本気で思ってもいないのに過剰に同意する害というのは、「いや、本当の自分の気持ちはそうではないのになぁ」という自己不全感を蓄積していくことになる。
また、人から本を借りて返す時に感想を求められたら、つい表情を引きつらせながら「面白かったです」とか「楽しかったです」とか、ですね。「面白かったです」と言うだけだと、嘘っぽく聞こえるかなぁ」だなんて思い始めると、思ってもいない言葉をひねり出して「奥深かったです」とか話してしまいます。
あるいは、本当の自分はもう少し暗い人間かもしれないのに、人といると勝手にテンションが上がって妙に明るく振舞ってしまう、なんてこともあるものですが、おそらくこれにも「他者に認められたい」という承認の問題がこびり付いています。以前、テンションが上がって明るかったときに、一緒にいた人たちに受け入れられ溶け込みやすかった(=承認された)という過去の記憶がこびり付いているので、明るく振る舞わないと承認されないんじゃないだろうか、という教訓に基づいて、いつの間にか、場の空気を読んで「過剰反応」してしまう。そこまでしなくても、十分に承認されることができるのに。
また話をしていて、あるとき、ふとギャグを言って笑ってもらったことがあるとします。笑ってもらえるのは承認されていると感じられますから、嬉しいものです。けれども、それに味をしめて、もっと笑ってもらうためにギャグをいっぱい言わなきゃと調子に乗り始めると、ちょっとしんどくなる。最初にポロッと出たギャグに対しては「自己不全感」というのはそんなにありません、自然な行為ですから。
ところが、一度笑ってもらったのに味をしめて、承認を得るためにギャグを言わなければならないという感じになってくると、心が自然体ではいられなくなり、背伸びしようとして落ち着きが失われていく。言い方を換えれば、ドンドン自己不全感が増大していく。本当はもっと自然体で楽にしていたのに、頑張らなければならない。この「何々しなければならない」「ねばならない」というのがいつの間にか私たちを縛ります。
一見すると、ギャグを言うとか、楽しくするということは、楽しむのですから「ねばならない」とは対極のようですが、実は「ねばならない」というのは、楽しむということと一緒にこびり付く、共犯関係になりやすいものです。
なぜなら、人と一緒にいて楽しい時や笑っているような時は、相手に承認されている感じがするので、ついつい「楽しまねばならない」という努力・義務を背負い込む羽目になる。
現代社会では躁うつ病に陥る人が増えていると言われます。人前にいるときだけ躁状態なのに、一人になったらうつ状態になり、また人に会ったら躁状態になり、ということを繰り返している元凶の一つには、承認されたいという欲望に基づいて、空気を読んで演じなければならないことがあるからです。
演じれば演じるほど、過剰適応すればするほど、自己不全感は増していくのです。本当はもっと楽にしていたいのに、本当はもっとこういうことを言いたいのに、本当はこういう意見もあるのに、ということを抑え込む方向へと、ついつい進みたくなる。結果として、それがストレスになっていく。
そうして背伸びしていることに自分も気づかない。罪は深いのです。私もそんな状況を自ら作ってしまう愚か者です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?