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2024度版財政検証結果を読む

先週7月3日、2024年財政検証結果が厚生労働省より公表された。
財政検証は2004年に行われた年金制度改正よって定められ、その目的は年金制度が安定に運用されていることを証明することにある。
財政検証で最も注目されるポイントは<所得代替率>すなわち、現役世代のボーナスを含めた手取り収入額の何割を、将来年金として受給できるかを示す割合である。2004年の年金制度改革で示された《100年あんしんプラン》では、所得代替率が50%を割ることが見込まれた場合は、給付と負担のあり方を含めた年金制度の抜本的は再検討を行うとされている。
年金制度は、国民が老後資産を政府に付託することで成り立っているのは言うまでもない。所得代替率を50%以上で維持することは国民の負託に最低限応えるということで、万一その最低限の義務が果たせない事態になれば保険としての機能を失うことになり、政府の信用失墜にもつながりかねない一大事となる。
5年に一度公表される財政検証は年金財政の成績表とも言え、株主や投資家にとっての有価証券報告書や運用報告書にも似た性格を持っており、年金保険加入者(≒全世帯)は自分事として関心を持つべきであると考える。そこで、私なりに今般の財政検証を読んだ結果をまとめてみたい。


2024年度財政検証結果のあらまし

まず先に、財政検証の結果をながめてみたい。

令和6(2024)年財政検証結果の概要より

上図のように、“高成長実現ケース”から“1人当たりゼロ成長ケース”まで4つのケースを設けて将来の見通しの分析結果を紹介している。
最も悲観的なケースである“1人当たりゼロ成長ケース”を辿れば、2059年度には積立金も枯渇するといった事態に見舞われる。ただ、50%を割り込むと予想される時期は35年後の2059年度(50.1%)とされているため、年金法に従えば、2054年度の財政検証で抜本的な改革を検討することになろう(果たしてそれで間に合うのかは大いに疑問だが)。
図の上部に“足下の所得代替率“として、2024年度が61.2%であることが示されている。そのより詳細な根拠は下表のとおりである。

財政検証詳細結果等1(Zipファイル)[ZIP形式:28,301KB]より

つまり、最も優良なケースである“高成長実現ケース”であっても、15年後(つまり今の50歳代以前の世代に給付される年金額)の所得代替率は4.3%落ち込むということになる。
財政検証を行うには、物価や実質賃金といった財政に直接作用する要因に加え、出生率や死亡率、外国人の入国超過数といった人口動態にも大きく関係し、それぞれに高位・中位・低位に分けて検証を行っている。それらを下表にまとめた。

公開されたCSVファイルをもとに作表

以上が、2024年度の財政検証のあらましである。

財政検証で疑問に感じた前提値

このように、財政検証にはかなり多くの前提条件によって成り立っている。裏返すと、前提条件が狂えば結果は大きく変わってしまうということである。そこで、今回同時に公開された“財政検証詳細結果等“に置かれているCSVファイルをみたところ、いくつかの気になる点が浮かんできた。そのなかで最も疑問に感じた点は実質賃金の推移である。
財政検証で示された実質賃金の推移に、厚生労働省の労働経済分析の実績値を加えて具ラグ化すると、以下のようになる(2023年の数値は速報値を使用)。

緑で囲った部分がこれまでの実績値、ピンクの部分が今回の財政検証の前提値

ここで疑問に感じるのは実質賃金の推定値がいずれのケースでも多寡の差はあるものの実質賃金が前年度より上昇している点である。さらに、年度によっては実質賃金が急激に変動すると予想した箇所もみられる。

実質賃金が大きく変化するとされた年度とその割合

今年の春闘では、中小企業も含め大幅なベースアップが実現したが、一方で円安や原油価格の高騰による物価高も続いている。下の表は2024年3月15日付日本経済新聞の記事から引用したものだが、果たしてこのベースアップだけで実質賃金が大きく伸びるものなのだろうか?

2024年3月15日付日本経済新聞の記事から

実質賃金は物価に影響を受けることから、同一条件の下で物価上昇率もグラフ化してみた。

緑で囲った部分がこれまでの実績値、ピンクの部分が今回の財政検証の前提値

“高成長実現ケース”と“成長型経済移行・継続ケース”はともに2026年度以降2.0%で推移するとみており、“過去30年投影ケース”では“2028年度以降0.8%で推移し、” 1人当たりゼロ成長ケース”では2034年度に0.4%まで落ち込むとされている。
たしかに、2021年から2023年にかけての物価は円安と原油高などによって急上昇しており、それが実質賃金の急激な落ち込みを招いたことは疑いようもない。しかし、2023年から2024年にかけての物価変動はさほど大きいものではない。賃金水準がさらに大きく上昇しない限り推定値が示すような実質所得が急上昇する要因にはならないように感じる。こうした疑問から物価上昇率の推移グラフを眺めていると、予測値が政府の物価目標である+2.0%に収斂させようとしているようにも感じてしまう。
誤解して欲しくないが、今回の財政検証結果を否定するために疑問を呈したわけではない。あくまで私が感じた素朴な疑問に過ぎず、自身の思い違いなどもあるのかも知れない(その際はぜひご指摘いただきたい)。ただ、様々な数値を駆使して検証を加えた結果であるがゆえに、前提となる数値は極力客観性を持たせる必要があると思う。合計特殊出生率や死亡率の低位・中位・高位の予測値は、国立社会保障・人口問題研究所の『日本の将来推計人口(令和5年推計) 詳細結果表』に依っていることが資料を探った結果分かったが、前提値についてはぜひ個々の出典を明らかにしてもらいたい。なぜなら、出典を探ることで各々のケースが成り立つ際の条件を知ることができ、課題をより深く考察することができるからだ。

年金行政は独立しては存在し得ない

さて、報告書を読んで感じたことは、いずれのケースであっても足下(2024年度)の所得代替率61.2%を維持することができないということである。年金生活者の一人としての皮膚感覚からすれば、一切預金に手を付けず支給される年金のみで生活を営んでいる高齢者世帯はむしろ少数派ではないかと感じる。病気や介護などで不慮の出費を強いられるケースは多分に想定される。そう考えると、足下の所得代替率は現実的には既に最低ラインではないかと思うのだが、いかがなものだろうか。
“高成長実現ケース”や“成長型経済移行・継続ケース”では、現役世代の手取り収入が増えることで所得代替率は相対的に低くなる。

現役時代の収入の約半分で生活を営み、さらに不慮の出費にも備えるとすれば、かなりの倹約努力が求められる。行き過ぎた倹約志向は消費意欲を鈍らせ、結果的に経済に悪影響を及ぼしかねない。それによって2%の物価目標が崩れ、過去30年投影ケースや、悪くすればゼロ成長ケースに転落してしまう可能性すらある。
前回(2019年)の財政検証後に金融庁が公表して大きな問題となった「老後2000万円問題」は、実に正鵠を得た提言だったと感じている。政府はこの提言に対して躍起となって否定に努めたが、そこには《100年あんしん年金》というタテマエを堅持したいという意識が強く働いたのではないだろうか。これまでの財政検証結果を読むたびに、年金財政(年金積立金)を含めた年金制度の堅持に主眼が置かれているように感じてしまうのは果たして私だけなのだろうか?
年金財政を安定化させ年金積立金の維持を図ることは実に重い政策課題には違いないが、年金制度の究極の目的は、現役世代が将来への不安を抱くことなく子育てはじめ経済活動に励める環境を実現することにある。政府日銀が求めているインフレ率2%目標は、こうした旺盛な経済活動の結果実現するのであって、そのためにも年金制度の果たすべき役割は極めて重要であると考える。

社会環境に見合った年金制度の抜本改革の必要性

現在の二階建ての年金制度は、1986年(昭和61年)に行われた基礎年金の組み入れが発端である。この改革によって『皆年金』体制を維持しつつも、均一の最低保障年金を基礎に、被用者年金は報酬比例年金を上乗せするといった二階建ての体系に再編成された。
1985年と2025年の人口ピラミッドを国立社会保障・人口問題研究所の資料より引用すると、かなり形に変化がみられる。

人口ピラミッド」国立社会保障・人口問題研究所より

こうした人口構成上の変化を視野に入れれば、年金制度そのものの抜本的な改革に着手すべき時期は既に到来していると考える。2004年の年金改正法によれば、5年後の次期財政検証において所得代替率が50%を割り込むと想定された場合は抜本的改革を行うとされているが、制度の影響力と複雑性を勘案すれば、5年間で改革が完了するとは到底思えない。
昨年2月に、「年金制度における今後の課題」と題するブログを、このNOTEに投稿した。その際に年金の改革案を提起したが、これは、私の属しているNPO法人EABuSが各界の有識者を集め「デジタル社会のグランドデザイン検討部会」として集中的に行った検討結果の一部でもある。我々の考える年金の改革案は、そちらを参照願えれば幸いである。

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