心を病んだ場合の話


当事者として大切なこと
・「今の自分は健康じゃない」と潔く認める
・自分の健康を最優先に考え、休む決断をする
(休んでも世界は終わらない)
・不特定多数の人に自分をジャッジされるような場に行かない
・適切な治療を受ける

関係者として大切なこと
・当事者の状態や環境を、絶対に他者と比較しない
・「話を聞く」に徹し、当事者の発言の正誤を無闇に判断しない
・当事者の発言や選択を無闇に否定しない
・希死念慮に対しては、「死ぬな」と言わない
(「あなたが死んだらわたしは悲しい」と伝え続ける、というのが今の所の個人的見解)
・当事者が元気になり始めてきた時こそ要注意
(湧いてきたエネルギーを、ポジティブなことではなく終わらせることに使ってしまうことがある)

あくまで、自分の経験と拙い知識から捻り出した個人的見解です。

心を病んだ人に対して、
周囲の人間としての接し方が本当に難しい。
どこからが病気でどこからが甘えかとよく言われるけど、そんな線引きは存在しないはず。
そもそも、医者以外の他者が判断していいことではないはずだと思うから。
本人がもう無理だと言うなら無理。それが正。

だとしてもどうしても、
本人の閾値が低くないか?と思ってしまうこともあるかもしれない。
キャパシティに個人差があるのは確かだから。
もしそう思ってしまったら、
親しい間柄でないならばきっと口出しすべきではない。
「そんなことで?」ってわざわざ攻撃しにいくことの愚かさたるや、、


話は変わるようだけど、
「本人の力でどうにもならないことに関しては、褒めることもわりかしタブー」という欧米的価値観があるようで、それってとてもいいなあと思うんです。
ぱっちり二重のくりくりお目目も、
9頭身のスタイルも、透き通るような色白の肌も、
本人にとってみたらコンプレックスかもしれないんですよね。

だからその代わりに、
「本人の選択や意思を褒める」んだそうです。
そのパーカーいいね!とか、
今日の髪型素敵ね!とか。いいよね。

見た目の話だけでなく、パーソナリティ的なことも。
本人の選択と意思、そこから生まれる結果を讃える。
こっちは見た目の話より少し難しいけど。

そういう価値観を持っていたいなあって思います。
簡単じゃないんだけど。

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