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【声劇】記憶屋紫苑(3人用)

利用規約:https://note.com/actors_off/n/n759c2c3b1f08

♂:♀=1:2
約60 分~70分
上演の際は作者名とリンクの記載をお願いします。
【声劇 記憶屋紫苑】
♀ゆかり=苑田ゆかり。大学生で、人生をほとほと諦めている。一人称はボク。
♂紫苑=紬 紫苑。記憶屋の店主。男性推奨だが女性でも可。
♀タチ=草薙タチ。祓い屋の女の子。



***
 
紫苑:「記憶屋紫苑へ、ようこそ」
 
***
 
ゆかりM:「授業終わりに一服しないと、この世の不条理を浄化出来ない。そんな体になってしまった。友人からは『煙草にハマるなよ』と忠告を受けていたのに。体に染み付いたこの煙の匂いは、ボクを掴んで離さない。今日は、一服せずに帰る予定だった。でも、ボクみたいな弱虫は、欲に負けてその罪悪感を煙に巻く。そんな生活しか送れない。(煙草を吸い、煙を吐く)大人になったけど、酒も煙草もつまらない。昔憧れた輝きも、もうここにはいない。……この吸いさしの煙草で、この小さな火で、世界が終わってくれたら、どんなにいいだろうか。そんなことを考えながら、ボクは今日も煙草をみこんだ」
(SE:ガララ)

紫苑:「お隣、よろしいですか?」

ゆかり:「どうぞ」

紫苑:「ありがとうございます」

ゆかりM:「ここは駅中デパート7階の喫煙所、平日の昼間にこんな紳士が入って来るだなんて」

紫苑:「(煙草を吸って吐く)……おや、どうなさいました?」

ゆかり:「い、いえ」

ゆかりM:「目が合っただけで用があると思うだなんて、自意識過剰な人だ。もう一本吸おうと思っていたけど、今吸っているものが終わったらさっさと出ていこう」

ゆかり:「(煙草を吸って、吐く)」

紫苑:「(煙草を吸って)……あの」

ゆかり:「……え?ボクですか?」

紫苑:「(煙を吐く)えぇ、貴方です。この辺り、お詳しかったりします?」

ゆかり:「ま、まぁ、駅周辺なら、一応」

紫苑:「あァ~!それは良かった!実は、この辺りに美味しいお紅茶を売っているお店があると聞きまして……。そういったお店、どこだかご存じありませんか?」

ゆかり:「……えぇと、紅茶のお店ですか。ボク、興味なくて……力になれなくてすみません」

紫苑:「そうですか……。実はね、最近手巻き煙草にハマっておりまして」

ゆかり:「は、はぁ」

紫苑:「今吸っているものも、自分で巻いたものなんです。それでね、私、お紅茶もたしなんでおりまして、これをミックスできないかと、色々と調べてみたんです」

ゆかり:「へ、へぇ~」

紫苑:「そうすると……見つけたんですよ!この周辺に、煙草用の茶葉を売っているお店を!」

ゆかり:「……」

紫苑:「しかし……なんと私、携帯の充電を切らしてしまいまして……。こうしてションボリ、煙草を吸っている、そういうワケなんですよ」

ゆかり:「(煙草を吸って、吐く)」

紫苑:「あのぅ、差し支えなければなのですが……」

ゆかり:「はい……」

紫苑:「私の為に、調べていただけませんか……?」

ゆかり:「…………」

紫苑:「お礼は用意しますぅ……」

ゆかり:「…………」

紫苑:「ダメ、でしょうか……?」

ゆかり:「はぁ、分かりましたよ。探せばいいんでしょう?」

紫苑:「本当ですか!ありがとうございます!私、とてもうれしい!」

ゆかり:「……それで、なんていうお店なんですか?」

紫苑:「なんていうお店でしょうねっ」

ゆかり:「えぇ?いや、お店の名前ですよ、覚えているんでしょう?」

紫苑:「覚えていたら、良かったですねっ」

ゆかり:「貴方まさか……」

紫苑:「携帯だよりだったので、全く覚えていないのです!」

ゆかり:「はぁ、なんだこの人……」

紫苑:「うふふ、よろしくお願いします!」
 
***
 
ゆかり:「ぜぇ、ぜぇ、こ、ここはどうですか……?」

紫苑:「う~ん、私が見たサイトはピンク色でした。水色じゃなかったような……」

ゆかり:「うそでしょ……もう5軒目ですよ……?」

紫苑:「そうですねェ。真剣に調べてます?」

ゆかり:「なっ!真剣ですよ!人聞きの悪い!」

紫苑:「だって……ねェ?」

ゆかり:「あぁ~!もういいです!見ず知らずの貴方の為にボクはこんなにも頑張った!それなのにそんな態度を取られるんだったら、ボクはもう帰ります!煙草も吸い終わってますし」

紫苑:「えェ~!そんなァ、もう少しだけ!もう少しだけェ、お願いしますよゥ!」

ゆかり:「そもそも、なんですか紅茶の煙草って!平日の昼間から、携帯の充電もなしに!誰かもわからないボクにべらべらべらべら趣味の話をして!いい大人が恥ずかしくないんですか!」

紫苑:「そうおっしゃられてもゥ……」

ゆかり:「ボクはもう帰ります!せいぜい存在するか分からない紅茶ショップを探しに彷徨さまよってください!それじゃあ……」

(SE:カタッ)

紫苑:「……っ!下がって!」

ゆかり:「えっ?……うわっ!!!」

(SE:ガララ!)

タチ:「あぁー!よぉうやく見つけたぁっ!もお、どこに行ってたのぉー?ずっとずぅーっと、探してたんだよぉ?」

ゆかり:「えと……お連れ様ですか?」

紫苑:「いえ」

タチ:「ひっどぉーいっ!タチたち、あんなことやこんなことをした仲じゃなぁーい!ねっ、つぅーむぎっ?」

紫苑:「記憶にありませんね。誰からそんなくだらない記憶を買ったのですか?」

タチ:「タチはアンダーグラウンドの商売に手を出さないってのぉー!わかってるくせにぃっ!いけずなんだからぁ~っ!」

紫苑:「妄言とは、困ったお嬢さんですね。貴方自身、アンダーグラウンドの身でしょうに」

タチ:「タチは、きゅるきゅるかわちな女の子だよぉっ?こぉんなにキュートな女の子がぁ、アンダーグラウンドなわけないでしょぉっ?」

ゆかり:「あの……さっきから一体何を……」

紫苑:「しっ、私の後ろに」

タチ:「わっ、つむぎ、ひっどぉーい!クールなボーイを隠すだなんて!タチにも紹介しなさいよぉっ!」

紫苑:「ボーイ?はは、彼女は女性ですよ。おやおや見た目に騙されるとは、祓い屋も衰えたものです」

ゆかり:「えっ、祓い屋?」

タチ:「今……タチを、馬鹿にした?」

紫苑:「おっと……しくじってしまったようです。お嬢さん、少し、失礼しますよ」

ゆかり:「えっ?……ひゃっ!」

タチ:「人を馬鹿にする悪い子は、タチの太刀でバラバラになっちゃえ!!!」

ゆかり:「えっ……えっ!?今どこから剣を……というか、どうしてそんなものを!?」

紫苑:「記憶の戸、守人もりびと帰還きかん、今、開きたまえ」

ゆかり:「え、ちょっとちょっと、その子に向かって走ったら、ボク達、斬られ……っ」

タチ:「ずばぁーーーーんっ!!」

紫苑:「失礼しますよ」

タチ:「わわっ!?」

ゆかり:「よ、避けた!?」

紫苑:「お嬢さん、目をつむって」

ゆかり:「へっ!?えっと……はい!」

紫苑:「我がめいにて、記憶の部屋よ、今、顕現けんげんせよ!」

ゆかり:「っ……!!!!」

タチ:「いったた〜!……あーっ!あ~ん、逃しちゃったぁー!タチ、くっやしーい!!!」
 
***
 
紫苑:「……ふう、もう安心ですよ。目を開けてください」

ゆかり:「ん……、あれっ!?喫煙所じゃない……えっと、ここは!?」

紫苑:「いやあ、面倒なことに巻き込んでしまい、申し訳ございません。私も、まさかあんな所で絡まれるとは思っていませんでしたから」

ゆかり:「絡ま……えっ?あの、一体何が起こったんですか!?」

紫苑:「まぁまぁ、落ち着いてください。どうぞ、おかけになって。今、お紅茶お出ししますから」

ゆかり:「いや、でも、帰らなきゃいけないし」

紫苑:「今出たら、危ないと思いますよ?あの子、敏感ですから」

ゆかり:「あの子って……さっきの女の子のことですよね?そうだ、あの子、どこからか剣を!それに、確か祓い屋って……!」

紫苑:「きちんと説明しますから。とりあえず落ち着いて座っていてください」

ゆかり:「っ……分かり、ました。……それにしても、変な所ですね。窓はないし、本棚に囲まれているし、ライトに変なカバーがかかっていて、薄暗いし」

紫苑:「おや、こういう部屋はお嫌いですか?お望みならば、もっと明るくポップな部屋にしますけど」

ゆかり:「……場所を移るってことですか?扉は、ボクたちが入ってきたあの扉しかないのに?」

紫苑:「いやいや、わざわざ場所を移る必要はありませんよ(指を鳴らす)」

(部屋がみるみる変わっていく)

ゆかり:「は……家具が動いて……部屋が変わっていく!?」

紫苑:「ふふふ、お気に召しましたか?リボンふりふり、壁紙ピンクのキュートなお部屋です」

ゆかり:「ど……どうなっているんですか……?というか、落ち着かない……」

紫苑:「えぇ……?もう、わがままですねェ。では、こういたしましょう(指を鳴らす)」

(部屋がみるみる変わっていく)

ゆかり:「あわわ、椅子まで動く……!」

紫苑:「これなら文句はないでしょう。程よい明るさ、モダンなセンスのいい家具、美しいティーカップ!……さぁ、お待たせいたしました。お紅茶です」

ゆかり:「あ、貴方……何者なんですか……?」

紫苑:「おやおや、これはこれは。自己紹介が遅れてしまいました。私、記憶屋を営んでおります。つむぎ 紫苑しおんと申します。趣味はお紅茶と煙草、嫌いなものはナスとレンコン、スリーサイズは上から––」

ゆかり:「(遮って)ちょ、ちょっと待ってください!」

紫苑:「え?聞きたくないんですか?私のスリーサイズ下からだと」

ゆかり:「そ、そうじゃなくて!……記憶屋って、なんですか?」

紫苑:「ほほゥ!そういえば、その説明もまだでした!……ここは、記憶屋。忘れたい過去を売ったり、体験し得ない記憶を買ったり出来る、アンダーグラウンドの商売屋……闇商売の怖いこわァーいお店です」

ゆかり:「記憶の売買……そんなことが可能なんですか?なんというか……非科学的というか……」

紫苑:「おや、部屋の内装を変えただけでは信用なりませんか?では、実際に売ってみます?記憶」

ゆかり:「じ、実際に売る!?待ってください、なんというか、色々急すぎて、ボク……」

紫苑:「おっと、私としたことが。ふふふ、申し訳ない。では、少し現実的なお話をしましょうか。さ、お紅茶も冷めないうちにお飲みになって、少しゆっくりしてください」

ゆかり:「は……はぁ。じゃあ、いただきます」

紫苑:「……う〜ん!今日のお紅茶も実に美味しい!日本茶ばかりたしなんでいましたが、やはり海外の文化は新鮮で興味をかれますよねェ〜!」

ゆかり:「……う、うん。美味しいですけど……」

紫苑:「そうでしょうそうでしょう!私、珈琲よりお紅茶が好きなんです!苦味ならお抹茶で十分なのに、どうしてあんなものを飲むのか、いまいち理解が出来なくって……」

ゆかり:「それで……あの、現実的な話は?」

紫苑:「おや、世間話はお嫌いでしたか?仕方ありませんね、ではお話ししましょう。コホン、えー……先ほどのあの子、覚えていますね?」

ゆかり:「え、えぇ。あの子は一体……」

紫苑:「彼女は祓い屋、草薙くさなぎ タチです。年齢は不詳ふしょう、妖の匂いを嗅ぎつけては、見境なく斬り殺すという狂人。たまに、妖の匂いが付いた人間を斬ろうとして騒ぎを起こす、迷惑な人です」

ゆかり:「祓い屋……?妖……?あの、どこが現実的なんですか」

紫苑:「おやおや、これは貴方が先ほど実体験したものではありませんか。どうしても非科学的な嘘だとおっしゃるのなら、貴方の記憶を買い取らせていただきますけど……」

ゆかり:「わ、分かりました、一旦飲み込みます。続けてください」

紫苑:「もうお分かりだとは思いますが、私は妖です。その力を使って記憶を売買しますし、この部屋だって私の力で作られているものです。だから、私は祓い屋の彼女に狙われている」

ゆかり:「えっと……つ、つまり、あの子が妖の匂いに敏感で、今、目の前にいる貴方が妖だって言うことは……」

紫苑:「そう、彼女に出くわせば貴方も殺されると言うことです」

ゆかり:「そ、そんな……」

紫苑:「面倒でしょう、私も面倒です。でも、こうなってしまった以上仕方がありません」

ゆかり:「ぼ、ボク、どうすれば?」

紫苑:「ご安心ください。帰ってすぐにシャワーを浴びれば済むことです」

ゆかり:「よかった……」

紫苑:「でも、すぐには帰せませんねェ」

ゆかり:「えっ、どうして?」

紫苑:「だって、まだ彼女がウロウロしているかもしれませんし」

ゆかり:「た、確かに……じゃあ、まだしばらくは、ここにいろってことですか?」

紫苑:「ご理解がお早いようで。そう言うことで、私は貴方にお紅茶をお出しして、記憶の売買を持ちかけたのですよ」

ゆかり:「そ、そんな急に言われてもなぁ……」

紫苑:「お紅茶や煙草のトークで時間を潰すのでもいいですよ?あ、やっぱり私のスリーサイズが気になります?上からァ~」

ゆかり:「す、スリーサイズはいいですから!え、えと……それじゃあ、つむぎ……さん?でしたっけ。その、なんていう種類の妖なんですか?」

紫苑:「えぇ?それ聞いちゃいますゥ?しおん、困っちゃ〜う!」

ゆかり:「い、嫌ならいいですけど」

紫苑:「あァ!そんな目で見ないでくださいっ!ちゃんと答えます、答えさせてください!」

ゆかり:「……それで、なんの妖なんですか?」

紫苑:「ふふふ、聞いて驚きなさい。私は……」

ゆかり:「つむぎさんは……?」

紫苑:「お、鬼ィ???です……???」

ゆかり:「なんで疑問系なんですか!」

紫苑:「だって私だって分からないんですもの!鬼で生まれたはずなんですよ!でも、使える術が鬼の術じゃないんですもん!なんですか!記憶の売買って!なんですか!部屋を作れるって!」

ゆかり:「あ、あわわ、落ち着いて!分かりましたから、落ち着いて!」

紫苑:「海外の文化を知って、それらに染まれば染まるほど鬼らしからぬ能力が増えていきます!仏教や神道の生き物だから、他宗教の国の文化に触れると、自分の存在がブレるんです!私だって、出来る事なら鬼のままで海外を旅行したい!ハロー!ハワユー!」

ゆかり:「海外かぶれの鬼……大変ですね」

紫苑:「はぁ……まァ、そう言うわけで、私は自分が何者なのか、実のところ分かっていないんです。辛いですけど、今更記憶の売買は辞められないです……」

ゆかり:「紅茶ショップでも開けばいいのに……」

紫苑:「だってェ、そんなことしたら祓い屋が入ってきますしィ……それに、人の記憶って案外面白いですしィ……」

ゆかり:「面白いんだ……」

紫苑:「面白いですよ?見てみます?記憶」

ゆかり:「見れるんですか!?でも、ボク、お金持ってないですよ」

紫苑:「あ、もしかして、服とかネットで買っちゃう最近の子のタイプです?お店でも、試着せずに買っちゃうタイプ!」

ゆかり:「何の煽りですか!?試着しますよ!ボクの格好そんなに変じゃないでしょう!?」

紫苑:「へへ、あは、変じゃ、ないですねェ」

ゆかり:「えぇっ!?変ですか!?」

紫苑:「まぁまぁ、その話は置いておいて。とにかく、お金がなくても、最近のCDショップと同じです。試聴することは可能ですよ。欲しくなったら、ご自分の記憶を売ればいい話です」

ゆかり:「……まあ、祓い屋の女の子がいなくなるまで暇ですし、貴方と話をしているのも嫌なので……」

紫苑:「えぇ?そんなァ~」

ゆかり:「見せてくださいよ、記憶。体験しなきゃ、信じられないし」

紫苑:「何だか納得できない理由ですが……分かりました。それでは、お見せいたしましょう。少々お待ちを。今、準備してまいりますので」

ゆかり:「ありがとうございます」
 
***
 
紫苑:「お待たせいたしました。こちら、当店自慢の記憶達です!」

ゆかり:「ありがとうござ……カード?」

紫苑:「えぇ、このカードの中に記憶を保存しています。1枚につき1つ。持ち運びが便利ですし、保管をするにも場所を取りません」

ゆかり:「へぇ……それで、どれに何の記憶が?」

紫苑:「まぁ、色々ですね。こちらは昔、海に住んでいた人魚から。こちらはずっと前に、遠い国で職と恋人を失った元召使いの男性から。あちらは最近のものですね。これは確か、中古で……どこかの国の、ロボットの記録媒体きおくばいたいからでしたっけ」

ゆかり:「人魚……!?ロボット!?ど、どう言う事ですか……」

紫苑:「お客様の事情なんていちいち覚えていませんよ。あちらも私のことを大して覚えていないでしょうし。さ、どの記憶になさいますか?」

ゆかり:「えぇ……。よく分からないけど……じゃあ、これで」

紫苑:「分かりました。それでは、これから貴方……。えっと、そういえば、お名前をお聞きしていませんでした」

ゆかり:「あぁ……苑田そのだ ゆかりです」

紫苑:「なるほど、ゆかりさんですね。では改めて。これからゆかりさんを記憶の旅にお連れします。手順は簡単。私が呪文を唱えますから、その間ずっと、このカードに触れていてください」

ゆかり:「それだけで、本当に誰かの記憶を見ることが出来るんですか?やっぱりボクには信じられな……」

紫苑:「しーっ。記憶の解像度は、記憶を信じる心に比例します。神の力が信仰の減少によって衰えるように、信じなければ、望んだ記憶を手に入れることは出来ない。少しでいいので、私に心を委ねてください」

ゆかり:「つむぎさんに?」

紫苑:「えぇ。私は記憶の守人もりびと。私を信じることは、記憶を信じることと通じますから。記憶という概念より、実体のある私の方が信じやすいでしょう?」

ゆかり:「……分かりました。完全には信用できないけど、少しだけ、信じます」

紫苑:「ふふ、少しだけで結構。ありがとうございます。準備はよろしいですか?」

ゆかり:「……はい」

紫苑:「では、呪文を唱えます。カードに触れて、目を閉じて」

ゆかり:「…………」

紫苑:「記憶の戸、守人もりびといざない。依代よりしろに宿る記憶の欠片、術者のめいにて、今、その門を開けよ」

ゆかり:「……ふぁ、何だか、眠く……」

紫苑:「記憶の中で、心ゆくまでごゆるりと……。記憶の隘路あいろに。いざ、開門」
 
***
 
ゆかりM:「長い夢を見た。何だか果てしなくて、心が揺さぶられる夢。自分ではない誰かを体験しているような、そんな感覚になる夢。ボクは色々な感情に左右され、夢の中で疲れ果てる。ボクが夢からめたいと願うと、遠くからいい匂いがしてきた。心の落ち着く花のような匂い。ボクはその匂いを辿たどってゆっくりと歩き始める。匂いが近くなってきた頃、ボクはようやく目を覚ますことができた」

紫苑:「……おや、お目覚めですか。新しいお紅茶、入ってますよ」

ゆかり:「今のが……記憶……?」

紫苑:「随分と長い間お眠りになっているから、もう起きないのではないかと心配しました」

ゆかり:「何だか……疲れました。お紅茶、いただきます」

紫苑:「そうだろうと思って、とっておきを淹れておきましたよ。お好みでミルクでも」

ゆかり:「ありがとうございます……ところで、あの……つむぎさんは?」

紫苑:「はい?私ですけれども……?」

ゆかり:「えっ……!?姿が違うじゃないですか!」

紫苑:「……え!?あっ……変わってます!?」

ゆかり:「いや……何というか、全く別の人になってます」

紫苑:「しまった、本当だ……いつの間に」

ゆかり:「いつの間に?いつの間にって、どう言うことですか?」

紫苑:「いやはや、これまた非現実的だと怒られてしまうのかもしれないのですが……」

ゆかり:「もう、慣れました……」

紫苑:「実は……私、誰の目にも触れられなくなると、姿が変わっちゃうんです」

ゆかり:「はい?」

紫苑:「やっぱりそう言う反応になっちゃいますよね。でも、本当にそうなんですよゥ。これもまた、要らない、鬼らしからぬ力なのかもしれないのですが……」

ゆかり:「自分でコントロール出来ないんですか?」

紫苑:「出来ることならやっていますよ!……はぁ、幸か不幸か、私が知っている人物の姿にしかならないようですけど『他者の目に触れないこと』……それが条件のようで、この通り、いつの間にか姿が変わってしまうんです」

ゆかり:「そりゃまた災難な……」

紫苑:「今、姿が変わっているか、一体どんな姿になっているのか、それは鏡で確認するまで分からない……。あァ、今まで、その日限りの取引だったから困らなかったのですが。まさかこんな形で苦しむことになるとは」

ゆかり:「ご愁傷様です」

紫苑:「はぁ……それで、どうします?記憶、買ってみます?」

ゆかり:「いや……結構です。でも、売るのには興味があるかも」

紫苑:「ほう!そう来ましたか!では、一体どんな記憶を!」

ゆかり:「はは、そんな簡単に買ってくれるんですか?」

紫苑:「やだなァ、まだ買うとは言っていませんよ。私、安請合やすうけあいは嫌いなんです。買取見積もりをさせていただきます。売る買うは別にして、あくまで参考までに。どんな記憶なのかを知っておきたい」

ゆかり:「なるほどね。まぁ、ボクも売るか迷っている記憶だし、話すだけ話しちゃいます」

紫苑:「そうこなくっちゃ!」

ゆかり:「じゃあ、まず、売りたい動機からですけど……」

紫苑:「わくわくっ、どきどきっ」

ゆかり:「つむぎさん」

紫苑:「はいっ!」

ゆかり:「ボク、今の自分が嫌いなんです」

紫苑:「……ほう?詳しく」

ゆかり:「……ボク、色々なことから逃げる癖があるんです。高校生の時も、学校こそ辞めなかったけど、部活は何個も退部したし……」

紫苑:「何個も?色々な部活に所属していたということですか?」

ゆかり:「ボク、多趣味なもので……でも、続かないんです」

紫苑:「それは何故?」

ゆかり:「人間関係が、どうもダメで」

紫苑:「人間関係、ですか」

ゆかり:「なんだろうな、話をしていると、どうしても他人に消費されている感覚があって……。その理由は、きっといろいろあるんですけど。とにかく、ボクをこうさせた過去を、記憶を消したい。明るかったあの頃の記憶だけを覚えていれば、ボクはきっと、こんな大人にならずに済んだんです」

紫苑:「ふむ、ゆかりさん。貴方の話は実に……抽象ちゅうしょう的だ。きっとそれだけ話したくない、記憶の深いところに、ご自分を嫌いな所以ゆえんがあるということでしょう」

ゆかり:「……買って、いただけますか?」

紫苑:「ふふ、私はなんだか貴方をもっと知りたくなりました。買取査定に移りましょう」

ゆかり:「買取査定?」

紫苑:「差し支えなければ、貴方の記憶を見せていただきたい。実際に私が見て、買い取りが可能かどうかを判断させていただきます。もっとも、本当にゆかりさんに売る気があればの話ですが」

ゆかり:「記憶を……見せる?いったいどうやって?」

紫苑:「何、簡単です。お紅茶一杯分の時間を私に預けるだけでいい。……しかし、その前に」

ゆかり:「……?」

紫苑:「ゆかりさん」

ゆかり:「っ……!」

紫苑:「本当に、記憶を売る覚悟が貴方におありですか?」

ゆかり:「覚悟……?」

紫苑:「えェ。今の貴方が記憶によって形成されているのなら、それらを忘れた時、貴方は一体何者になるおつもりですか?」

ゆかり:「何者……?」

紫苑:「反省、後悔、それらによって形成された自我、性格、倫理観。辛い過去だからと言って安易にそれを売ってしまうと、そこで得た学びも消えてしまいます。昔、金欲しさに記憶を売った馬鹿がおりましてね。彼は最後……廃人になってしまいました」

ゆかり:「廃人に……」

紫苑:「ゆかりさん、貴方がどれだけの記憶を売ろうとしていて、それにどれだけの価値があるか、今の私には分かりません。ただ、私が悪人であった場合、貴方が廃人になると分かっていても、騙し、言いくるめて記憶を買い取ってしまうかもしれない。その可能性があっても……貴方は、私に記憶を売ってくださいますか?」

ゆかり:「……そうすることで」

紫苑:「……」

ゆかり:「そうすることで、ボクがボクを好きになれるのだったら!ボクが何者になりたいか、ハッキリ答えることが出来ます。ボクがなりたいのは廃人なんかじゃない。昔、ボクが捨ててしまった“普通の人間”になりたいんです。ボクを苦しめる記憶の囲いから出て、ボクは普通の人間になりたい」

紫苑:「ならば、見せていただきましょう。貴方の記憶、貴方の過去を!ふふふ、面白くなって参りました!……では、少し、失礼いたします。私が目を閉じている間、どうか引き続きお紅茶をお楽しみください。1本であれば、喫煙も許しましょう。あァ、吸い終わったらあそこにある消臭剤を振りかけておいてくださいね」

ゆかり:「……よろしくおねがいします」

紫苑:「うふふ、どうか怖がらないで?私を信じてください。もし、お紅茶1杯、煙草1本分で私が戻らなければ、あの扉から出てもらって構いません」

ゆかり:「えっ……でも」

紫苑:「ご安心ください。私は必ず帰りますから」

ゆかり:「……分かりました。実際、色々とおかしなことを体験しているわけだから、もう信じるしかありません。記憶、買ってもらいたいし」

紫苑:「ふふふ、ありがとうございます。それでは、行きますよ。記憶の戸、守人もりびとの訪れ。うとまれし過去のとむらいの為に。我がめいにて、その門をけよ」

ゆかり:「…………」

紫苑:「記憶の隘路あいろに。いざ、開門」
 
***
 
ゆかり:「(煙草を吸って吐く)ああ言っていたのに、全然戻ってこないじゃないか。ボクを騙して仮眠でもしてるのか、本当に記憶を見ているのか。どっちにしろ、煙草を吸い終わったら暇になっちゃうな。(煙草を消す)……そうだ、こっそり探検しちゃお。触ったり動かしたりしなければ、別にいいよね?(立ち上がる)よいしょっと。さて、確かあっちからカードを取ってきてたよな?どれどれ?……わ、丁寧にファイリングされてる!出しっぱなしのもあるけど、どれも色ごとにファイルを分けてるんだなぁ。……ん?この真っ黒のカードは何だろう。黒いファイルなんて見当たらないし……どうしてこれだけ黒いのかな。裏に色がついてるのかな……。……えぇい、起きないつむぎさんが悪い!裏返しちゃえ!」

紫苑:「そのカードに触るな!!!!!」

ゆかり:「うわあっ!?!?!?」

紫苑:「目の前に座っていないと思ったら……全く、人の店を物色しようだなんて、貴方も隅に置けない人ですね。……あァ、まだ煙草の匂いも残っているし!」

ゆかり:「ご、ごめんなさい……なかなか起きなかったから」

紫苑:「貴方が私から目を離したから、また姿が変わったんじゃありませんか?ほら、お店の物はいいですから。査定の結果に移りますよ」

ゆかり:「は、はい!」

紫苑:「……こほん。では、そこにおかけください」

ゆかり:「…………」

紫苑:「記憶の査定が完了いたしました。あまりにも膨大ぼうだいな量でしたので、随分と苦労しました」

ゆかり:「すみません……」

紫苑:「いえ。それで、査定の結果ですが……ゆかりさん。お伝えする前に、一つお聞きしたい」

ゆかり:「何をですか?」

紫苑:「貴方、自分を好きになる条件は何だと思いますか?」

ゆかり:「自分を好きになる条件?」

紫苑:「えェ。貴方は、記憶を売って自分を好きになりたいとおっしゃいました。自分を好きになって、普通の人間になりたい、と。記憶を売って普通の人間になったら、貴方は貴方を好きになれるということですか?」

ゆかり:「……っ、えぇ、そうです。少なくとも、ボクの知っている普通の人間たちは、自分にほこりをもって生きている」

紫苑:「では、その方々は記憶を売っているということですか?」

ゆかり:「そ、それは……。彼らは、売る必要がなかっただけでっ!」

紫苑:「ゆかりさん。残念ですが、貴方の記憶は買取不可能です」

ゆかり:「ど、どうして!記憶の量も、その内容も申し分ないはずです!ボクは、全て忘れて普通の人間になりたい!記憶を買ってもらうことは、ボクが幸せになる為に必要な事なんです!普通の人間になれなきゃ、ボクはボクを愛せな……」

(SE:ガタッ)

紫苑:「貴方は、普通の意味を履き違えている!」

ゆかり:「……っ!?」

紫苑:「普通とは、時に理想を意味します。理想を追うために必要なこと、それは、失うことではなく、学ぶことです。先に忠告した通り、このまま私が貴方の記憶を買い取ってしまえば、貴方はきっと廃人になってしまうでしょう」

ゆかり:「り……理想?ボクの知っている普通が理想だって言うんですか!?」

紫苑:「いつの時代も、人は普通を理想としているものです。恋人もいないのに『結婚したい』学歴も無いのに『いい企業に就きたい』努力もしていないのに『綺麗になりたい』そんな格差が見えないのに『男性になりたい』あァ、『普通の人間になりたい』!!!」

ゆかり:「……っ!」

紫苑:「ゆかりさん、貴方が記憶の囲いから外に出られないのは、貴方が色々な事象から逃げているからだと、先ほどご自分でおっしゃったではありませんか。なら、何故努力をしない?理想から逃げるだなんて、逆走もはなはだしい!!!!!」

ゆかり:「ボクだって、分かっているさ!努力していない?本当にボクの記憶を見たのかよ!部活ではどこに行ったって裏切り者、自分に合う場所を探すために色々なことに手を出して、人に消費されても耐えて耐えて耐えて!逃げて何が悪いんだよ!逃げたって、記憶は、過去は、ボクを掴んで離さないのに!」

紫苑:「……分かっているじゃありませんか。逃げたって、耐えたって、売ったって、貴方の過去は変えられないんですよ」

ゆかり:「っ!?」

紫苑:「ゆかりさん、貴方は……普通だ。ただ、身を置いた場所が悪かった」

ゆかり:「ボクが……普通?」

紫苑:「えぇ、貴方に必要なものは、己を変える決意です。記憶を売る必要なんてないんです。その経験で、その後悔で、記憶を燃料に決意を灯しなさい。人の決意を持ってすれば、煙草程に小さな火でも、世界を焦がす大火と成り得ます」

ゆかり:「決意をすれば、小さな火も……世界を焦がす大火に……。でも、ボクは身を置いている場所が悪いんでしょ?きっとボクは囲いから出る決意なんて出来ない」

紫苑:「関係ありません。場所を変えたって無駄だったのなら、置かれた場所で花を咲かせればいいのです。囲いから出られないのなら、貴方の決意で、その囲いを燃やしておしまいなさい。裏切り者だととがめられたのは、貴方が変なタイミングで逃げるからでしょう」

ゆかり:「っ…………」

紫苑:「全く。私、ちょっと期待したんですけどね。もっと大胆に、人を裏切っているゆかりさんの姿……。まァ、いいです。丁度いい暇つぶしにはなったでしょう。さ、ご帰宅のお時間ですよ」

ゆかり:「…………」

紫苑:「……ゆかりさん?」

ゆかり:「つむぎさん。ボク、またここへ来てもいいですか?」

紫苑:「えっ!?ど、どうして?」

ゆかり:「ボク、今日のことでちょっとだけ変われるような気がしたんです。でも、まだ変わってない。だから、時々ここに来て、お話したいんです。つむぎさんと」

紫苑:「えェ~?嫌ですよォ、面倒くさい。どうせ姿も変わっていますし?この後あなたがどんな行動をしようと私にはどうだっていいことですし?」

ゆかり:「そんな、記憶買うって言ってもですか?」

紫苑:「おこちゃまをこんなアンダーグラウンドの商売に関わらせちゃダメなんですっ!ほォら、帰った帰った!」

ゆかり:「ひどい!さっきまでノリノリだったのに!」

紫苑:「では、ご来店ありがとうございましたっ!駅ビル一階の外トイレに繋げてありますから、さっさと帰ってくださいっ!」

ゆかり:「え、ちょっと、まっ!!!!」
 
***
 
ゆかり:「いってて……個室の中だし洋式だったから汚れずに済んだけど、あの人、本当にあり得ないっ!!!!」

(SE:ガチャ)

ゆかりM:「本当に駅のトイレだ……。残念だけど、早く帰ろう。今、何時なんだろう。スマホの充電も無くなってるし、帰りがけにあの公園で時間確認して帰ろっと」
 
***
 
ゆかり:「うーん、暗いなぁ。えっと……公園の時計では今……」

(走ってくる音)

ゆかり:「じゅ、10時!?こんな遅くまで、ボクはあの部屋に居たってこと!?た、大変だ。早く帰らないと……」

タチ:「(遮るように)っどぉーん!!!!」

ゆかり:「うわぁっ!?!?!?な、なに!?」

タチ:「あっれれぇー?こんなところにぃ、鬼くさぁーい男の子がいるぅーっ!あれあれぇーっ?キミって、つむぎと一緒にいたクールなボーイじゃなぁい???」

ゆかり:「ぁ……君は、祓い屋のっ……!」

(回想)

紫苑:「たまに、妖の匂いが付いた人間を斬ろうとして騒ぎを起こす、面倒な人間です」

(回想終わり)

タチ:「なぁんだ!ボーイも妖だったんだぁ!あれぇ?ボーイ?ガール?……どっちでもいっか!」

ゆかり:「や、やばいっ……」

タチ:「それじゃあ……キミも、タチの太刀でバラバラになっちゃえっ!!!」

ゆかり:「早っ……!」

紫苑:「ゆかりさん!!!!」

(SE:ドーン)

タチ:「あれれぇー?んもう、助けるだなんて卑怯だぞぉーっ!」

紫苑:「ぜぇ、ぜぇ、大丈夫ですか?ゆかりさん」

ゆかり:「だ、大丈夫です。ありがとうございま……ッ、化け物!」

紫苑:「……?」

タチ:「あーっ!つむぎ、急ぐあまりに角が出ちゃってるぞぉーっ!」

紫苑:「角……、まさか、このタイミングでッ!」

ゆかり:「つ、つむぎ、さん……!?」

紫苑:「貴方はつくづく運が悪いようですね。怖ければ、目をつむって……」

タチ:「(遮るように)隙ありーっ!ずばぁーんっ!」

紫苑:「ぐッ……!!!!」

ゆかり:「つ、つむぎさんっ!」

紫苑:「あぁ、私も運が悪い……っ、」

タチ:「きゃっはは!たっのしーい!!!さ・て・と!」

ゆかり:「ぁ……」

タチ:「キミもぉ~、タチの太刀でぇ~……」

ゆかり:「嫌……」

タチ:「バラバラにっ——」

紫苑:「記憶の戸、守人もりびと帰還きかん、今開きたまえ!」

タチ:「わわっ、急に扉がっ!!!」

紫苑:「我が命にて、記憶の部屋よ、今、顕現けんげんせよ!」

ゆかり:「きゃっ!!!」

タチ:「——……あーん!また逃がしちゃったぁーっ!!!」
 
***
 
ゆかり:「——っ、ここは……」

紫苑:「ぜぇ、ぜぇ、先ほどと同じ部屋です……っ」

ゆかり:「つむぎさん、血がっ!」

紫苑:「寄るなっ!!!!!」

ゆかり:「っ……!」

紫苑:「……げほっ、失礼。……しかし、この姿は頂けないでしょう……っ、少し、向こうを向いていてください」

ゆかり:「わ、わかりました」

紫苑:「あぁ……まさか私がこんな失態を犯すだなんて……っ」

ゆかり:「す、すみません。公園なんかに寄ったから」

紫苑:「ゆかりさんのせいではありませんよ。あれは、私のせいです」

ゆかり:「い、いや……でも、タクシーでもバスでも使っていればあんなことには……」

紫苑:「そういう次元の話ではありません。……ぐっ、深いな……この傷」

ゆかり:「そういう次元の話じゃないって、どういうことですか?」

紫苑:「……彼女がああなってしまったのは、私のせいなんです。さぁ、もうこちらを見ても大丈夫でしょう。新しいお紅茶を入れましょう、長い話ですから」
 
***
 
紫苑:「さぁ、お紅茶です。再びこんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」

ゆかり:「そんな、ボクは別に……。それより、どういうことですか?彼女がああなったのが、つむぎさんのせいって」

紫苑:「この話は、誰にも話さない予定だったのですが……。十数年前の話です」
 
***
 
紫苑M:「寒い冬の日でした。彼女が、草薙くさなぎタチがこの記憶屋を訪れたのは」

タチ:「おっじゃましまーっす!」

紫苑:「いらっしゃいませ。ようこそ、記憶屋へ。私はつむぎ しおん。どうぞ、おかけ下さ——」

タチ:「(遮って)ここが記憶屋さんっ?タチ、買って欲しい記憶があってねぇ~?」

紫苑M:「彼女は、入店早々記憶を買って欲しいと交渉をしてきました。まだ幼い様子でしたから、あまり買い取りたくはなかったのですが、その頃は丁度そう言った、幼い子供の記憶が流行っていたものですから。査定もせずに買ってしまいました」

タチ:「このカードに触ったらいいのーっ?思ってたより簡単っ!」

紫苑:「貴方のような子供が記憶を売るだなんて。きっと訳ありなんでしょうね。まぁ、このお金で好きにお暮らしなさい」

タチ:「分かった~っ!鬼さん、ありがと~っ!」

紫苑M:「気づかなかった。この時の彼女の異変に」

タチ:「…………」

紫苑:「どうです?嫌な記憶もきれいさっぱり、心もスッと軽く……——」

タチ:「わぁ!!!ここ、とっても鬼くさぁいっ!(斬りかかる)」

紫苑:「(避ける)ッ……!祓い屋ッ!?しかし、貴方からは妖の匂いが……!」

タチ:「タチが売ったのは、妖に対する優しい記憶っ!ほら、見てぇっ!ピンクのカードがみるみる真っ黒!」

紫苑:「妖術の合成……憑りつかれているのか!」

タチ:「さ、姿がくるくる変わる今日の夕ご飯さん!タチの養分になるために……タチの太刀でバラバラになっちゃえ!」

紫苑:「くっ……!」

タチ:「あーん、避けないでよぉ!」

紫苑:「これはこれは、とんでもないお客様を招いてしまったようです」

タチ:「あーっ!これはなぁに?記憶が保管してあるのー?」

紫苑:「それに触れるな!炎縛ノ剣えんばくのつるぎよ!鬼の力を開放し、彼の敵の魂を刈り取れ!」

タチ:「……草薙剣くさなぎのつるぎ

紫苑:「なっ……私の剣が、消えた!?それに、草薙剣くさなぎのつるぎって……。その剣は、人の手によって保管されているのでは!?」

タチ:「あれはレプリカなのっ!タチのつるぎは本物だよぉ?なんたって、このつるぎを代々受け継ぐ『草薙家くさなぎけ』の長女なんだからぁ!」

紫苑:「あの剣はその昔、ヤマトタケルノミコトが迫りくる炎をぎ払った……。なるほど、私の剣は炎属性、相性は最悪というわけですね」

タチ:「うふふっ!つむぎって言ったっけぇ?他宗教の物に触れて、存在が変わっちゃった可哀そうな妖!タチが、楽にしてあげるぅ!」

紫苑:「記憶の戸よ、行く先を我が意のままに!……厄介なお客様にはお帰りいただきましょう!」

タチ:「わっ!?床が動いて……!」

紫苑:「大人しく出て行ってくださいね。私は人に危害を加えませんので」

タチ:「ふふ、今日だけはぁ見逃してあげてもいいよぉっ!でもぉ、この紫色のカードは貰っていくねっ?」

紫苑:「そのカードは……!」

タチ:「『つむぎの弱点』でしょお?それじゃあ、また会おっ?つむぎ!今度は、君の死に顔を拝めるよう頑張るねっ!」

紫苑:「くそっ、間に合わな……っ」

(SE:扉が閉まる)
 
***
 

ゆかり:「彼女、憑りつかれて……?祓い屋なんじゃ……」

紫苑:「私も信じられませんでした。でも、彼女からは確かに妖の匂いがした。だから、初めは普通の人間が憑りつかれているくらいのものだと思っていたんです。どちらにせよ、小さな女の子に変わりはない。祓い屋の家に生まれた彼女は格好のエサだったんでしょうね」

ゆかり:「……でも、妖が祓い屋に憑りつくメリットって?同じ妖だし、わざわざ祓い屋に憑りついて、同族を祓う必要って……」

紫苑:「妖力目当てですよ。祓った妖の妖力を強奪ごうだつして、祓い屋の彼女も食ってしまえば、自分が最強の妖になれるとでも思ったんでしょう」

ゆかり:「幼い頃から祓い屋だったってことは、親も祓い屋だったんじゃ?憑りつかれていることに気が付かなかったのかな」

紫苑:「まァ、気が付かなかったんでしょうね。祓い屋は常に妖と対峙たいじしているのですから、妖の匂いがしていても何ら違和感はないでしょうし」

ゆかり:「……彼女が記憶屋に来たのって、十数年前でしたよね」

紫苑:「そうですね。元号が変わって、電子機器も普及し始めていたかと。どうしてです?」

ゆかり:「彼女、元に戻せないのかなって。かわいそうじゃないですか」

紫苑:「かわいそう?」

ゆかり:「だって、幼い頃に憑りつかれて……最後は食べられるって……」

紫苑:「確かに、可哀そうですね。でも、見てください。私はこのザマです。彼女を助ける義理がどこにあるんです?」

ゆかり:「そ、そんな」

紫苑:「彼女の中の妖が肥大化すれば、きっと彼女の家の祓い屋が対処してくれる。私がわざわざ動かなくても、そのうち勝手に消えてくれるんですよ。敵を助けるほどの余裕はありません」

ゆかり:「でも……」

紫苑:「それに、彼女が私から奪ったものはただの記憶ではありません。あれは、私のけがれを封印してあるもの。あれを悪用されたら、私は私ではいられなくなってしまう。私は正直言って、彼女と関わりたくない」

ゆかり:「……ボク、どうしたら」

紫苑:「……そうですね。ただの人間である貴方をこれ以上巻き込む必要はない。いっそのこと、今日の記憶を買い取りましょうか」

ゆかり:「記憶を買い取る……?そうしたら、ボクは今日のことを忘れちゃうんですか?」

紫苑:「えェ、覚えておく必要なんてないでしょう。これ以上巻き込むわけにもいきませんし、今日のことは忘れて普通の人生を歩むべきです」

ゆかり:「……ボク、本当に忘れていいのかな」

紫苑:「さァ、手を出してください。嫌なことは全て忘れましょう。私も、今日のことは忘れることにします」

ゆかり:「でも、ここで今日のことを忘れたら、ボクも、彼女も、つむぎさんも、記憶の囲いに囚われたままなんじゃ……」

紫苑:「私はそれでも構いません。もっとも、私以外がどうなろうと知ったことではありませんが」

ゆかり:「ボク……ボクは……」

紫苑:「さァ、早く手を出して。私に今日の記憶を売ってください」

ゆかり:「ボクは……!」

紫苑:「ゆかりさん!」

ゆかり:「ボクは、記憶を売りません。囲いに囚われて生きるだなんてやっぱりごめんだ!」

紫苑:「貴方という人は……!今日の記憶を失ったって、貴方はきっとうまく生きていけます。理想を抱きながらも理想から遠ざかる貴方は実に人間らしい!私が助言しなかったとしても貴方には必ず決意をしなければならない時が来る!私に記憶を売れば、貴方はこれから幸せに生きていけるんです!だから、さァ!早く手を………」

ゆかり:「これは、ボクの記憶です。売るかどうかはボクが決めることです」

紫苑:「っ……!」

ゆかり:「……それに、ボクも吸ってみたいです。紅茶の煙草。つむぎさんの紅茶、美味しいし好きです。また、一緒に紅茶のお店を探しましょうよ。……ダメですか?」

紫苑:「っ…………はァ、分かりました。そこまで言うのなら、記憶は買い取らずにおきましょう。でも、念のためにカードは渡しておきます。もし危険が迫ったらそのカードに念じてください。すぐに駆け付けます」

ゆかり:「……ありがとうございます」

紫苑:「……さ、もう遅いですし、良い子は寝る時間です。私のこの傷も癒さなきゃいけないし、お互いに今日はゆっくり休みましょう」

ゆかり:「確かに、今日は色々なことが起こりすぎて疲れました」

紫苑:「扉を繋げます。また草薙くさなぎタチに絡まれちゃ面倒ですから、今度は貴方の家に直接繋げることにしましょう。住所を教えてください」

ゆかり:「わ、分かりました。えぇと、住所は……———」

紫苑:「さぁ、扉の準備も出来ました。帰ったら匂いを消すために、すぐシャワーを浴びてくださいね」

ゆかり:「つむぎさん、また、会えますか?」

紫苑:「会いたくありませんが……仕方がありませんね。頑固に記憶を売ってくださらないし、私のスリーサイズもまだ教えていませんし」

ゆかり:「それは……」

紫苑:「冗談ですよ。貴方とのお紅茶はいつもより美味でしたから。またお会いしましょう」

ゆかり:「……ふふ、じゃあ、また」

紫苑:「えぇ、おやすみなさい」
 
***
 
ゆかり:「———……ん、朝?今日、大学は……休みか。じゃあもう少し……」

(SE:呼び鈴)

ゆかり:「んん、誰だろう。宅配、なにか頼んでたっけ……?はぁい、今行きます」

(SE:がちゃ)

ゆかり:「はー……い!?」

タチ:「おや、すみません。こんな朝から」

ゆかり:「く、草薙くさなぎタチ……じゃ、ない?」

タチ:「草薙くさなぎ……はぁ、これはまた運が悪い。つむぎですよ。どうやら今日は彼女の姿になってしまったようで」

ゆかり:「つ、つむぎさん……。それで、どうしたんですか?」

タチ:「実は、草薙くさなぎタチの件でお話したいことがあって。ここじゃ何ですし、場所を変えませんか?あっちに、車を待機させてあります」

ゆかり:「い、いいですけど……車ですか?記憶屋じゃなくて?」

タチ:「……事情があってね」

ゆかり:「わ、分かりました。着替えてくるのでちょっと待っててください」

タチ:「分かりました」

ゆかりM:「車じゃなきゃいけない理由って何だろう……。草薙くさなぎタチの件って言ってたし、もしもの為に動きやすい服装で、昨日貰ったカードは……一応持って行こう」

ゆかり:「お待たせしました。それじゃあ、行きましょう……って、あれ?今は一人だったのに、姿、変わってないんですね」

タチ:「……。そういわれても、自分じゃ分かりませんから。きっと、車で待たせている運転手が、コッチを見ていたんでしょ」

ゆかり:「……?そう、ですか。まぁいいや。とにかく、行きましょう」

タチ:「えぇ」

ゆかり:「それで、お話って?草薙くさなぎタチの件って……もしかして、また何かあったんですか?」

タチ:「……いいえ、接触したわけじゃないんですが」

ゆかり:「じゃあ、どうして?」

タチ:「どぉにもこぉにも、車でじゃなきゃお話出来ないんです」

ゆかり:「そんなに大事な話なんですか?それなら、運転手さんにも聞かれちゃまずいんじゃ……」

タチ:「むぅ、そんなに記憶屋がいいんですか?」

ゆかり:「そういうわけじゃないけど……」

タチ:「ほら、あそこに停めてあるのが私の車です」

ゆかり:「…………」

タチ:「さ、お乗りください」

ゆかり:「……お邪魔します」

タチ:「よいしょ、と」

ゆかり:「……それで、どうしても車じゃなきゃお話しできない内容って何ですか」

タチ:「…………」

ゆかり:「つむぎさん?」

タチ:「…………」

ゆかり:「つむぎさん、ふざけているんです?何にもないなら、帰っちゃいますよ?」

タチ:「…………ぷぷっ」

ゆかり:「つむぎ、さん?」

タチ:「あはははは!こんなに簡単に引っかかってくれるだなんてぇ!ボーイはやっぱりぃ、ただの人間だったんだぁ!」

ゆかり:「つむぎさんじゃ、ない!?」

タチ:「そう!つむぎじゃないの!ざぁんねんっ!それにしてもぉ、ボーイは人を簡単に信じすぎじゃなぁい?タチ、もっと疑った方がいいと思うなぁ~!」

ゆかり:「車にこだわっていたのは、ボクを逃がさないようにするためか……。それで?ボクをどうするつもり?」

タチ:「タチねぇ、もうちょっとで強くなれるんだぁっ。そのためにはぁ、完全に妖化したつむぎの力が必要なのぉっ」

ゆかり:「ボクは、何も協力しないぞ。つむぎさんの居場所は知らないし、今どんな姿をしているかも分からない。彼はボクがどうなっていようと構わないだろうから、人質にもならない。ボクの所に来たのは間違いだよ」

タチ:「もぉ、そんなこと言わないでよぉ。ボーイはちゃんと人質になるしぃ、つむぎはきっとボーイを助けようとするよぉ?」

ゆかり:「どうしてそう言い切れるの?」

タチ:「だってぇ、ボーイ、記憶のカード持ってるでしょぉ?」

ゆかり:「……っ、どうしてそれを」

タチ:「匂いがするもん」

ゆかり:「しまった、香水でもかけておくんだった」

タチ:「さ、ボーイ?その記憶のカードでつむぎを呼んで?」

ゆかり:「……っ、ボクは、言ったぞ。協力しないって」

タチ:「そう、別にいいよぉ。こうなることは分かってたしぃ」

ゆかり:「……やけに素直だな。分かっていたなら尚更だ。ボクを開放しろ」

タチ:「それは出来ないなぁ~。だって、祓い屋に協力しない悪い子は、お仕置きしなくっちゃねぇ?」

ゆかり:「お仕置き……?」

タチ:「そう、記憶の隘路あいろに、捕まって貰わなくっちゃ!」

ゆかり:「っ、何を!」

タチ:「神の力で、奈落に落ちちゃえ」

ゆかり:「ぅ……っ、あ……?」

タチ:「ゆっくりとお眠り?ボーイ。自分の記憶の、悪夢の中でね。……そうそう、記憶のカードは取っておかなくちゃ。これが無きゃつむぎに会えないんだからっ」
 
***
 
紫苑:「———……っ、なんだか、悪寒がしますね。ゆかりさん、変な目に合っていないといいのですが」

(扉が開く)

紫苑:「……?どなたですか。来客の予定はなかったはずなのですが……」

タチ:「おっじゃましまぁーっす!きゅるきゅるかわちな、タチちゃんだよぉー!」

紫苑:「……おやおや、困ったかただ。どうやって入ってきたのかは知りませんが、早急にお帰り願おう」

タチ:「そんなこと言わないでよぉ、つむぎぃ。相変わらずいけずなんだからっ!」

紫苑:「……待て、その手に持っているカードはなんです?」

タチ:「覚えてなぁい?これは昨日つむぎがボーイにあげた……」

紫苑:「だから、どうしてお前がそれを持っているのです!」

タチ:「だってぇ、これが無きゃつむぎに会えないでしょぉ?」

紫苑:「っ……はぁ、ゆかりさんは今どこにいるんですか」

タチ:「ふふっ、秘密ぅ」

紫苑:「答えなさい!」

タチ:「もぉ、そんなにカリカリしないでよぅ。ボーイなら、ここにいるって!ぐるぐるぐるぅ~じゃんっ!」

(ゆかり、現れる。が、心ここにあらず)

紫苑:「ゆかりさん!……っ、彼女に一体何をしたんです?」

タチ:「何にもしてないよぉ?ちょっと、眠ってもらってるだけぇ」

紫苑:「ふっ……その割には術の匂いがプンプンしていますが」

タチ:「本当に眠ってるだけだよぉ?まぁ、今頃、悪夢を見ているかもしれないけどねぇ」

紫苑:「っ……ゆかりさん。私がもう少し注意を払っていれば……」

タチ:「ねぇ、それよりぃ……——(斬りかかる)」

紫苑:「(避ける)っ……」

タチ:「早く、タチの太刀でバラバラになってぇ?」

紫苑:「おやおや、血気盛んですね。何の罪もない女性を巻き込んで、そこまでして私が欲しいですか?」

タチ:「この子はぁ、祓い屋に協力しない、とってもとーってもわるぅい子だよぉ?それにぃ、つむぎを食べた後にタチの力を開放したら、ご飯が必要でしょお?」

紫苑:「……炎縛ノ剣えんばくのつるぎ

タチ:「きゃはっ!ようやくやる気になってくれたぁ!」

紫苑:「ゆかりさん、貴方は私が必ず助けます。もう少しの辛抱、待っていてください。……空間変化、記憶の部屋よ、彼女を囲いで守りなさい」

タチ:「人間を守ろうとするだなんてぇ、つむぎも丸くなったねっ?」

紫苑:「彼女は私の友人ですから。必ず守り抜きますし、手を出した貴方は決して許さない」

タチ:「そうこなくっちゃねぇ!それじゃあ、つむぎぃ」

紫苑:「かかってきなさい」

タチ:「ふふふ!言われなくっても!!!タチの太刀でバラバラにしてあげる!!!」
 
***
 
ゆかり:「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ、あれは一体なんなんだ……っ!逃げなきゃ、ボク、このままじゃ……っ!……向こうに、光がある。あそこまで、もう少し……!……っ、景色が変わった?ここは……」

紫苑:「あぁ、可哀そうに。さあ、こちらへおいでなさい」

ゆかり:「っ!?……つむぎさん?」

紫苑:「いいえ、私は貴方の心の底に住む者。貴方の人生を見つめ、貴方を救うために生まれてきた者。貴方は、身を置いた場所が悪かった」

ゆかり:「えっと……ボク……」

紫苑:「さぁ、こちらへおいでなさい。もう逃げても大丈夫、闇の中は安泰あんたいです。後は全て私に任せて、貴方は深く深く、お眠りなさい」

ゆかり:「ボクは……」

紫苑:「さぁ、手を出して。裏切り者は囲いの中へ帰る時間です」

ゆかり:「ボクは……っ」
 
***
 
タチ:「ほらほらつむぎぃ、守ってばかりじゃすぐに死んじゃうよぉ?」

紫苑:「くっ、それなら隙の1つでも見せてくれればいいんじゃありませんか?」

タチ:「やだなぁ、タチにそんなものあるわけないじゃぁん」

紫苑:「余裕の表情でそうおっしゃるのが実に腹立たしいですね……っ」

タチ:「本気だしなよぉ、ボーイを守るんでしょぉ?」

紫苑:「これでも本気のつもりなのです、がっ!」

タチ:「きゃっ!」

(SE:壁に当たる音)

紫苑:「はぁ、はぁ……全く、手のかかる祓い屋です。昨日の傷もまだ癒えていないというのに……」

タチ:「っ……ふふ、つむぎが本気出せない理由、タチ、分かってるよぉ?」

紫苑:「何を……」

タチ:「ボーイがいるから?違う、タチが、このカードを持ってるからぁ!」

紫苑:「っ、それは、あの日私から奪った……」

タチ:「人間を憎しむ心、だよねぇ?つむぎのけがれ、妖としてのとーっても大切な部分っ」

紫苑:「取り込まず、律儀りちぎに持っていてくれたんですか?もっとも、取り込まれないよう仕込んでおいたのは私ですが」

タチ:「このカードに封印されたけがれは、鬼としてのつむぎの全部だった。鬼としての力を失くして、他の宗教に惑わされて、つむぎはどの妖とも言えない化け物になっちゃった」

紫苑:「……それが最後の言葉でいいですか?友人が苦しんでいるのでね。助けてあげなくては」

タチ:「ねぇ、つむぎぃ。化け物に悪い心を食べさせたら、どうなると思う?」

紫苑:「っ……!炎縛ノ剣えんばくのつるぎよ!鬼の力を開放し、彼の敵の魂を刈り取っ……」

タチ:「(遮るように)草薙剣くさなぎのつるぎ!火をぎ払い、彼の元へ真の力を!」

(SE:刺す音)

紫苑:「ぐはッ……」

タチ:「きゃははっ!神の力で、奈落まで堕ちちゃえ!」

紫苑:「ぐッ……クソッ、意識が……鬼にッ……」

タチ:「美味しそうな憎悪だねぇ、綺麗だよぉ、つぅーむぎっ?」

紫苑:「ゆかりさん……ッ」
 
***
 
ゆかり:「ッ……ボクは、闇には……」

紫苑:「大丈夫、囲いの中なら貴方は安全。囲いが全てを守ってくれます。この手を取れば、貴方はもう何も考えなくていい。さぁ、私に身を委ねて、闇の中へ……」

ゆかり:「囲いの中なら……ボクは……楽に……っ」

紫苑:「えぇ、さぁ手を出して。怖がらないで。ほら、もう少し……」

紫苑:「ゆかりさん……ッ」

ゆかり:「っ……!つむぎ、さん……」

(回想)

紫苑:「囲いから出られないのなら、貴方の決意で、その囲いを燃やしておしまいなさい」

(回想終わり)

ゆかり:「……っ、ボクはッ!」

(SE:手を払う)

紫苑:「っ!?な、何故……?貴方は楽になりたいはずだ。囲いにこもって、誰にも消費されない場所で、1人静かに!」

ゆかり:「つむぎさんの姿でボクを惑わそうとしたって無駄だ。ボクは、闇になんか堕ちない」

紫苑:「闇の中でなら、お前は普通の人間になれる!闇の中の、全てが上手くいく世界で、お前の求めた、普通の人生を……!」

ゆかり:「ボクは!……ボクは、決意したんだ。もう、逃げない。もう、繰り返さない。この決意で、ボクは囲いすら消し炭にする。この決意で、ボクは君を越えてつむぎさんの元へ戻る!」

紫苑:「オレを……越えて、現実に戻る?そんなこと、出来るはずがない。所詮人間のお前に、けがれであるオレを倒せるわけがない!オレはタチ様に仰せつかっているんだ。さぁ、こちらへ来い!お前を妖にしてや……」

(SE:手を払う)

ゆかり:「(遮るように)手を出すな、これは……ボクの人生だ!」

(SE:炎)

紫苑:「ぎゃあッ!熱い、熱い!!!」

ゆかり:「ボクの決意はここに灯った。闇へ引きずり込もうとも、この決意で、ボクはその闇すらもぎ払おう。まだ、やるかい?」

紫苑:「熱イ……こんナ、人間如きニィイイイイ!!!!!!」

(SE:消滅)

ゆかり:「……つむぎさんの元へ帰ろう」
 
***
 
タチ:「さぁて、つむぎぃ。そろそろ意識は鬼に乗っ取られたかなぁ?」

紫苑:「……ッ、触るな!!」

タチ:「おーっとっとぉ、もうすぐみたいだねぇ。ボーイは深い夢の中、時間はたっぷりあるし、タチはずぅーっと待ってるよぉ?」

紫苑:「クソッ……」

タチ:「楽しみだなぁ、数百年間憎しみを溜め続けたつむぎの味。本当は人間を殺したくて殺してくて仕方がなかったくせに、人間の文化に手を出して。可哀そうなつむぎ、タチが楽にしてあげるよぉ」

紫苑:「…………ッ」

ゆかり:「う……ここは……。ボクは、戻ってこれた?ハッ、つむぎさん!」

紫苑:「ッ、ゆかりさん!?」

タチ:「……!?そんな、どうして!タチの術は完璧だったはずなのに!」

ゆかり:「つむぎさん、この囲いをどかして!」

紫苑:「ダメです!今来たら、私は貴方を殺してしまう!」

ゆかり:「それでもいい!今にも死にそうなつむぎさんをこんなところで見ているのは嫌だ!」

タチ:「きゃはは、来なよぉ!どうやって術を解いたのか、バラバラにして暴いてあげるぅ!」

紫苑:「クソ、戸を出せば安全な所へ……しかし、それが出来るほど精神が安定していない……」

タチ:「はぁ、まぁいいよぉ、ボーイ。つむぎを食べた後で、しっかりぐちゃぐちゃあげるからぁ。そこで待っていてねぇ?」

紫苑:「ッ……!」

ゆかり:「やめろ……!つむぎさん、囲いを!」

紫苑:「もう終わりです、ゆかりさん。攻撃は効かないし、部屋を作り変えられるほどの精神力も、もう私にはない」

ゆかり:「つむぎさん……!」

紫苑:「囲いが解けたら、向こうの扉へ走りなさい。逃げる隙くらいは作りましょう」

ゆかり:「っ……でも」

タチ:「タチに内緒でこそこそ話?もぉ、仲間外れはやめてよねぇ」

紫苑:「空間変化!囲いを解く!さぁ、行きなさい!ゆかりさん!」

ゆかり:「ボクは…………」

紫苑:「……つるぎよ、敵をたがわず、その命脈を断て!」

タチ:「無駄だよ!草薙剣くさなぎのつるぎ!つむぎも、ボーイも、逃がさないんだからぁ!」

ゆかり:「ボクは……!」

紫苑:「何をしているんですッ、ぐぁッ……クソ、早く行かないと、貴方を殺してしまう!」

タチ:「タチの剣に耐えるなんて、やっぱりつむぎの本気は素敵っ!でも、ボーイを逃がしちゃ嫌だからっ!ボーイ!絶対に逃がさなぁい!」

紫苑:「くッ、ゆかりさん!走れ!!!」

ゆかり:「ボクは、決意したんだ!」

(SE:炎)

タチ:「きゃあっ!つるぎが、跳ね返されてっ……!」

紫苑:「なんだ……何が起こって……」

ゆかり:「ボクはもう逃げない!君がボクの行く手をはばむなら、ボクは君の魂すら焼き尽くす!」

紫苑:「これは……人間の決意とは……これほどまでに……!」

タチ:「嘘、何が起こってるの!タチのつるぎを、神の力を跳ね返すだなんて!バラバラにしたい、取り込みたい、その力!」

(タチ、姿がみるみる変わっていく)

紫苑:「まずい……ゆかりさん!」

(タチ、妖の姿に)

タチ:「ねぇ、神の太刀で、バラバラになって?」

紫苑:「……ゆかりさん、私の言うことをよく聞いてください。後ろの机に、黒色のカードがあるでしょう」

ゆかり:「……これ、ですか?」

紫苑:「えぇ、私が彼女の動きを封じます。その隙に、それを持ってあの扉から出てください」

ゆかり:「でも、つむぎさん……」

紫苑:「記憶を売らなかったのは貴方です。だから、最後まで背負ってください」

ゆかり:「っ……つむぎさん」

紫苑:「そのカードは、草薙くさなぎタチの優しい感情。彼女が憑りつかれる前の人間の記憶です。貴方が扉から出たら、私は記憶屋の戸を永遠に閉ざします。せめて、人間だった草薙くさなぎタチの記憶くらいは、元の世界に戻して差し上げたい」

ゆかり:「…………」

紫苑:「化け物の慈悲じひですよ。もうじきそれも鬼に飲まれてしまう。ゆかりさん。そのカードを持って、普通の人生を歩んでください。そのカードを持って、草薙くさなぎタチと……私、つむぎ しおんを、忘れないで」

ゆかり:「っ……分かりました」

タチ:「さぁ、神の力の元に朽ち果てちゃえ!」

紫苑:「炎縛ノ剣えんばくのつるぎ。この身に宿るいにしえの記憶。憎悪の破片は魂を焦がし、敵を鎮める大火となる!記憶の隘路あいろに、その身をくべよ!晦冥縛炎斬かいめいばくえんざん

タチ:「そんなものぉ……タチに効くとでもぉおおお!!!」

ゆかり:「今だ……行かなくちゃ……」

(カードから声がする)

タチ:「タス……ケテ……」

ゆかり:「っ!」

タチ:「タチを……つむぎを、助けて!」

ゆかり:「ッ、うおぉぉぉおおおおおお!!」

紫苑:「なッ!?」

タチ:「何ッ!?」

ゆかり:「優しい記憶、戻れぇええええ!!」

タチ:「人間……斬り殺してあげるぅ!!!」

紫苑:「馬鹿!!!」

(斬撃を受ける。それとともに、カードがタチの体へ)

ゆかり:「がはッ……」

タチ:「ぅ、うわぁぁああああ!?!?!」

紫苑:「ゆかりさん!」

タチ:「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!こんなの、望んでない!せっかく強くなったのに!最強の妖になれると、思ったのに!!!ぐッ……体を、追い出されッ……クソ、クソ!このガキ!俺はまだ死なない、まだ死なないぞ!この体が駄目なら、次はお前に憑りついてやる!俺の斬撃を受けたその瀕死ひんしの体を、乗っ取ってや———」

紫苑:「記憶の戸、けがれの封印、今、敵を緊縛きんばくする」

タチ:「なッ……!つむぎ……しおんッ……!」

紫苑:「最後までみにくい妖ですね。私の友人を傷つけたのだから、覚悟は出来ていらっしゃるのでしょう?」

タチ:「どこまでもどこまでも、小癪こしゃくな男だ!くッ……カードに、呑み込まれるッ……!覚えておけ!俺はこんな紙切れすぐに脱出してやる!その時はつむぎ、お前の最後だと思え!」

紫苑:「別に構いませんよ。もっとも、このカードには私のけがれも封印しますけど。神の力に胡坐あぐらをかいていた貴方が、私の憎悪に喰いつぶされないか、見ものですね」

タチ:「ッ……!くそ、クソ!!!俺はこんなところで終わるタマじゃ……もう少しで最強だったのに……嫌だ、嫌だ!まだ、死にたくな——」

(完全に封印される)

紫苑:「……今度は、貴方が記憶の隘路あいろに囚われる番です。……ハッ、ゆかりさん!」

ゆかり:「ぅ……」

紫苑:「まだ息はありますね。すぐに傷の手当てをしなくては!……あァ、草薙くさなぎタチの本体も休ませなければ……」
 
***
 
ゆかり:「———……ん、ボクは……」

紫苑:「おや、お目覚めですか。お紅茶、入っていますよ」

ゆかり:「つむぎさん!……と、そちらは」

タチ:「きゅるきゅるかわちなタチちゃんだよぉ」

紫苑:「この子、元からこういう性格だったようですね。はァ、鬱陶うっとうしくて敵いません」

タチ:「つむぎひっどーい!レディにそんな言い方ありえなぁい!」

紫苑:「はいはい。さぁ、ゆかりさん。こちらへ」

ゆかり:「えっと、ボク……確か、つむぎさんを助けようと……」

紫苑:「えェ、貴方の決意の強さには驚かされました」

ゆかり:「それでボク、斬られて……」

紫苑:「えェ、手当が大変でした」

ゆかり:「あれから、どのくらい眠っていたんですか?」

紫苑:「3日ほど、でしょうかねぇ」

ゆかり:「最悪だ……あの授業の単位、絶対に落とした……」

紫苑:「そっちですか!?」

ゆかり:「今の時点で1つ落としたって問題はないはず……あぁ、だけどそのほかの授業もギリギリだ……」

紫苑:「貴方、仮にも致命傷を負っていたんですよ?」

ゆかり:「だとしても、休む理由には出来ないんです!」

紫苑:「そういうものですかァ……」

ゆかり:「半年後には就活も始まるのに……あぁ、どうしよう」

タチ:「ボーイ、とりあえずお紅茶飲もぉ?」

ゆかり:「うん……あ、美味しい」

紫苑:「全く、どこまでも自由な方々だ。そうだ、ゆかりさん」

ゆかり:「はい?」

紫苑:「厄介な祓い屋もいなくなったワケですし、お紅茶のショップでも開こうかと思うのですが……ウチ、来ません?」

ゆかり:「え……それは、就職ってことですか!」

紫苑:「えェ。記憶屋の利益でお店を構え、私の寿命が尽きるまで好きにお紅茶をたしなもうかと。1人でお店を見るのは難しいですから、手伝ってくれる人が必要なんです」

ゆかり:「で、でも……」

タチ:「タチもやるぅー!」

紫苑:「えぇ?面倒ですね。まぁ、貴方みたいなじゃじゃ馬娘、どこも雇ってくれないでしょうし、いいでしょう。それで、ゆかりさんはどうしますか?」

ゆかり:「ボク、ただの人間ですよ?いいんですか?」

紫苑:「嫌なら、貴方の記憶を買い取ることになりますケド……」

ゆかり:「や、やります!」

紫苑:「あら、即答」

ゆかり:「だって、こんな記憶、売っても忘れられないよ」

紫苑:「ふふ、そうですね。それじゃあまずは……この散らかった部屋をお掃除しましょうか」

タチ:「あっ」

ゆかり:「えっ」

紫苑:「私、先の戦いで妖力を消耗しょうもうしすぎまして。部屋を作り変える力がないんです。……てへっ」

タチ:「もぅ、仕方ないなァ」

ゆかり:「ボク、巻き込まれた側なのに……!」

紫苑:「つべこべ言わないでくださいっ!これじゃあ記憶屋すら開店出来ないんですから!ちゃっちゃと片づけますよ!」

ゆかり:「はぁーい」

タチ:「つむぎ、ママみたぁい」

紫苑:「貴方を育てた覚えはありませんっ!ほら早くお片付けしなさいっ!」

タチ:「あはは、はぁい」

ゆかりM:「過去の記憶に苦しむとき、記憶屋の戸が開く。そこには鬼と、祓い屋と、1人の人間が、お紅茶をたしなみながら、記憶の隘路あいろに、そっと立ち入るらしい。売るも買うもあなた次第。貴方の決意で今後の人生が変わります。……記憶屋紫苑へようこそ!」
 
 
 


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