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Webサイト表現について、過去から現在、現在から未来への考察

Webサイトの表現を研究のテーマとして考えた時、Webサイトを取り巻くテクノロジーやインフラの変化、また使用するユーザーの環境や使い方の変化がその部分に大きく影響を与えていると感じます。この変化の中で、Webサイト表現という観点から、今後この分野における未来をどのように考えれば良いか、考察をしてみました。あくまで私の一つの視点であり、未来のWeb表現を考える一つの考えとして捉えてください。

まず、現状について思うこととして、ここ20年くらいの間に、技術、インフラ、UXへの考え方について進歩していると実感します。

1990年代はまだ、利用者も少なく、使用できる技術もインフラも整っていない状態でしたので、情報発信の一つの手段であり、テレビや新聞といったものと比べると、影響力が少なく、表現をするという余地は少ない時代だったと考えます。

2000年代は、回線速度が少しずつ上がり、扱える情報量も増えました。インタラクティブなWebサイトが普及した時代だったと思います。当時の動きのあるサイトは新鮮な驚きによって、訴求力を高められたように思います。オンラインショッピング、コミュニティ形成、ブログなどが注目され、ユーザーとの対話性が増加し始めた時期です。ウェブ2.0の時代で、ユーザーコンテンツが重要視されました。この時代に多く制作をしてきたものとしては、ユーザーへの配慮が少しずつ増えてきたものの、ユーザーに与える影響については、多くは実験的な時代だったようにも感じます。

2010年代に入り、大きな変化として モバイルファーストの時代が来ます。インフラやテクノロジーが進化し、ユーザーの多くは、ネットをモバイルで見る時代となっていきます。ネットでの情報の影響力も高くなり、Webサイトにおいても、真新しい企画よりも、マーケティングでの観点が強くなっていったと感じます。Web表現においては、ユーザビリティやアクセシビリティ 、SEOやSEMへの考慮も少しずつ成熟していっていったと感じます。
2000年代に行われていた実験的なコンテンツは減り、そういったことに従事する製作者も減ったように感じます。異なる角度からみると、人を楽しませるような驚きのあるコンテンツを考えたり作る機会も減り、需要の減少に伴いブラウザ上での表現手法は少しずつ幅が狭い状態になっていると感じます。

2010年代後半から現在に至っては、動画コンテンツの取り扱いが一般的になっていったように思います。モバイルの普及やインフラの改善、端末のスペックの向上により、一般的なユーザーが動画を撮影したものをアップし、供給したり、閲覧するプラットフォームになりました。ブラウザ特有の表現においても、視差効果やインタラクティブな動きのあるサイトなどもまだあるものの、Web表現の世界においては、限定的な場所での表現になっているように思います。

一般的なサイトでは、動きやギミックと呼ばれるものは、マイクロインタラクションがある程度になり、豊かな表現をしたいサイトのケースの多くは、ダイナミックな画像や動画での表現が色々な意味で伝える手段として優れているように思います。もちろんWebサイト特有のパララックスやマウスの動きやスクロールに合わせて動く表現はあるもののニッチなところになったと感じます。

さて、未来はどうでしょう。
ここまで過去を振り返り、現在の成り立ちを考察しました。
今までも個人的にはWebサイトの未来の想像をしてきましたが、それまでになかった概念が入ってくることが多く、その想像の枠に当てはまりませんでした。
なので個人的には、あてにならない妄想とも思いますが、現状にある事象から予想をしていこうと思います。

まずは、AI技術の進化をどのように考えるかです。

制作の観点からすると、多くのサイトは、今後優れたデザインパターンの組み合わせを簡単にできるようになると考えます。
そういう意味ではWebデザインを担う人の仕事は多様化するのでは無いかと考えます。

多くのサイトがAIでパターン化されたもので十分役割を果たすようになるようになったら、簡易的なページはサービスに提供されるもので十分になるように思います。
コンテンツで伝えたいことや、コンテキスト、ストーリーテリングなども提案してもらい、今よりも簡単に構築が進むように思います。

提供されるパターンの組み合わせ元になるビジュアルを考え提供するところは仕事としてありそうに感じます。
また、洋服などと同じように、オーダーメイドの文化も残ると思いますので、大量生産されるサイトとオーダーメイドのサイトで、作る考えや工程は変わるかもしれません。
オーダーメイドの世界でも、パターンの案を出すことはAIを活用し、最終的な調整を人間が行う、もしくはAIにデザイナーの意図を検討させる、そんな未来が来る(来てる?)かもしれません。

私も普段の仕事でChatGPTなどを使いますが、使い方には色々と考えさせられるものがあります。
「作る」「作らせる」という観点もさることながら、「評価をさせる」という観点が今後増えるのでは無いかと考えています。多面的なものの見方や、性能調査、体験調査、そういったこともいずれできるようになってくると、サイトの目的を果たすことがより行いやすくなるサイトが増えていく未来を想像してしまいます。

もしかすると、サイトの表現は成熟化、最適化が進み、今よりも伝わるサイトが多くなり、多くのサイトの表現は良い意味で画一的となるのかもしれません。
現時点では極論にも感じますけどね。完全な表現は、完全から外れた表現は包含しないが、それもまた表現だと屁理屈が頭をよぎります。
セオリーから外す、あえて違和感を出させる、そんな目的の表現も今よりも簡単にできてしまうかもしれません。
AIの話だけで、お腹一杯になってきましたが、他のテクノロジーにも少し目を向けます。
ARやVRといった拡張現実を使って、空間でブラウザを閲覧する、もしくはスマートでウェアラブルなメガネで見る表現なども、少し前に想像したことはあります。

ただ、それが一般的な生活に入ってくる未来は、中々近づいていないようにも思います。
その考えを打ち破る技術改革が起きるかもしれません。閲覧するデバイス、インターフェイスが変わればそれに合わせた表現も増えるかもしれませんが、現時点では、ブラウザやスマートフォンで閲覧する、この形は秀逸で情報を受け取る利便性は簡単にはシフトしないようにも感じています。
今ない、新たな体験が増えることで、また表現について考える余地が増えると考えると、便利になって、良い表現が提供されるのが当たり前になるほど、表現を考えるというのは減っていくのかもしれないなあ、と漠然と考えてしまいました。


また少し、未来になったら、この文章を読み返してみたいと思います。
長文読んでいただきありがとうございます!


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