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自分の欲求に向き合う

どうも、Yuです。
今日は自分の欲求というテーマで少しお話します。

自分の欲求っていうと堅い感じがしますが要するにわがままですよね。

わがままは言っちゃいけないっていうのがずっと教えられてきたんですが、たくさんの人のお話を聞いていて「もっとわがまま言っても良いのに」と思ってしまいます。

そもそもわがまま言っちゃいけない理由はなんなのか改めて考えたんですが、他人の迷惑っていうのが一つのキーワードになっていた覚えがあります。

他人に迷惑をかけるわがままはダメという感じですかね。

この考えに関して、全くもってその通りだと思います。

その上で弊害も出てるなという部分もありと感じています。

ひとつめがやりたいことをしない体のいい理由づけになってしまうということ。

要は「これやりたいけど他の人の迷惑になってしまうからやめとこう」となるわけですね。

他人の迷惑を考えることはいいことです。
ただ、一度きりの人生でそれで良いのかとも考えさせられますよね。

ふたつめは可能性を閉ざしてしまうということ。
昨日お話しした気づきという部分にも共通することなんですが、最初から自分のやりたいことや、自分の得意なことを知っているなんて人はいません。

色んなことを体験して気づきを得て、そのから「もしかしたら…」となってさらにその「もしかしたら」を確かめるための行動をしてさらに気づきを得ていく。

最終的には「これは自分に向いている」や「これをもっとやりたい」となっていくものです。

「何かをしたい」というものをわがままの括りに入れてしまうのは自分の可能性探しをすることをできなくさせてしまう考えでもあるんです。

そこで自分の欲求、わがままと向き合うことが必要になります。

何か事を起こさなければ周りに迷惑をかけたりしません。
一度わがままと向き合うんです。
そのわがままを通したら何を得られるのか、それわがままを通して得られる気づきはあるのか
自分としてはそのわがままを通した時に相手にかかる迷惑はそんなに致命的なものなのか

向き合い、それらを踏まえて他人に迷惑をかけてでも自分に価値がある行動だと思えるならぜひチャレンジしてみてください。

自分の中で「致命的なほどの迷惑ではないかな」と思えるのなら、他人からすれば自分が思ってる以上に迷惑に思ってない可能性が高いです。

なぜなら、人は心理学的に自分ごとではないことに興味がないからです。

もちろん自分が損することには敏感なので、人を損させてしまう結果を生むなら不快にさせてしまうこともあるでしょう。
他の人のお金を失わせたり、3.4時間くらい無駄にしてしまうとかそのレベルはわがままと言えるかもしれません。

ただ、それ以外くらいの損失なら相手としてはそんなに興味ない部類に入るんじゃないかと思います。
もちろん人によりけりですけどね。

でも、裏を返せば、みんな自分本位に生きてるよということです。

多少の迷惑は仕方ない。

もっと自分の欲求に向き合って、欲求のままに行動することも大事だと思います。

そうやってみなさんの貴重な才能を開花させていってください♪

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