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一カ国×一曲、聴くなら・弾くなら何にする?

だいぶ前のことになりますがこのnoteを始めて一番最初にこんな記事を書いてました。

なかなかこういう気の利いた曲について考えるエクササイズ的なネタは自分では思い浮かばないのですがちょっと最近一つ思いついたので(実際気がどれくらい利いているかは特に気にせず)ちょっと頭をひねらせてみることにしました。

お題:もしもクラシック音楽で1つの国につき1曲しか聴いちゃ・弾いちゃダメということになったらそれぞれ何の曲を選ぶ?

ロシア
弾く: ショスタコーヴィチ ビオラソナタ
聴く: ショスタコーヴィチ 交響曲第11番

ピアノ弾きが何を選んでるのか、みたいなやつがいきなり来ましたがショスタコのビオラソナタは(たとえ一緒に弾いてくれるビオリストがいなくとも)自分にとって特別な曲で。音楽的なとかピアノ的なとかいうよりは哲学的な、自分の内面に関わるチョイス。交響曲11番はもうあのストレートなデストロイヤーな音楽がないとストレスが溜まった時に大変なことに。いわゆるヘビメタ枠です。

フランス
弾く: メシアン 「鳥のカタログ」
聴く: ラヴェル 「夜のガスパール」

13曲も収録されてる曲集をつかまえて「1曲」カウントするのはちょっとずるい気もしますが鳥のカタログがあれば自然と鳥を感じていられる。あえてそこから1曲えらばなきゃいかなかったら最終楽章の「ダイシャクシギ」かな。ラヴェルはピアノ作品としての完成度が自分の中で最高峰なんですがやっぱり難しいんで(笑)1曲選ぶなら自分で苦労して弾くよりは聴いて楽しむという形で近くにおいておきたい。

ドイツ
弾く: ブラームス ピアノ四重奏第3番
聴く: ブラームス 「ドイツ・レクイエム」

色々考えたけどブラームスの人肌のぬくもりに頼ることとなりました(ヒンデミットも結構最後まで考えてたんですが)。現代音楽好きとは自称してますがこの手のどっぷり人間味はどうしても好きで必要なのかも。そしてドイツ・レクイエムに関しては「宗教関連作品1曲だけ」という場合でもたぶん選ぶんじゃないかな。キリスト教徒ではないしある程度縁があるキリスト教と教派も違いますが「自分に親しみが一番深いキリスト教」の形に近いのかも。

イギリス
弾く: アデス 「Darknesse Visible」
聴く: ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番

ヴォーン=ウィリアムズは似たようなイギリスの緑の田園風の曲をいくつか書いてるのでそういう意味ではちょっと悩みましたがやっぱり5番。特に第1楽章と第3楽章は聴きたいときに聴けなかったら間違いなく苦しむ。アデスは弾いて自分にものすごく合った曲で、いくつかの意味でオンリーワンな音楽。それからピアノ曲では古楽の現代アレンジ作品はちょっと貴重な印象。

スペイン:
弾く: モンポウ 歌と踊り第6番
聴く: アルベニス 組曲「イベリア」

ここ数年いろいろスペイン音楽をピアノで弾いてきましたがやっぱり自分に一番合うスペイン音楽は歌と踊り第6番。スペインというか南米の影響が入ってるのがやっぱり大きいんでしょうね。そして前述夜のガスパールと同様に「イベリア」も(数年いろいろ選んで弾いてますが)骨が折れるので弾く方で選ばなくても聴くだけでだいぶいろいろ楽しめるというか、その方がきっと視野広く楽しめる気がします。

イタリア:
弾く: レスピーギ 「ローマの松」
聴く: レスピーギ 「ローマの松」

清いまでの一点突破になりました。レスピーギは結構オケ作品にピアノやチェレスタを使ってるので弾いてみたい曲は結構あるんですが1曲に絞れといわれたらこれしかない。しかもピアノパートもチェレスタパートもあるので弾くにも二倍楽しめる。

オーストリア
弾く: シューベルト 「Auf dem Wasser zu singen」
聴く: マーラー 交響曲第6番

オーストリアももちろん音楽の都の国ですからいろいろありますが自分にとってはこの2人の作曲家が段違いに心に近い。シューベルトはピアノソロ曲もいろいろあるのですがやっぱり歌曲を捨てることができなかった。伴奏もいいですがリスト編曲のピアノソロ版もあって好きです。マーラーもあれだけいろいろ交響曲あって1曲だけ!というと知り合いで選べなくて悶絶しそうな人何人かいますし私もだいぶ苦しみましたが6番かなー。そこに「なるべくマーラーの交響曲の魅力を多く」という意図は全くないチョイスになった気はしますがそれでもなぜか悔いは一番少なさそう。

ハンガリー
弾く: バルトーク 「中国の不思議な役人」
聴く: バルトーク ピアノ協奏曲第2番

なんか普通に考えると逆っぽいですがピアノ協奏曲は聞く方でいいです。ユースオケでチェロパート弾きましたがオケでもだいぶドキドキしながら弾くのでソロとか考えてません。でもやっぱり聞いて楽しみたい。その反面中国の不思議な役人はオケでピアノパートを弾く機会があったら是非弾いてみたいと他の諸々ハンガリー生まれの作品を捨ててでも思ってます。

アメリカ
弾く: クラム 「Apparition」
聴く: クラム 「Songs, Drones, and Refrains of Death」

クラムの作品から選べなくてごろんごろんと悶絶するためだけにアメリカを入れたようなところもありますが気にしない。マーラーの交響曲がそれぞれ違ってそれぞれ素晴らしいのと同じようにクラムの歌曲集・室内楽曲もそれぞれキャラと世界が違ってどれも捨てがたい。ピアノソロ曲でいうとマクロコスモス第2巻を好んで弾いてましたが最近「Apparition」のピアノパートの表現にはまってしまってこれだけの範囲を極めるのでもかなり意義がありそうだなと。ただ聴く方のチョイスは相当ごろんごろんしました。結局のところあのアンプ付きのハープシコードの爆音を無視できなくてこの結果。

オーストラリア
弾く: Ross Edwards  バイオリン協奏曲第1番「Maninyas」
聴く: Brett Dean 「The Last Days of Socrates」

これは弾く方は厳密に言うとそう思える曲を探している途中なのですが現時点ではManinyas。あれだけオーストラリアの自然っぽい音楽にピアノが混ぜてもらえてるのが光栄(個人的な印象ではピアノの居場所があるのがちょっとびっくりな曲です)。聴く方に関しては即決。というかもっと演奏やって聴かせて欲しい。

こういう思考実験というかちょっとしたエクササイズに特に深い意味は(少なくとも考えはじめは)持たせないのですが、それでもやっぱり考えると自分の音楽の好みとか、自分にどんな音楽が大事か、そして音楽外での自分の価値観とか世界観みたいなものも見えてきたり。
でも単純に「でもこの曲も捨てたくない」と選べなくて悶絶する過程が楽しいし好き、というかそうやって取捨選択をベースに考えることで改めて感じられる曲への愛があるような。
それから「聴くだけでも十分」(ピアノ曲だけどむしろ弾くより聴く方が楽しめる)なんて曲も少なからず見つかった中「やっぱりこれは自分で弾きたい」という気持ちも見つけることができて。
なので今後もなにかにつけて考えを巡らせられるネタは探していこうと思います。それがnoteに現れるかはわからない、というか完成度次第ということで。