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お題でプレイリストその15「Like one of us but not」

サッカー方面で、特にオーストラリアのAリーグ周りでとにかく「人間」を強く感じるあれやこれがものすごく好きでそれがどれだけ好きで楽しいか(自宅で一人で誰にともなく)しょっちゅう叫んでいますし、以前「人間の営み」的なプレイリストを作ってそっちでも声なく叫びましたがクラシック音楽である「人ならざる者」の題材のチョイスや表現法も同じくらい好きなのでこちらもまとめてみました。

私が作るプレイリストの多くでそうなのですが、この手の音楽はだいたいベルリオーズ(お馴染み幻想交響曲)が祖で20世紀に表現が急激に多様化する傾向にあります。
表現の多様化だけでなく元ネタもキリスト教系統やヨーロッパのファンタジー以外に広がっているのも面白い。

「人ならざる者」を音楽で表現する、つまり特に聴いて即座に違和感を感じさせて他の「人間的な音楽」と区別するためのテクニックは色々あります。
例えば通常とは違う楽器を使ったり(ベルリオーズのEs管クラリネットやマーラー4番のチューニングが変わったバイオリンなど)、増4度/減5度のいわゆる「Tritone」と呼ばれる不協和音的な音程で禍々しさを表現したり、はわりと伝統的に使われている技法ですね。

ピアノのソロ曲だと音色で出来ることは限られているので音形で工夫するケースが多い。スカルボの連打音やシマノフスキのセイレーン(に羽根がおそらく生えていること)を表現するトレモロなど。ただ現代音楽と本格的に呼ばれる域になると「いや、ピアノでも音色で出来ることはたくさんある」と言わんばかりに特殊技法が爆発。クラムの「マクロコスモス」第1巻・第2巻の面白さは正に人間ではない想像上の生き物をそんな技法で表現することにあります。

ちょっと違って面白いなと思ったのがアデスの「The Tempest」に出てくるアリエルのパート。実に人間離れした高音&跳躍を多用しただけでなく、普段人間にとって自然なメロディーが低いところから上がって下がるいわば正規分布のカーブを描くのをひっくり返した基音が上にあるメロディーで書かれています。鳥の歌にはよくある形な印象がありますが現代音楽的な作風の中でもしっかりその異質さが伝わります。

あとホルストの「水星」やメシアンの天使のまなざしに共通する「とにかく合理的にすることで人間らしさと違いを見せる」という作風も個人的にすごく好きです。水星はひたすら軽く速く、メシアンの天使は鳥と炎と威厳、と方向性は全く違いますが幾何学的・数学的な要素があるパターンの繰り返しなどが似てます。

作曲の表現の幅が広がっただけでなく奏者のレベルが上がったことによる音楽の進化、そして奏者の技巧と表現力を現代でも厳しく試し続け、奏者は人間を超えた存在を感じ表現するという作曲家・作品・奏者のある意味理想的な関係をファンタジーというジャンルは提供してるんじゃないかなと思います。

そんなファンタジー題材の音楽は21世紀を通じて減っていってしまうのか生き残るのか、ちょっとたまに心配になりますがどうなんだろう。表現方法が色々凝ってたりぶっとんでたりして面白いと思うのですが。絶滅しないでくれ。