見出し画像

音楽×???で20世紀以降音楽の楽しみを増やそうとする試み

趣味が色々あるとあっちやこっちに身体も心も忙しいですが、違うジャンルの趣味が繋がったりするのは単独の趣味を楽しむのとはまた違った楽しみがあります。
自分が現代音楽(あるいは比較的最近の音楽だけどスタイル的に現代とは言えないちょっと懐古的や保守的なところもある音楽)で好きな音楽が広がっていったのも音楽同士のリンクだけでなく他のジャンルとの共通・共感ポイントを見つけていったのが大きく、それを糧にして楽しみを増やしていった結果だと思います。
ということで今回は音楽の「好き」に繋がった自分なりのコラボを少し言語化する試み。

メシアン×宮沢賢治

だんだん主流になってきているメシアンですが弾く人も聴く人も(どっちかというと前者だったり)どうしても最初の壁を越えられない、耳が慣れるまで届かない人がまだまだいるなあという印象を受けます。
ただ前々から日本人はメシアンの音楽に対して若干アドバンテージがあるのでは?という自説があって、それは例えば敬虔なクリスチャン(カトリック)とはいえども詳細を聞いてみるとアニミズムだったり神道にも通じる話があったり、生き物(鳥)の題材としての使い方だったり、そして宮沢賢治の色彩の描写がメシアンの音楽に近いところがあったりすると思うのです。
「銀河鉄道の夜」とか「十力の金剛石」とか「貝の火」とか辺りがぱっと浮かぶのですがああいうきらきらして色んな色が混在している様子がメシアンのステンドグラス由来の色彩感覚に似てるのではないか、そんな風に思っています。もちろんメシアン自身も前書きとか色々文章で説明してるんですが、もう一つ親しみがある資料があると助けになったり・・・しないかなあ。

アルベニス×スペインのサッカー

基本的にスペインの音楽って曲名が地名である(または地名が入っている)ことがかなり多く、それだけ地域によって音楽など文化が多様なのが分かります。なのでここ数年アルベニスの組曲「イベリア」をなんとか攻略しようとしていますが新しい楽章を始める時にはまず世界地図を開くところから始めて、地理的にどこなのか、本拠が近いリーガのチームはどこなのか把握して、試合中継で映るスタジアムの熱気や観客の様子、そして空からスタジアムを撮ると映る街の様子などで雰囲気の一部分でも掴もうとしています。
正直なところピアノで弾くにはスペイン音楽はなかなか自分の一部と言えるくらいには親しみが浸透しなくて(南米はあんまり苦労しない)、その中でも「イベリア」はほとんどの曲が(自分の技巧では)理不尽に難しくて純粋に音楽的・ピアノ的に向き合おうとだけするとしんどいので外堀から攻めていく、というか雰囲気から入ってある程度ノリで攻略するくらいでないと楽しく弾けない気がします。そのためにもサッカーやスペインのギター音楽なんかを肌に染みこませないと。

ショスタコーヴィチ×スチームパンク

前々から言ってることなのですがショスタコはヘヴィメタルやハードロックと相性が良く、それからショスタコはスチームパンクと相性が良いと思っています。
デザインの無骨さというかストレートさ、機械・金属感、Symbol的な表現、必ずしも「美しい」とはいえないノイジーな表現、ガチャっとした重さなどなど。それでいてたまにハッとするような美しさもあり、やめられない止まらない「厨二」的スピリット。
幾つになってもどちらも好きでいたい。

アルケミー-ゴシックのスチームパンクコレクションもまだ増やしたい

Sculthorpe × The Ghan

別途レポ(大大遅刻)を書いてる途中ですが2022年の夏の終わりにThe Ghanに乗ってオーストラリアのRed Centre、Top Endと呼ばれる地域をちょこちょこっと体験してきました。やっぱり自分が普段住んでいる地域とはまるで異国と言えるくらい違いますし自分の目で見て肌で感じてみると音楽の感じ方もまた変わってきますね。
普段住んでいるのと違う地域を訪れたとを他人に話す時にまず気温の違いについて言及するのが普通と思われますが、音楽の場合気温よりも湿度や植生の風景が特徴として伝わりやすいというのが持論だったりします。特にオーストラリアの作曲家の音楽は乾燥している地域・湿気がある地域の音楽にかなりはっきり分かれる傾向が。
Sculthorpeはどちらのタイプの音楽も対応していてそれぞれに名曲がありますが、特にEarth CryはThe Ghanで雨期のRed CentreからTop Endへ向かう途中の景色、そしてギター音楽はもっと乾燥している地域に合うような気がしました。The Ghanの列車旅だと短期間で全く違う気候帯の景色を見るだけでなく、その対照的な景色の間の変化も楽しめるのがちょっとしたポイントかも。

景色のサンプル一枚だけ。詳しくはレポの方で

現代音楽はものすごく前衛的でないものでも(特に弾く側にとって)とっつきづらい、難しいと言われることが多くて大学の頃からどうしたものかと色々考えたり同胞の耳に入るきっかけを作ろうとしたりしてきたりしてきたのですが、卒業して自分の生活において他の趣味の割合が増えてから「きっかけってこういうことなのかもな」と思うことが多くなり。
そして音楽に費やす時間の性質が変わったことで音楽をなんとか工夫して好きになろうとする、理解しようとする過程をより楽しむようになったのがこの記事に至ったわけですが。

もちろん音楽で何が響くかは人それぞれですし若くて頭が比較的鋭く柔らかい時期に音楽がものすごく好きな人は他のものをほっぽって音楽に没頭してしまうのでなかなか広くアプローチするのは難しいかなあ、と思ったり。
でも少なくとも「初見で好きになれなくても時間をかけることで、あるいは寝かせておくことで予期せず音楽が好きになる、わかるようになる可能性がある」「音楽そのものだけじゃなく世界の諸々とのつながりに目を向ける」が若い頃からできるようになるともうちょっときっかけが増えて親しみもなんとかなるんじゃないかな、と。
あと西洋の音楽の話ではありますが最初の例のように「日本人ならではの見方」みたいなのが出てくるとそれもまた別の面白さがあったり。

いかに楽しむか、という話なのにどんどん難しく考えるトーンになってきましたので今回はここらで。ぐるぐる考えるのも含めて引き続き諸々趣味で楽しみます。