「国交省辞めて、コーチになります!」 第1話 国交省入省
平成6年4月1日
博多駅筑紫口から歩いて数分の場所にある福岡第二合同庁舎で辞令交付を受けました。
建設省入省です。
大学の土木工学科に通っていた私に、市内有数の建設会社で営業部長をやっていた父は「公務員」を勧めました。
たたき上げの土木技術者としてその地位まできた父からすると、建設会社で現場の責任者になるには性格が優しすぎると判断したらしいのです。
併せて、建設業界での役所の立場の強さも体験している父としては我が子を想ってのアドバイスだったと思います。
そこで私には選択肢ができたわけです。建設会社に就職するか、公務員試験を受けて公務員になるか。
そして、公務員を選んだ私は、国家二種の試験に受かり、建設省の採用面接に合格し、晴れて公務員生活をスタートさせたわけです。
バブル崩壊直後でもあり、第2次ベビーブームの影響も受け、建設省の同期入省は大卒高卒合わせて100名を超えていました。
辞令交付後、全員一斉にバスに載せられ「阿蘇青年の家」に約2週間缶詰です。
当時は携帯電話もなく、なぜか新聞やテレビを見ることを禁止され、研修を受けるか同期と話すしか出来ない生活。
そして、何を学んだかは早い段階で頭の中から抜けていく始末。今となっては新入社員研修のいいネタになっています。
2週間の軟禁生活後、各自配属先の事務所から迎えが来てそのまま配属先に連れて行かれます。九州各地から集まった迎えの車に乗って散っていく様はまるで「ドナドナ」の歌詞の様、「売られてゆくよ~」といった感じ。
私の配属先は「武雄工事事務所調査課計画係」。この事務所は自宅から車で30分程度に位置し、「これで久しぶりに家に帰れる!」と思っていたのですが、事務所では歓迎会が行われ、下戸の私は早々につぶされ、その日は独身寮に運ばれる事態に。
こうやって私の公務員生活はスタートしました。