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コンタクト6日目の大人

2023/9/12

入れるのに5分
外すのに20分

レンズが「大人」をつくる。

愚痴を口に出すと余計昂って入れられなくなるのは何回も学んだので、今度は「絶対に喋ってはいけない」という1人クワイエット・プレイスに挑んだ。

次から次へと湧いてくる文句を漏れなく漏らさず、足の裏から根を下ろし、ずーっと同じ場所で耐え忍ぶ。

言いたいことを飲み込み続け、ただ「目の前」のタスクと格闘し続けていると、生まれて初めて自分が「大人」の入口に立っていると思い知らされる。

不満を我慢して愚痴を閉じ、呪詛に封をして怨嗟を延期し、自分の機嫌を自分で取る。

コンタクトレンズは、「大人になる」ということの解像度を上げるものなのではないか。



いや無理。やっぱしんどいわ。
方法分からんし、方々が痛いし。

「大人」でいられなくなった私はリビングへ踵を返し、ヤケクソ混じりに冷凍庫を開け、アイスバーを引っこ抜き、ベタつく個包装と好きでも嫌いでもないパイン味とにムカつきながら、怒りのままに氷柱を貪り、木の棒に歯が食い止められて初めて理性を取り戻す。

何故コンタクトはこんなにも私を苛立たせるのか? 「大人」に反発するのは大人でない証、それでもなお許し難い理由がある。

外せる1回と、外せない99回の間の違いが分からない。外せる時に外せる理由と、外せない時に外せない理由が言語化できない。私のマインドセットにとって、謎を言語化できないというのは屈辱であり、怠慢であり、愚鈍のレッテルなのだ。

「分からない」への怒りは知的好奇心の反動であり、玉石の裏に巣食う百足のごとく、私の皮下を這いずり回る。
何が違う? 何がおかしい? 何故分からない?

そんな時、大人はすぐ「慣れ」という言葉を使う。だが、それは子供だましの怠慢に他ならず、説明責任を果たしていないとすら言える。「慣れ」とはなんだ! 説明してみろ!! 言語化して、再現性のあるマニュアルをこさえてみせろよ!!


……押しながらつまむことでした。
押しながらつまめば取れました。
それだけでした。
あと「押しながらつまめば取れる」っていうアドバイスは知り合い10人くらいから言われてました。
あんまよく聞いてませんでした。

愚鈍をストンと自認する、なんて「大人」な対応か。

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