経験は俳優のこやし?
同じ事務所の人なんですが、とにかく色んなことをやっています。バイトも飲食、医療関係、習い事はヨガとか格闘技とか、とにかく色々やっています。しかもそれがどんどん増えてる。どれか一つを極めてるわけでもないし、極めようって思ってるわけでもないみたい。あくまで、『芝居に役立つと思って。医者の役がきた時に、医療のこと知ってた方がいいしetc…』(本人談)
俳優にとって「経験」するということは、芸のこやしになる。そんな話はよく耳にします。それはそうだと思います。
……が!!
やりゃあいいってもんじゃない。
うん、ほんそれ。ほんとそれな。
「俳優はなんでも肥やしになる」って言葉を、自分に都合の良いように解釈して、何かをやることで、本当にしなくちゃいけないことから逃げてないですか???
肥やしって、【肥料】なわけです。植物をより大きく育てるための栄養素。落ち葉とかフンを肥料にするには、そのままじゃだめ。ちゃんと発酵させて肥料化しなくちゃいけないんです。
つまり、【経験】を俳優の肥やし=【演技力や演技を豊かにする肥料】にするには、ただ経験したって駄目です。それはただのゴミです(それは言い過ぎか)
経験をいかに肥料化するか
やはりこれは「日常を俳優として生きる」ということに繋がりますが、常に自覚的になることだと思います。自分自身や自分を取り巻く世界(他人も含め)に興味を持つこと。
その経験によって自分はどう感じたか、何を思ったか。相手に対して何を感じたか、それはなぜ?どういう部分がそう思わせるのか?
こんなこと考える自分って恥ずかしいとか情けないとか、倫理に反するとかそんなことは一旦おいといて、自分という人間はどういう人間なのか、ということを追究して、向き合うことが大切です。
自分を知る。他人を知る。人間を知る。演じる。
自分自身のことでも、実はよく分かっていないものです。況や他人をや、ですよね。自分がどんなことに興味を持ち、怒りを覚え、心を動かされるのか、客観的に、探偵かカウンセラーかなんかになった気分で紐解いていくと、必ず変わります。
そして他人のことも、同じように考えていく。向き合っていく。他人のことは分からないので想像する、本人に聞く!俳優は人間が嫌いではできないなんて聞きますが、嫌いでもいいから興味を持ってないとなかなか難しいかもしれません。人間を演じるのですから。
だからね、いいんですよ。やりたいこと何でもやれば。でも、ヨガも格闘技も、絵画も合唱も、飲食バイトも医療事務もいろいろやってるけど、これって本当は、仕事がなくて焦ってなんかやってないと落ち着かなくて、でもレッスンしたりとか映画見に行ったりとかは正直面倒くさいって自分がいて、そんな自分ってしょうもないけど、やるべきことから逃げてるんだな。と自己分析できたら、それも全て分かってやってるなら意味があると思います。
台本を読むときに
この分析は、台本を読むときにもすごく役に立ちます。自分の思考パターンにピタリとくる役もあれば、どうしても繋がらない役もあるでしょう。その時に、じゃあこの人はどうしてこのセリフを言うんだろう。本気で言ってるのか、何かを隠すために言っているのか?相手役のこの言葉にカチンときたり、ドキッとしたりするんじゃないか、とか。初めて会う相手と対峙した時、自分は相手の髪型が一番気になってしまうけど、この役の人物は相手の指先を気にする人にしてみようとか。自分という1つの一番身近にある人間のサンプルを抽出することで、それ以外の人間との差を発見し、演技につなげることができるわけです。
よく「自分で演じなさい」なんて言われることがあります。が…これは長くなりそうだから別の記事にしましょう。
お読みいただきありがとうございました。