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またいつかきっと会える

ふと、思い出す大切な人がいる。
2019年初夏の頃、叔母が急逝した、59歳だった。

叔母はその年代には珍しく生涯独身だった。60歳の3月に定年を迎えたら、旅行にたくさん行くんだと、とても楽しみにしていた。

叔母にはいつも自分の子供のように可愛がってもらっていた。会いに行くたびに、いろいろなものを買ってもらっていた。お小遣い、お誕生日お祝い、お年玉、入学祝い、卒業祝い、就職祝い、など節目節目に、クリスマスなどのイベントごとに、もう換算できないほど、本当に様々な愛をもらっていた。わたしは4人兄弟だが、みんなに良くしてくれたので相当なものだったろう。

自分も社会人になり、お金を稼ぐことがどういうことなのか実感し、叔母がしてくれていたことの偉大さを身に染みて感じている。

大学を卒業し、社会人となりようやく仕事にも慣れた頃だった。美味しいものを一緒に食べ、美しい景色を一緒に見て、もっといろんな話をしたかった。何ひとつとして恩返しができなかった。あまりにも突然の別れで、思い出すだけで今でも涙が止まらない、今でも胸が押しつぶされそうだ。

叔母が亡くなり2.3週間くらい経った頃、当時の上司に会議室に呼ばれた。毎日わたしがあまりにも顔面蒼白だったらしく、大丈夫かというものだった。叔母との関係、何一つ恩返しができず、どれほど後悔しているかという気持ちを話した。

すると、上司が打ち明けてくれた。

20歳の頃、弟さんを突然亡くされたそう。弟さんとは高校生の頃に喧嘩、大学進学により一人暮らしを始めたので、そのまま喧嘩別れとなってしまったと。本当に落ち込み、何も力が入らなかったと。後悔という言葉では足りないほど後悔したと。

そんな中、インターネットも無い時代、図書館に毎日毎日毎日通い、数えきれないほど大量の本を読み漁り、大学で物理学専攻だった上司なりの気持ちの落とし所に辿り着いたそう。全てが一つであるということ。量子力学の観点から、全てにおいてエネルギーとしてそこに存在しているだけで、全ては繋がっており、いつもそこにあると。

自分を納得させ、自分を奮い立たせ、気が付けばここまで生きてこられた、そんな話をしてくれた。

上司の言葉が、我に帰るきっかけとなってくれた。(直属の上司は変わったが、今でも同じ部署で働かせていただいている、いつも感謝の気持ちでいっぱいだ。)



人生はいつも出逢いと別れを繰り返している。
喜びに満ち溢れている出逢いであればあるほど、別れは本当に寂しく、辛く、耐え難い。

しかしその別れから自分は何を感じ、考え、どう生きていくのか。
寂しく辛く耐え難い感情とどのように向き合い、どのように癒していくのか。


身近な大切な存在との生まれて初めての別れだった。しかし、叔母と過ごした時間、かけてくれたたくさんの言葉や愛情、叔母の笑顔、それらはわたしの心の奥でずっと生き続けてくれている。

ユーモア溢れるいつもチャーミングな叔母にもう一度会いたい。

またいつか笑顔で会えるその日まで
周囲にたくさんの愛と幸せと感謝を届けられる人間に成長し、

「あら、カナちゃん、なんだか大人になったわね」と言って貰いたい。


人生とさよならするその瞬間まで
1日1日を、大切に大切に重ねてゆきましょう。



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