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有名人の死から感じる自分の年輪


 私のよく知る有名人の訃報が相次いでいます。9月30日には『笑点』でお馴染みの6代目三遊亭円楽氏が亡くなられました。また、翌10月1日には「元気ですか!」でお馴染みのアントニオ猪木氏も亡くなられました。

 去る7月には、歴代で最も長く総理大臣を務めた安倍晋三氏が銃殺されるという衝撃的な事件も起こりました。

 皆様のご冥福をお祈りいたします。


 円楽、猪木の両氏は、闘病しておられる姿を知っているなかでの無念のご逝去、安倍氏は現役バリバリと言われていたなかでの突然死でした。

 このように、有名人の訃報を知り、衝撃を受ける回数が増えることで、「私も長く生きてきたんだな」と20代ながらに感じるようになってきました。今回は、私が有名人の訃報から感じる自分の年輪について書きたいと思います。ここ最近は、私にとってショックな訃報があまりにも多いです。



1.10代で目に入っていた死

 私が10代のころによく知っていた有名人といえば、現役バリバリの人たちが主でした。そんな人たちが亡くなったという知らせは、原因の大半が事故や殺人、自殺といった突然死でした。

 偶然にも、10代のころに亡くした私の祖父も、突然死にあたる亡くなり方をしたので、「死は突然くるもの」という印象が強かったように思います。

 そして、「突然くるもの」であるが故に、遭遇する確率は低いだろうな、自分には程遠い概念だろうななんて思っていました。死はイレギュラーケースという認識がそこにはあったように思います。



2.20代で目に入った死

 しかし、20年以上も生きると、自分が知る有名人は増えますし、特定の人を長い期間見続けることになります。現役バリバリだった人が現役を退き、余生と呼ばれる生活に移行し、そして亡くなるというケースをよく見るようになりました。

 こちらも偶然ですが、20代で亡くした私の祖母も、私が小さなころは超絶元気おばあちゃんでした。しかし最後は介護状態となり、徐々に命の炎が燃え尽きていきました。

 そうやって、元気だった時期と弱った時期の両方を見る機会が増えてきたことで、「死は誰にでも訪れるもの」「イレギュラーケースなんかじゃない」という価値観が生まれました。

 また、突然亡くなる場合についても、確率が低いのではなく、全員が同じ確率なのではないか、私が今日遭遇してもおかしくないという価値観のパラダイムシフトが起こりました。


 こうした色々な形の「死」に反応し、感情が動くようになった今、「それだけたくさんの人に目がいくということは、自分の人生(積み重ね)も長くなり始めたんだな」と思うようにもなったのです。



3.これからはどんどん身近になる

 そんなわけで、27歳の今でも、「死」はかなり身近に感じているのですが、これからはどんどん身近になっていくでしょう。

 今は有名人の死がほとんどですけども、そろそろ身の回りの人の死も多数経験しますからね。高齢の両親はあと10数年もすれば危険水準でしょうし、友人・知人のなかにも残念ながら旅立つ人が現れ始めるでしょう。そうなると、自分の中の「三途の川を渡る名簿」の上に自分が来ます。

 今でも決して低い順番ではないと思っていますから、「これからの人生をどう生きるか」かに加えて「自分の人生をどう締めくくっていくのか」かもそろそろ考えていくべきだよなと感じています。



4.「死」を研究してきた身として

 実は私、デス・エデュケーション(死の教育)を学部から修士にかけて約4年間勉強してきました。そこで一般の人よりは「死」に向き合っている人たちの話を聞いてきたと思いますし、「死」や「生」に関する文献を読んできたと思っています。

 そこで学んだのは、「死」を身近なものとしてとらえ、向き合っている人ほど「生」に前向きだということです。当時若かった私にとって、それは知識の一部でしかありませんでしたが、ここ1~2年で、それが身に染みてわかるようになってきました。自分もそういう人生を送りたいなと。

 ところで、私がインタビューした方の中で、終活(人生の終わりのための活動)によって得られたものは「爽快感」だと答えられた方がいらっしゃいました。死期を感じて諸々のやり残しを整理した結果得られたのだと言っておられました。その話をされている表情はとても楽しそうだったのを覚えています。私もその人のようになりたいと、インタビューした当時以上に思っています。


 あなたは自分の人生の締めくくりをどう設計し、そこへ向けてどう生きてきたいと思いますか?

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