19YEARS #9 試練
(一年以上ぶりになりますが、続きを書くことにしました。直接の知り合いが読むことを想像して書けなくなっていたのです。ノンフィクションなので。でも、書くしかないんだって、心から思ったので書きます。自分の文章がこんなに下手だと思ったのも初めてです。下手でもなんでもいい。すごく大事なことだから、書きます。過去の文もあとで加筆、修正、推敲したいと考えています。椋鳥昭子)
「父の具合が悪くて、看護のために会社を辞めることにしたんです」
ある日カウンターで隣り合わせたSさんが話してくれた。お父様は、命の期限が告げられたらしく、新潟で一人暮らしは無理だということになったので、東京に引っ越してきたと。
闘病しつつ知らない土地へ引越しされるお父様の気持ち。
会社を辞めなくてはならなくなったSさんの気持ち。
共感すると一緒に落ちてしまうタイプのわたしは、心の中で自分に言い聞かせていた。
「これはわたしの身に起きてる話じゃない」
そう強く思わないと、耐えられなかった。自分の身に起きているSさんのことをどうしてあげることもできない。
これからの日々が少しでもよくありますようにと祈るしかできなかった。
数日後、カウンターでマスターはささやくように言った。
「救急車で運ばれたらしいんですよ、Sさん」
「え。お父様じゃなくて?」
「Sさんご本人です」
さすがに緊張感が走った。お父様の余命宣告。退職。看護。短期間に急激なストレスがかかったせいだろう。
いてもたってもいられないような気持ちになる。
隣には音楽家Tくんが座っていた。
「ちょっとわたしSさんに連絡したい。T君メルアド知ってるよね。教えてもらっていい?」
「いいですけど、本人に了解取らなくていいかな」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。Sさん一人でいまきっと不安だよ」
信じられないくらい行動的になっていた。
教えてもらったアドレスにメールする。
「小林昭子です。マスターから話し聞きましたけど、大丈夫ですか。」
すぐに、本当にすぐに返事が来た。
「ご心配おかけしてすみません。幸いたいしたことはなくて、今はもう回復しています。僕のことを気にかけてくれるなんて、驚きました。ありがとうございます。」
よかった。胸をなでおろす。とりあえず、安心して良いらしき。
これが、Sさんとわたしの、初めてのメールだった。
数ヶ月後から、数え切れないくらいたくさんのメールが行き交うことになるとは、この時は、夢にも思わなかったのだけれど。
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