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東日本大震災を忘れないために

東日本大震災から13年。今年もこの日がやってきました。
私は千葉県市川市であの地震にあいました。
あの日何があったのか、忘れないためにも地震が起きた時の状況を記録しています。
今年はこちらにも。

2011年3月11日(金)

あの日は金曜日でした。
当時、私は市川市にあったコミュニティーFMのパーソナリティをやっていました。金曜日の午後3時からの生放送1時間番組「Acoustic Cafe」です。
当時のいちエフは総武線本八幡駅前にあるパティオというビルの7階にスタジオがありました。

午後2時46分。
ちょうど私の前の番組、ラップレミディ…という、ひろこさんの番組の途中。私は局のロビーでスタンバってました。
そこには二人の局社員と私。
いつもこの時間は雑談をしながら番組の準備をしているんですが、この日は局社員が持ってきていたギターをロビーで弾いていました。
ちょうど斉藤和義の「彼女」っていう曲を弾いていた時に尋常じゃない揺れ。

放送中のひろこさんが、「ちょっと揺れてない?」とスタジオから飛び出してきました。どんどん揺れが強くなって、経験したことのないような横揺れが、すさまじかったです。みんなすぐ机の下に避難しました。

私は局の入口を開けて、逃げ道を確保して、冷静にならなきゃと、静かにギターをしまって、ケースのチャックも丁寧に閉じました。
どうやって避難するか?イヤ、しないで様子を見た方がいいのか?考えていました。

スタジオは7階にありましたから階段で降りる途中でビルの倒壊にあったら絶対に助からない。
と同時に…イヤ、そんなことはあるはずがない…そんなことは現実には起こるわけないという単なる思い込みで葛藤していました。
階下が崩れてしまった時、最上階に近いこの7階にいた方がまだ助かる確率が高いんじゃないか?
とか、後から色々と言えますが、正確には動けなかったが正しかったと思います。

当時はビルが倒壊するなんてありえないと思っていましたが、能登半島地震を見て、これからはそういうことも充分にありうると思って対処した方がイイと思いました。

その時、放送は

スタジオを見ると、ひろこさんは飛び出してきて放送放棄で無音状態!
何やってんだ!って私がすぐスタジオに飛び込んで「大変強い揺れを感じた。情報が入り次第、お知らせするのでそのまま待機してほしい」と放送して、取り合えず近くにあったCDをかけて、音を流しました。

スタジオに小さな窓があって、そこから本八幡北口のロータリーが見えます。いつも曲をかけている間、この窓から外を眺めたりしていたんですが、ふとその窓から下を見ると…
駅前ロータリーは方々から集まってきて、人で埋め尽くされていました。
その光景を見た時、ぞっとしました。

揺れが一段落したところで局の技術の人が来て、その方が局に残ってくれることになったので我々は避難することになりました。
その間、どれくらいの時間だったか…正確には記憶はありません。
ただ、途中で「あ、3時過ぎたな、今日は放送できないな」と思ったのは覚えています。

本八幡北口

我々もビルを出て避難、といっても本八幡のロータリーまで降りて、そこで様子を見るしかありませんでした。
ただ、ここならビルから何か落ちてきてもとりあえずは避けられると。
何度も余震がきましたが、感覚的に震源地はこの近辺じゃないなと感じていました。
何か情報が欲しいなと思っていたところ、誰かがワンセグを見ていたので、あ、これか!と。
当時は私もアンドロイドだったのでテレビをつけると…東北か?!。
千葉でこの揺れだったら震源地の東北ではとんでもないことが起きているかもしれないと思いました。
すぐ近くの本八幡駅はホームの警告ベルが鳴りっぱなしで、これが緊張感を煽ってました。

ここからどうする?

電車は当然止まっていますが、バスはまだ動いていました。
大勢の人をかき分けてロータリーに入ってきたバスに飛び乗って私は取りあえず動植物園まで行きました。
後から考えて、あの状況でよくバスが動いていたな、と。
結果、これは正解でした。
多分、大町行きのバスだったと思います。
車内はさほど混雑しておらず、一番後ろの席に座ったのを覚えています。
その後すぐ、バスも動かなくなりましたので、本八幡でもたもたしていたらきっとあの日はどこかに野宿か路頭に迷っていたでしょう。

その時、東北で何が起きていたのか、東北だけじゃなく、千葉の海沿いの町もそうですが、まだこの時点では把握できていませんでした。

その時、動物たちは

動植物園について被害状況を聞きましたが、動植物園のある市川市の大町地区は地盤がかなり固い地域らしく建物に被害はありませんでした。
動物たちもニホンザルやエリマキキツネザルが鳴き叫んでいた以外ほとんど影響はなかったと聞きました。
ただ、スマトラオランウータンだけは高い所に昇ったきり降りてこなかったと記憶しています。

帰宅

ウチの職場はほとんどが車通勤でしたので、帰りは近所に住んでいた職員に乗せてもらい、その日のうちに問題なく帰宅することができました。
ここで帰宅難民にならなかったのはラッキーとしか言いようがありませんでした。

13年たって

あれからいちかわエフエムが閉局するまで毎年、震災の日のことは3.11に近い放送日に話をしていました。
いちかわエフエムが無くなって、私も千葉から北海道へ引き上げることになっても何らかの形で震災の日のことは記録していこうと思い、こちらに書かせていただきました。

#東日本大震災
#市川市


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