TEAMで仕事をすることについて
私は、我が社で働いている。先だっても「大学評価を行う外部団体の英語ページに日本語訳をつけて」と女上司から依頼されて、日本語への翻訳を行ったけれど、私がやったとかの顕名は一切行わなかった。
自分の仕事に顕名をしない理由はカンタン、私は女上司の部下であり、TEAMとして働いているからだ。TEAMとして翻訳ができていれば問題ない話であるので、翻訳に「翻訳:BENN」などと書き連ねる必要はない、全く。
なぜ、そういう思考になったかと言えば、それは、2014年頃みた「プラダを着た悪魔」に原因がある。あの映画の中で、ミランダ(女上司)の部下であるエミリーやアンディが「私がこの仕事を、しました!」と自己顕示していたらどうだろう、おかしくはないだろうか。いや、明らかにおかしい・・。
あの映画で私は、TEAMで働くということについて学んだと思う。下っ端が上司を差し置いて、手柄を挙げたと自己顕示するのはおかしなことだと学んだのだ。
おかげで英訳を行ったり、和訳を行ったりしても、そこで恥をかかずに済んだ。
映画だけど、映画って時にすごく役立つものなのね。
でも、人間だからやっぱり自己顕示欲とか認められたいとかの承認欲求があると思う。でも私の場合は、TEAMの出来を優先している。そういった承認欲求は、家に帰って勉強することで自然となくなっていくものなのだ。
特に私の場合は、一度、英語の勉強のしすぎで「ダブル・リミテッド」状態になったことがあったせいで、日本語の好きさ加減が半端なく、社会科学の本に触れることは、美味しいお菓子よりも欲求を満たす度合いが高い。
社会科学の本に散りばめられた美しいこと>>>美味しいお菓子>>>承認欲求
この図式が成り立つため、全然、仕事で認められようとか思わないで済んでいる。
まぁ、人生いろいろ、だけど。
最後に一つだけ私に言えることがあるとすれば、それはTEAMに貢献できない部下は必要ない、ということだ。それはつまり、TEAMに貢献せずに、自身の成果であると顕示したりすることなどが該当するのだが。仕事上での自己顕示欲は百害あって一利なしなので、手柄のすべてはTEAMを統括する上司に献上しておいた方が身のためだろう。