いまだからこそ、感じること


自粛ムードが高まっている中、
「暇すぎてなにをしたらいいかわからない」
「遊びたいのに遊びに行けなくて辛い」
そんな声がたくさん飛び交っていますよね。

会いたい人に会えない。
いきたかったライブが中止になった。
いつもみたいに気軽に飲みにいきたい。
毎日家で過ごしていて鬱になりそう。
などなど・・・

今まで当たり前のように過ごしていた日々が
突然壊され、普通の生活から引き離された時、
不平・不満が口に出てしまうのは仕方がないことだと思います。

今回は、そんな中わたしが感じたことをシェアしてみようと思います。

あと3年早かったら

この期間中に感じたこと。

それは、コロナウイルスの流行があと3年早かったら・・・ということ。

3年前といえば、大学2年生の春。
大学生活にも慣れてきて、遊びたい盛りまっしぐらでした。

そんな中、自粛を促されていたら
たぶんわたしはとんでもない時間を浪費していたと思います。

まず、社会に対する危機感を今ほど感じることはなかった。

一日に何度もニュースに目を向け、
今の日本を、ひいては世界を客観的に見る視点なんて
一切持ち合わせていませんでした。

今その視点を持てているのは、この3年間で培われた
知識・経験のおかげです。

次に、間違いなく言えることは、
せっかくの自粛期間をただの怠惰期間にしてしまっていたであろう
ということです。

おそらく3年前の自分であれば、この自粛期間に対して
「アルバイト先が休業になってお給料がない!コロナ最悪!」
ぐらいにしか思ってなかったと思います。
その上、遊びたいのに遊べない。ただの苦痛です。

かといって家にいても、お昼過ぎまで寝て、
起きてご飯を食べて、Netflixを見てゴロゴロして、ご飯を食べて、寝る。
そんな自粛生活を送っていただろう姿が目に浮かびます。

”危機”を”機会”へ**

**

しかし、今の自分は「せっかく毎日いるんだから」と
自分が今できること・やるべきこと
を考えて実行することができているように思います。

それは、社会人になったからという意識が一番大きいかもしれません。

そこにどんな理由があろうと、今後こんな機会は一切ないだろうと
自粛期間を有意義に活用することができているのは
本当に良かったと思います。

自粛期間の有意義な使い方

社会経験もない大学卒業して間もない自分が
社会に対してできることなんてたかが知れています。

今できることは、医療従事者に感謝する・寄付をする・
自宅待機をしてウイルス蔓延を防ぐなど・・・

これらはもちろんですが、
わたしが今やるべきこと、もし有意義な時間の使い方としては、
自己研鑽することです。

わたしの場合、研修が1ヶ月伸びて
4月を丸々入社前の準備期間に充てることができたと考えています。

その準備期間に会社について学び、
本を読んで知識を増やすことでこれからの日本経済を支える一員になる
準備をできる期間が与えられたのはラッキーだと思います。

従来通り、入社し研修がスタートしていたら、
自己研鑽の必要性を学ばないままでいたと思います。

健全な危機感

この言葉は、私が入社する会社でよく使われている言葉ですが、
今だからこそ、この健全な危機感を身に染みて感じることが
できていると思います。

こういう風に考えてみると、憂鬱な自粛期間も
有意義に過ごせているなと感じる今日のこの頃です。

自己研鑽の他にも、わたしは実家暮らしなので
毎日お母さんの代わりに晩ご飯をつくってみたり、
今まで食べなかった朝ごはんにモーニングプレートを作ってみたり、
( ちゃんとメニューも毎日変えて )
洗い物は言われなくても当たり前にやってみたり・・・

今までより、おうち時間を有意義に過ごせてるのでは
ないかなと感じています。

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さいごに

今回は、日々を自己研鑽に費やしてる方からすると
「なに当たり前のことを言ってるんだ」みたいな
内容だったかも知れないけれど、
いまわたしが残したいと感じたことを綴ってみました。

次回からは、最近読んだ本のアウトプットをできれば、
とおもっています。

では。