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物語食卓の風景・東京の2人⑧

 美紀子は夜の道を自転車で帰りながら、先ほどの由芽の話を思い出していた。

 あの子、本当にしっかりしていたわ。あの樹にあんな娘がいるなんて。それに窓ふきが好きなんて、私には想像がつかない。きっと奥さんは、相当頭が良い人ね。そういう人に出会って感化されたから、家事に協力的で社会派のディスカッションを楽しむような人になったのね。私といたらきっと、家事のことでケンカしてばっかりだったんじゃないかしら。

 何しろ、私自身も家事があまり好きじゃないし、考えてみたら樹と一緒にいた頃は、何で一緒に暮らしているのに、私ばっかり家事をしないといけないのか納得がいかなかった。心のどこかで、同居する家族がいるなら、家事の量は半減すると思っていたのよね。実際はその逆というか、人が増えたら何倍にも増えちゃうものなんじゃないかしら。洗濯物も料理も2倍になるし、散らかっているものが自分のじゃないと、片づけていいのやら、片づけるにしてもどこにしまったらいいか分からないし、捨てていいかどうかも判断できない。部屋の汚れ方も何倍にもなるような気がする。というのは、私が掃除を嫌いだから思うのかもしれないけど。今もねえ、締め切り前になったらあっという間にホコリと散らかったものだらけの部屋になっちゃう。

 樹も片づけが苦手なのよね。片づけが苦手同士が一緒になるなんて、考えてみたらゾッとするわ。だって、お互いになくしたものを探してばっかりで、「あれはどこへ行ったんだ?」「あなたどこへやったの?」「私のせいにしないで」というケンカも多かったような気がする。ほんと、いろんなものが行方不明になった。離婚して引っ越すときに、テレビのリモコンが、洋服ダンスの引き出しに入っていたのを見つけて大笑いしたっけ。一緒に笑えたとき、「もっと早くこういうことを笑える関係だったらよかった」と思ったけど、流産のときのこともあるし、今更この人とやり直せるなんて思えなかった。

 でも、由芽さんによくよく話を聞いたら、樹は相変わらずそんなに家事をするわけでもなさそうなのに、「家事をする」イメージになっているというのは、夫婦がうまく行っている様子を見ているからなんでしょうね。私には家族が目にしやすい場所で要領よくやっているように思えるけど……そんな風にうがった見方をするから、私は樹とうまくいかなかったのかもしれないわ。

 それに、社会派の会話なんて! 私は出版業界に身を置いているとはいえ、いわゆるジャーナリズムには興味がないし、ニュースも必要だから観る以上のことはしない。生活回りのことは気になるけどね。樹の社会派の側面は、報道の分野にしっかり身を置いたせいかもしれないけれど、奥さんが引き出したのかもしれない。

 もしかすると奥さん、今の時代に働きだした人だったら仕事も辞めず、バリバリと働けるキャリア女性になっていたかもしれないわ。今の子たちは本当に仕事と家庭をちゃんと両立させて、偉いわ。クライアントの女性たちも、皆さん育休が終わったら当たり前のように復帰しているものね。私たちの世代は、そういう意味で本当にもったいないことをした。というか、それこそ社会の損失よね。できる女性が次々と、長時間労働の壁に阻まれて家庭に入っていったんだもの。私も危うく家庭に入るほうになるところだった。こんなに仕事が面白いなんて、あの頃はわかっていなかった。

 真友子にはうまく説明できなかったけれど、結局のところ、結婚生活は1人でつくるものじゃないし、夫婦の関係性で変わる。そして、相手がどういう人かによって、引き出されるその人の側面も違うのね。由芽さんが見ているお父さんは、私が知っている樹とは全然違う人みたい。娘の眼であって妻の眼じゃないから、そういう意味でも視点が違うんだけど。でも、年ごろの娘にちゃんと尊敬される父親になれたのは、私と一緒だったらなかった側面だわ。ちょっと自己嫌悪になっちゃうところもあるけど、私は樹のよい面を引き出せなかった……でもきっと、樹も私のいい面を引き出せなかったのよ。と、思いたい。

 でも、ああいうしっかりした娘さんが育っただけでも、私は樹と離婚してよかった。あのままだったら、結婚生活を継続してもうまくいかなかっただろうし、お互いにつぶしあっていたかもしれない。東京にいたら、樹は報道の仕事には携われなかっただろうし。だって、私の周りで新聞などのいわゆるジャーナリズムの仕事をしている人はいなかったし、樹の営業先もその分野の人はいなかった。広告の仕事も、それはそれで楽しいんだけどね。社会とかかわっている感はきっと、報道のほうがある。

 家にたどり着いた。自転車をマンションの自転車置き場に置き、部屋までたどり着くとカバンからカギを取り出して、暗い部屋へ戻る。電気をつけ、T-falの湯沸かし器に水を入れ、沸騰したところで、ティーバッグを入れる。今日は煎茶だ。お茶を飲みながら、考え続ける美紀子。

 それぞれが今の人生が良いのであれば、私たちは離婚してよかった。そういえば樹、昔と違って責任感のある大人の男の顔になっていたものね。私の覚えている昔の姿は、もっと人に依存した顔をしていたと思う。お互いに相手にばかり期待して、頼ろうとしてしまったのかもしれない。そして自分の心配だけでいっぱいだった。若かったし、まあ仕方ないといえば仕方ないけど。

 子どもが生まれなかったのが、よかったのか悪かったのかはわからない。どんな子が育ったのかも、まだ子どもの形もしていなかった時期に流産してしまったから、ショックは大きかったけれど、あの子がどういう人間になれたのかはわからないのよね。それはあくまで命を奪ってしまったショックで、誰かを亡くした感じとは違う。具体的な思い出があるわけじゃないし、ただもう取り返しがつかない感じがあったし、樹に責められて自分が犯罪者になったような気になった。取り返しがつかない感じは責められたことも大きいのかもしれない。

 樹がいいお父さんになったのは、もしかするとそのときの後悔が大きいのかもしれない。もし私が流産せず、東京で私たちが結婚生活を続けていたら、樹は今みたいな娘に尊敬されるお父さんにはなっていなかったんじゃないかな。もしかすると粗大ごみ状態だったかも。そして私は、流されるままに仕事を辞めたことを後悔し続けているかもしれない。アンナちゃんをはじめ、猫ちゃんたちとの甘い時間も知らなかったかもしれない。

 そこまで考えたところで、まるで美紀子の心を読んだかのように、アンナちゃんが膝に飛び乗ってきた。ゴロゴロと鳴きながら美紀子の体に自分の体をこすりつけてくる。「甘い時間、過ごしましょうよ」と言っているかのように。反射的に猫の体を撫でながら、美紀子はなおも考え続ける。

 私たちは別れてよかった。自分の足でちゃんと生きている手ごたえは、結婚を続けていたら得られなかった。それに、マイペースな暮らしを誰かと一緒になることで失いたくないのよね。離婚した両親も、それぞれ何だか楽しそうだし、しょっちゅうケンカしていたのが嘘みたいで、今も茶飲み友達になっていて、よくわかんない。「お父さんとは友達になったほうがうまくいくわ。あらさがしもしなくなったし」とお母さんは笑っている。何だか私たち、親子して男性とは一緒に暮らせない体質なのかしら。

 それでよかったんだ、と何だか思えて来たのは、樹に会っただけではなくて、由芽さんと会ったからだわ。今の人生を選んだことが間違いじゃなかったと確信を持てたから。だから、真友子も独りで抱え込まないで家族と会ったほうがいいんじゃないかと思ったのよ。そういえば、真友子は旦那さんとうまく行っているのかしら。お父さんの失踪の件でも、あまり積極的ではないみたいだし、人の家庭は分からないけれど……。


 

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