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物語食卓の風景・東京の2人④

 美紀子は口を開いた。

「実はこの前、元夫から呼び出されたの」

「そうなんですか!いったいどういう話で?」

「彼とは長い間連絡を取り合っていなかったんだけど、兄から様子を聞くことはたまにあって。故郷の大阪に戻り、もといた会社に再就職したらしいの。今度は実績を積んでいたので、カメラマンとして。それで再婚もして子供もできたらしかったの」

「なんか彼、幸せになったっぽいですね。えー、ずるい」

「いや、ずるくはない。私だって正直、1人になってからのほうが身軽だから好きに暮らしているし。ネットフリックスのドラマも観放題だし。何といっても誰かに勝手に部屋を散らかされることがない。掃除できない時期は荒れるけど、自分のせいだし、誰に文句を言われるわけでもない。総菜事情にもくわしくなったわよ。誰かのために無理して料理しなくていいんだもん。アンナちゃんもかわいいし」

「アンナちゃんは置いといて」

「えー、アンナちゃん、昨日もかわいいことしていたのに」

「その話は置いておいて。先輩、アンナちゃんの話をすると長いんですから。それで元旦那さんは何の話だったんですか」

「はいはい。実はね、彼の娘さんがお父さんの仕事に興味を持ったらしくて、将来はマスコミ関係の仕事をしたいって言い出しているんですって。できれば東京で」

「今、おいくつなんですか?」

「大学生になったばっかり。でも、就職対策は早い方がいいし、できるだけの準備はしておきたいって」

「ひゃー。今どきの学生さんは用意周到ですね」

「そうなのよ、バブル世代の私からは考えられない。地方に住んでいて不利、というのも考えたのかもしれないわね。それで、今度東京に遊びに来る予定なんですって。お友達とディズニーランドへ行くために。で、そのときに少し時間を取って会ってやってくれないかって」

「えー、元妻にそんなこと頼むんですか。別の女性と結婚して生まれた娘を会わせるんだ!」

「娘には罪はないし。それに、私は別に彼に未練はないし、遠い昔のことだからね。別れたときは大変だったけど、実はお互い本当に必要としていなかったということが分かったのが大きかった。というのは、おいおい自分でも理解していったことだけどね。当時はもちろん、人生初めての挫折でだいぶ落ち込んだわよ。娘さんに会うことを承諾したのは、別の理由があったの」

「なんですかそれ」

「まあまあ焦らず順番に。彼が私に娘さんと会って欲しいと言ってきたのは、彼の東京時代の仕事仲間の多くは男性で、女性たちは連絡先が分からなくなっていたり、この仕事から離れてしまった人が多かったからなんですって。何だかんだ言っても、男性と女性ではぶつかる壁も違うじゃない?まだまだ女性差別も残っているし。そんな中、仕事を続けている女性の先輩が会ったほうが娘さんのイメージも確かになるだろうしって、彼は言うのよ」

「なるほど。そうそう。東京でほかの知り合いはいないのか。なんでまたわざわざ元妻に頼むのかと思ったんですよ。そういうことなら仕方ないですね」

「本当は、別れた女性に頼むのは気が引けるんだけど、他に適当な人がいなかったからって。それに、私に謝りたかったって」

「謝る?」

「そう。あの頃、彼は仕事を開拓していくのに必死で、家庭を顧みられなかったって。私の妊娠が分かって、子供も養わなければならないんだから、もっと仕事を増やさなければって、ますます必死になってしまったって。それよりなにより私の体を気遣うべきだったって。そういうことが、再婚してその娘さんができたことでよくわかったって」

「最初の妻が妊娠したときには気遣いができなかったのに、二度目はできた。反省したからってことですか?」

「それもあるけど、やっぱり地元は気が楽なんでしょう。住み慣れたところだし実家もあるし。再婚相手の女性も地元の人なんですって。お互いの実家の近くに住んで、行き来も多いんですって。

 結婚していた時も、彼は関西を懐かしんで、東京を批判するような発言が多かったし、東京が水に合わなかったのね。『東京では、負けちゃいけないって必死だった』って言っていたわ。だから、関西に戻って安心したんでしょうね。職場も古巣だし。何といってもサラリーマンは生活が安定している。フリーにも向いていなかった。東京で、いつも緊張して暮らしていて、安心を求めて結婚をしたけれど、すぐに子供ができそうになったから、よけい気を張らなければならなくて、余裕を失っていたって言っていたわ」

「なるほど。元夫さんも大変だったんですね」

「それで落ち着いて生活できて、お互いの両親のサポートもある中での結婚、出産だったから、奥さんの体を気遣ったりする余裕ができて、その中で妊娠出産がいかに大変なことか気づかされたって。私が流産したことを報告したとき、彼は『妊娠したのに、ちゃんと気をつけて暮らさなかったからだろう!』って怒ったの。私自身も自分の不注意だと思っていたから、いや実際そういうところもあったんだけど、でも、それを真っ先に言われて傷ついた。離婚した最大の理由はそういう彼の発言。『もうこの人とは暮らせない』ってはっきり思っちゃったのね。それまでにもすれ違いが多かったし、家事に関しても不満が多かったこともあって、それは決定的だった。でも、彼自身もその言葉をずっと後悔していたってわかった。それで、何だか体の中にあった棘が溶けて流れていくような感覚を味わったの」



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