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物語食卓の風景・東京の2人②

「先輩、結婚していたなんて知りませんでした。しかも知らない間に離婚まで。どういうことですか⁉」

「真友子とは、大学時代からしばらくおつき合いがあって、真友子がフリーになって、それからおつき合いが再開したでしょう?」

「はい、はい。そうですね。そうです。就職先をご紹介いただいたのは、本当にありがたかったです。でも、先輩は別のプロダクションでお仕事なさっていたんですよね。お互い忙しかったし、私は仕事を覚えるのに懸命で、あんまり周りに気が回らない時期でした。1人暮らしだったし、週末も疲れ果てて昼ぐらいまで寝ていて、そこから家事やって、としていたらあんまり遊びに行く余裕もなかったんです」

「実はその間に私は、結婚していたの。25歳だったから、いわゆる結婚適齢期ってやつね」

「結婚適齢期! 久々に聞きました、その言葉」

「そう。今の人はあんまりそういう感覚ないかもしれないけど、1970年生まれの私の世代は、まだギリギリそういうことを意識する年代で、20代のうちに結婚して子供まで産んで、安定した暮らしを築くもの、という刷り込みが生きていたのよ」

「適齢期だから結婚したんですか? 相手はどういう人ですか?」

「年齢で焦ったわけじゃなかったけど、会社に出入りしていたカメラマンの男性とおつき合いするようになって、まあ自然な流れで」

「あー、でもカメラマンの人って、結婚が早い印象あります。私の周りがたまたまかもしれないけど」

「そう? まあ私も彼と話していて楽しかったし、無理をしないでいられるから、自然体でいられる相手はいいんだと思って結婚したのよね」

「それで。なんで離婚したんですか?」

「私は子どもが欲しかったし、というか何しろそれが普通と刷り込まれているから、結婚したら子供は産むもんだと思っていたのよ」

「その場合、仕事は? あの時代はまだ仕事と結婚を両立する人、少なかったでしょう?」

「そう。産んだら仕事はどうなるかなと思ったのは思った。でも、私は東京に実家があったから、親に預ければ何とかなるかとか、漠然と思っていた。それに両立が難しいようなら、一度辞めて、子育てが落ち着いたら改めて編集の仕事を探せばいいかなと思ったのよ。東京にはプロダクションがたくさんあるんだし、それまでに一生懸命スキルを磨けば、経験者ならどこか雇ってくれるんじゃないかと思っていた」

「今の先輩とは、別の人みたいですね。25歳じゃまだ経験としても浅いでしょうに。私は何しろ、就職戦線にほぼ負けた組だから、そんなに甘くないんじゃないかと思ったりもしますけど」

「そうね。もしかしたらダメだったかもしれないし、周りを観ていたら、子育てで戦線から脱落した人たちに、同じ仕事で復職した人は少ない。私たちの世代は、イクメンなんて言葉もなかったし、夫の協力はまず望めなかった」

「協力と言ってしまうところが、私たち世代ですよねー。メインでやるのは自分で、夫はお手伝いって位置づけなんですもの」

「え、今は違うの?」

「はい。年下の友人の受け売りですけど、今は家事も子育ても、夫婦はどちらも当事者なんだから、共同で当たるべきなんですって」

「へえ、それで一緒に家事と子育てを半々で受け持っているの?」

「いやー、でも現実にはそうもいかないみたいで。育休を実際に取れる、取ったとしてもある程度長く休むというのは、難しいみたいです。でも、割と自然に家事をやるみたいなんですよ、夫たちも」

「そういえば、ベビーカーを押している男性を見かけることは増えたわね」

「そうそう。家事もゴミ捨てだけじゃなくて、洗い物をする、料理をする、掃除をするといったことを、分担したりするみたいで」

「へえ。真友子のところもそうなの?」

「私は先輩と同世代で、夫も同世代なんで。私もずっと働くから、シェアしようって話にして、実際夫がそれなりに家事をしてくれていたときもあったんですが、フリーになって先輩に再会する前に、仕事が少なかった時期があって、そのときに何となく稼いでいない気後れと、夫も『稼いでないんだし』と思ったのかどうか、何となく私がやるような感じになってしまいました」

「『稼いでないんだし』とか思われるの?」

「いや、わかんないですけど、たぶんそうじゃないかと」

「話し合ったことはないの?」

「話し合い……そうですね、話し合えばいいんですよね」

「何? 結婚して10年以上になる真友子が、夫と話し合ったことがない?」

「いやー、なんか、実家が話し合う習慣がないせいか、あんまりそういうこと考えたことないんですよ」

「それはよくない!」

「はい……。いや、私の話じゃなくて、先輩の結婚。なんで別れちゃったんですか?」

「それで、仕事をしながら子作りもしていたのね。それで2年ぐらいしたら妊娠が判明」

「え? お子さんいるんですか? しかもむちゃ典型的に順調じゃないですか。25歳結婚、27歳妊娠って。昭和みたい」

「いやそれがね、一応制度としては産前産後休暇も育休もあったから、育休を取って様子を見てから職場復帰するか、退職するか考えようと思ったの。それまではしっかり働こうと。ところが、妊娠が分かってから仕事が繁忙期に入ってしまった」

「会社は配慮してくれなかったんですか?」

「安定期に入って、産前産後休暇の時期が近くなったら、報告しようと思っていたの。あの頃は、『育休切り』なんて言葉もなかったから、女性社員が出産することを、会社が歓迎してくれるかどうかわからなかった。

 私の先輩たちは、辞めてしまう人が多くて。ベテラン社員さんで、たまに子育て終えたみたいな人はいたけど、子育て期で社員という人がいなかったの。だからできるだけ報告は先延ばしにしたかった。まだお腹も目立っていなかったし」

「えー。まさか」

「そうそのまさか。流産してしまいました」

「それは悲しい。先輩、お辛かったでしょうに!何でそのとき、私に相談してくれなかったんですか!」

「だってあの頃はおつき合いなかったじゃない。流産したからって急に頼るのは虫が良すぎる気がして」

「何水臭いこと言っているんですか!もう。私は先輩に恩があるのに、冷たくするはずないじゃないですか」

「会社を紹介したこと? でもそれを利用するのもやな感じじゃない。ともかく頼っちゃいけないと思ったの。それは夫婦で解決すべき問題でもあるし」

「それはそうですね。でも先輩、もっと私にも頼ってください! 私は先輩に頼ってばかりで、ときにはお役に立ちたいって思っているのに」

「ありがとう。でも真友子は仕事が正確だし、クライアントさんのウケもいいから、私の仕事も信頼される。その意味で、もう十分すぎるほど役に立ってくれているわよ」

「それはありがとうございます。でも、仕事だけじゃなくて、精神的にも頼られるようになりたい! 重い悩みでも相談してくださいよ、私なんて今まさに重い悩みを先輩に相談してしまっているというのに」

「そうね。何だか若い頃って、自分で抱え込み過ぎるのよね。私だけなのかしら。人に頼ったらいけないっていうのも、刷り込みかもしれないわね」

「そうですよ! 人生は大変なんですから、頼ったり頼られたりしましょうよ! あ、それで、話戻しますけど、その悲しい流産で、別れちゃったんですか? 聞いて大丈夫でしょうか、そんな話」

「話すつもりがあるから、元夫の話を持ち出したのよ。真友子の重い悩みにも役立つかもしれないし」

「はい。ありがとうございます。それで」

「それで、ご推察の通り。実は妊娠前からいろいろと問題は生じていたの」

「え? そんな新婚当時からですか?」

「実は、私たちは結婚したとはいえ、ちゃんと夫婦をやっていなかったような気がするの」




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