選択的夫婦別姓・丸川珠代大臣

 森元首相が女性蔑視の失言で、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長を退任したことにより、玉突き人事で自民党の丸川珠代氏が、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、女性活躍担当大臣に就任した。まさかの人事で、何かの冗談か制裁かと思った。

 というのは、丸川珠代氏は選択的夫婦別姓制度への反対を地方議会に呼びかける書状を送ったメンバーに名を連ねていたから。そのことは、東京新聞の報道で私は知りましたた。

 だから、昨日3月3日、奇しくも女の子の日の参議院予算委員会で、福島瑞穂社民党党首が、9回も「なぜ選択的夫婦別姓に反対なんですか?」と聞いて、8回までスルーした場面は見逃せませんでした。

 丸川大臣がスルーしたのは、大臣という立場上、個人の意見を述べることで関係官僚たちに影響をかけたくない、という主旨で、笑っちゃいました。大臣になる前は地方議員には圧力をかけることができたのに、大臣になったら部下たちに圧力はかけられないんだそうです。

 何度も議場で中断し、大臣になる前「かつて」という言葉を福島党首が使ったことでようやく答えたのが「姓は家族の絆に影響するんだ、と気づかされたから」というお答え。自民党で法案を出すことに反対している人たちの常套句そのままだから。

 そういうことを言うなら、姓を別にする事実婚の夫婦が別れる割合と、同姓の夫婦の離婚割合と、夫婦仲をちゃんと調査して、どっちのほうが壊れることが多いか検証したんでしょうね。

 今や離婚は珍しくなく、家庭内殺人やDVも珍しくなく、壊れた家庭には戸籍上の結婚をしたカップルも珍しくないのに、夫婦の絆は姓を同じくすることで培われる、という根拠はどこにあるのでしょうか。わが家は21年事実婚夫婦をやっていますが、今でも仲いいですよ。知人でも事実婚で子育て中の人たちもいますよ。

 丸川大臣の丸川という名字は通称だそうですが、お子さんはお母さんが自分と異なる姓で選挙に出て政治家として活躍していることを、どう思っているんでしょうね? お母さんのことを違う姓で呼ぶ人たちが大勢いるのを知ってどう感じているんでしょうね? 病院などごく限られた場面でしか、「大塚さん」と呼ばれない母をどう思っているんでしょうか? 違う姓で知られているから、お母さんに距離を感じていないといいのですが。

 福島党首は、通称使用ができない民間人が大勢いる問題を追及されました。そこは間違っていないですが、その点だけで追及されたのがちょっと残念でした。何しろ通称使用ができる人でも、できる人でもさまざまな手続きが煩雑なこと、使い分けの不便さも感じている人たちがいるからです。通称使用するかいなかにとどまらず、結婚離婚のたびに、女性たちは免許から通帳からさまざまな公的な書類に姓の変更を届けなければならず、大変なんですよ、ということも伝えてほしかった。

 選択的夫婦別姓制度が導入されない問題は、以前東洋経済オンラインでも書きました。そこで書いたことと重複しますが、導入されないことが、男女共同参画にどう問題があるのか、福島党首が限られた場で伝えきれなかっただろうことや、もしかするとほかの人が気づいていないかもしれないことがあるので、私自身の主張を書きたいと思います。

 福島党首が男女共同参画大臣としての資質に関わるから、と追及されたことはまったくその通りだと思いました。なぜなら、現行の夫婦同姓強制制度は、日本社会の根深い女性差別が背景にあるからです。コロナ禍、女性の失業率が高い、自殺者が多い、子育てや家事の負担が女性により大きくかかっているなど、日本がいかに女性差別社会であるかが、よりくっきりとしました。関心が高まっている今だからこそ、私は主張したい。

 夫婦同姓強制制度は、江戸時代の武家社会の仕組みを国民全体に広げた明治のイエ制度を、今に残す象徴的な女性差別制度であることを。

 現行制度は、夫婦がどちらかの姓を名乗ると決めていて、男性の姓を名乗るとは決めていません。しかし、97%や96%という人が男性の姓を選ぶのは、そうせざるを得ない圧力が暗にかかっているからです。男性の両親は息子の姓は変わらないと思い込んでいます。先日、放送されたNHKスペシャルの夫婦も、当初息子が妻の姓を使おうとしたら、なんと自分も過去に姓を変えたはずのお母さんが「もう息子と思えなくなる」と反対したそうです。この意味で、丸川大臣の意見は確かに正しい。お母さんは息子と一体感を姓によって感じていたんですね。では、お母さんは自分の実家の人たちとは、結婚したときに一体感を失ったのでしょうか?

 実は、家族の一体感と言ったときに問題なのは、では、「結婚して姓を変える女性たちは、実家と縁を切らないといけないかもしれないということなんですね?」というちょっとした極論が成立しかねないことです。「もうあなたは、夫のイエの人間なのだから」ということは、つまりイエに入らないといけなかった時代の感覚を今に残すもので、そういう感覚が戦後70年以上経っても生きているのは、現行制度が夫婦同姓を強制するものだからです。

 選択的夫婦別姓を支持する人たちは言いますが、これは別姓を強制する制度ではありません。実際、日本以外の国々は皆、別姓が選べるようになっていますが、すべての人が別姓を選ぶわけではありません。夫の姓を選ぶ女性たちもいます。しかし、その人たちは望んで夫と同じ姓を選んでいるのです。この自ら選ぶ、ということが大事で、日本では、選ばざるを得ないから選んでいる女性たちが少なからずいると思われます。実際、「本当は別姓にしたかったけれど、戸籍を入れないと親が納得しないから」という女性たちの声をよく聞きます。彼女たちはしぶしぶ通称を選んでいます。

 夫の姓を選んだ女性たちは、では実家と縁が遠くなるのでしょうか。夫の家族とは一体感を感じ、実家はそれまでどれほど仲が良くてももう疎遠にならざるを得ないんですね? 捨てざるを得ないんですね。自分が生まれ育った環境への愛着も。捨てて次の環境に行く、だから今も「嫁に行く」という感覚が残っているんですね。「うちへ入った」って両親たちが思うんですね。そして女性たちは夫を「主人」と呼ぶのですね。自分の姓を捨てて夫に服従するから。そして自分が生まれ育って20年や30年やら使ってきた姓を捨てたことで立場が弱くなり、家事をたくさんしてしまったり仕事を辞めてしまったるするのかもしれませんね。なんて男性に都合がいいのでしょう。

 女性が姓を変え、そのことであちこちに手続きをし、また新しい姓を名乗ることで、女性たちは自分の結婚離婚を広く社会に知らしめなければなりません。昔の同級生の姓が変わっていると知ることで、その人が結婚したことを知る。それは女性だけの個人情報開示です。男性は結婚したのか離婚したのか隠すことが可能です。姓が変わらないから。

 個人情報保護法があるような時代になっても、強制的に女性だけが結婚離婚の事実を開示しなければならないのは、既婚女性がお歯黒をしなければならなかった江戸時代とあまり変わっていない、ということが言えませんか?

 私には、男性だけが独身女性を選びやすいようにしているように見えるんですが。

 また、離婚再婚が珍しくなくなったことで、手続きも面倒になり、そして子どもたちは男女に関係なく、親の姓によって姓を変えさせられます。ところで、これこそ珍しくない熟年離婚で、成人して社会で活躍している独身の子どもは男女に関わりなく、姓を変えさせられているのではありませんか?学生の男性も姓を変えさせられているのではないですか? その意味では男性でも不利益を被っている人がきっといるのですね。彼らはどのように感じているのでしょうか? そして、何度も母が離婚再婚している子どもの場合、家庭の事情を同級生や先生に知られることをどう感じているのでしょうか? これも男女関係ありませんね。

 つまり、離婚に対する社会的制裁の役割も、夫婦同姓強制制度は担っているのではないでしょうか?

 というわけで、現行法は日本が封建社会のような社会制度を温存していることを、明確に示す制度と言えるのです。コロナ禍、たくさんの女性たちが差別を実感しています。もちろん男性でも生活を脅かされている人がたくさんいます。その要因には、旧態依然とした社会の仕組みにもあると感じている人はたくさんいるのではないですか? その象徴として、夫婦同姓強制制度はあるのです。

 本来は多様な人格、多様な生き方があるはずなのに、一元的に夫婦同姓を強制しようと求める自民党の一部議員のせいで、第五次男女共同参画基本計画には、選択的夫婦別姓制度に関する項目は大きく後退しました。強硬に反対する人たちは、もしかすると選択的夫婦別姓制度が導入されたら、ついに江戸幕府が消滅することを恐れているのでしょうか。心は幕臣なのかしら。早く江戸の夢から覚めて令和の時代を生きてくださるように望みます。


 

 

 



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