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物語食卓の風景・母と娘④

「話を戻すけど。それで結局、お義父さんの話はできなかったのか?」

「うん……。お父さんの話をしようとすると逸らされる。最近、料理を毎日きちんとつくるのもアホらしくなったから、あちこちでおいしい総菜を探しているんだって。この間は、いつもの梅田阪急じゃなくて、あえて心斎橋大丸まで遠征したんだって。リニューアルしてから行ってなかったからって」

「それでまた、心斎橋大丸のデパ地下の話を延々したってわけか」

「その通り! お母さん、もともと1人でずーっとしゃべる人でしょう? 途中で何も聞けないというか、相槌を打つことすらままならないというか」

「なんか演説みたいなところがあるもんな」

「そうそう。1人暮らしになって、その技に磨きがかかったというか、もしかすると、私が話を変えないように警戒しているのか、もう全く入り込む隙なし。私もそういう逃げまくっているお母さんを、無理やり現実に立ち戻らせるのも面倒になっちゃって。一緒に連れて行った萌絵も、ご飯が終わったらしばらくおとなしくしていたんだけど、1人遊びも飽きちゃったのね。それにいつもはお昼ご飯を食べたらお昼寝するから、眠くなっちゃったみたいでぐずり出したの。『おうち、帰りたい』って。それで結局、お父さんの話を聞くどころじゃなくなって、帰ってきちゃった」

「そんなに頑なに向き合わないなんて、お義母さんは、何が怖いんだろう?」

「もともとそういう人よ。『向き合う』なんて、一番似合わない言葉だわ」

「そこまで言う」

「そうよ。だからお姉ちゃん、帰ってこなくなったんだと思う。私はお母さんが考えていることも、何となくわかるし、なんかかわいげもあるなと思うから、つき合ってこれたけど、お姉ちゃんは空気読むのも苦手だし、お母さんと昔からよく衝突していて。いちいち突っかからないで流しておけばいいのに、お姉ちゃんはそうしないんだよね。東京に出て行って、フリーライターになって、ずっとその仕事をしているし、生き方も違うから、考え方も違うのかもしれないね」

「まあ主婦になった香奈子は、お母さんと同じ生き方を選んだともいえる」

「選ばざるを得なかった。でもこれからはわからないわよ」

「そうなのか?」

「こんな流れで話すつもりはなかったけど、萌絵の手が離れたら、働きたいと思っている」

「そんな話、初めて聞いたぞ」

「初めて話すんだもの」

「そりゃそうだ。でも何で急に?」

「この間、亜衣に会ったら、東京では子供がいても働くのが当たり前だって。そんな風に言う亜衣自身も、昔よりずっとかっこいいんだよね。顔つきも引き締まっていて、キャリアウーマンって感じ。世の中も知っている感じだし、てきぱきしていて。女の人だって、いくつになっても輝けるんだなって」

「なるほど。でも香奈子は何をやりたいんだ? すでに8年もブランクがあるし、香奈子は事務職だっただろう? 特にスキルがあるわけじゃないし、再就職は難しいぞ。不況は続いているし、新卒でも正社員になることが難しいこのご時世に。東京だったらたくさん仕事があるだろうけど、関西じゃ、そんなに仕事があるわけじゃないし。まして香奈子は女の人だし」

「そうなんだよね。女の再就職、大変だよね。何をやりたいかは、これから考える。実は亜衣と会ってから、モヤモヤ考えていたんだけど、思わず話したら具体的に考えなきゃという気になってきた」

「まあ、子育てが終わってからも人生は続くもんな。香奈子は頭もいいんだし、確かに家庭に埋もらせておくのは、もったいないかもしれない。夫の欲目かもしれないけど」

「ありがとう。そうだ。亜衣に言われたけど、ぐずぐず置いていた課題がもう一個あった」

「それは何だ?」

「うん、実はね。お父さんが入っていた郷土史研究会に行ってみたらどうかって。そこに入っている人たちから、何か手がかりがつかめるかもしれないって亜衣は言うの」

「なるほど。連絡先はわかるのか?」

「一応。お父さんが置いていったケータイに入っている電話番号は写してきたから。でも私、郷土史なんて興味がないし、おじいさんたちの会に行って話ができるかどうかわからないし。お母さんが周りにお父さんの失踪を知られたくないって言っているのに、それを勝手に伝えるのもどうかと思って」

「時間が経てば経つほど、手がかりは少なくなるぞ。一緒に行ってやりたいけど、2人で参加しちゃうと、咲良と萌絵の面倒をみる人がいなくなるし、とりあえず何か口実を考えて行ってみたらどうか?」

「うーん。口実ねえ」

香奈子は考え込んでしまった。どちらかといえば人見知りの香奈子は、興味もないのに、知らない人ばかりの会合に参加すると考えるだけで、気が重いのだ。だからこそ、せっかくの親友の提案もそのままにしてきた。しかし、口に出してしまった今、事態は動き出しつつあった。そこへ、LINEの着信音が鳴り、確かめる香奈子。

「お姉ちゃんからだ! え? 帰ってくるって?」

「なんて書いてあるんだ?」

「『来週、時間ができたので様子を見に、そちらへ行きます。友人と一緒なので、ホテルへ泊まる』だって。友人と一緒? 何で?」

「よかったじゃないか。お姉ちゃんにも相談したらいいじゃないか」

「そうね。でもどうなるんだろう……」

香奈子は、何となく不安が広がっていくような気がしていた。それは単に怖がっているだけなのか、それとも予感なのか。






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