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物語食卓の風景・母と娘③

「そういえばお母さん、大阪に出た頃のことを話してくれたことがあった!私が就職活動で落ちまくって凹んでいたときだったわ」

「何なに? 過去を話さないお義母さんが?」

「そうなの。珍しかったから印象に残ったのよ。きっと慰めようとしてくれたのね」

「お母さんは岡山の出身なんだけど、高校を卒業して、就職で大阪に来たんだって。どうやって大阪の会社に入ったのか聞いたら、親せきの叔父さんの知り合いのツテだって」

「へえ、それはまた遠い知り合いだなあ。つまりコネ入社?」

「同じこと考えてる!私もだから聞いたのよ、『コネがあったの?』って。そしたらお母さん、『失礼ね!』だって。あの頃、少なくとも女の子の就職はツテをたどってするものだったって。なんかね、同級生のお姉さんが新聞広告に載っていた大阪の会社に連絡して就職したはずが、着いたら会社は倒産していて、行き場を失い、くにへ帰った人がいたんだって」

「倒産!それでその人どうしたんだ?」

「知らない。そこまでは聞かなかったわ。お母さんは『だから、会社もちゃんと信頼できる人が保証してくれるところがいいのよ』だって」

「へえ。確かに、倒産した会社だと連絡先も分かんないだろうし、保障も何もなさそうだもんな」

「そう。今みたいにネットもないしSNSもないし」

「そうだな。でも、そんな時代の就職と、ネットを使ってエントリーシート書いて、っていう時代とは全然違うだろうに」

「うん、お母さんは自分の就職についてはそれだけで、あの頃直接か間接に聞いた周りの就職失敗の話をいろいろしてくれたの」

「へえ、どんな話?」

「お母さんの時代は集団就職で大阪や兵庫の会社に入る人も多かったらしいの。でも、うまくいかない人も多かったって。集団就職だと、行先は商店とか町工場で小さい職場だから、相性がすごく大事。住み込みで、社長はもちろん、その家族に合うか合わないか。寮がある場合は、同室の子たちとうまくいくかいかないかも大事だって。もちろん仕事がむちゃむちゃきつい場合もあって、続かないで辞めちゃう人も多かったんだって。それで二つ目三つ目で落ち着く人もいるけど、行方が分からなくなった子もたくさんいたって。お母さんの同級生で行方不明になった人が何人もいたって」

「そうなんだ。そんな中でもお母さんはツテがあって、しかも高校まで出た」

「そう!そこがお母さんのプライドなの。『うちは少し余裕があったし、お母さんが娘にも教育を与えたい』って主張したから、高校まで行かせてもらえたって。大阪に出た叔父さんもいたから、ちゃんとした会社も紹介してもらえてよかったって。お母さんは4年間辞めずにしっかりお勤めをして、結婚退職するときは、花束をもらって祝福されたって」

「4年間で勤め上げたって感覚なんだ」

「うん、結婚退職当たり前で、女の子は数年しか働かない人が普通だったって」

「でも、そういうサクセスストーリー的に話すことが、どうして香奈子を慰めることになるんだ?」

「ヘンでしょ。そこがお母さんのお母さんたるところで、世の中には就職したところで必ずしも成功じゃないし、幸せに働けるとも限らない。だからめげることないって」

「ヘンな論理だな。それで香奈子は慰められたのか?」

「トンチンカンだなとは思ったけど、なんだかそのズレがおかしくて、ちょっと笑ったら気分がマシになった」

「伝手があるから、そこへ就職しなさいではないんだ」

「そう。お父さんも営業とかじゃなかったし、あの性格だから顔もそんなに広くなくて、そんな知り合いもいなかったのよ。お母さんのきょうだいはみんな岡山だし、お父さんは1人っ子できょうだいもいなかったから、ツテを持っている叔父さんは私にはいなかった」

「でもちゃんと香奈子は就職した」

「したけど、結局咲良を産んで辞めちゃった」

「それは俺も悪いのか」

「あの頃、勝は残業が多かったものね。イクメン宣言してやっと付き合いから解放された。でもよくそれでやっていけるね」

「うん。まあその話はいいや」

そう言ったとき、勝の顔には影が差したのを、香奈子は見逃さなかった。どうも、勝にも話していない事情がありそうな様子である。

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